「世界を救うのだと豪語するのはいい。でも、憎しみのままで剣を振るってなんになる?」
 言う声は冷ややかで、
「君に、なにが分かるというんだ! 関係もないくせに、善人の顔をしてそんなことを――」
 対する声は激昂していた。
 鋭く細められていた青の瞳が、ふいに和らぐ。
「関係があるんだよ。――君がそんな風だと、とても困るんだ」
「……なんだよそれ」
「憎悪では、君が身に付けているものの力を引き出しきれないから」

 目的を果たしてもらわなくてはいけないから、それは困るんだよ――。




即位




 閉ざされていた瞳を開けると、の目の前に心配そうな夫の姿があって。
 こんな風に不安げな顔をされるのは、一体何度目だろうかと考えてしまう。
。大好きよ」
「………いきなりどうしたんだ?」
「分からないけど、言っておきたくなったの」
 は身体を起こし、例のごとくベッドで眠っていたのだと知った。
「もしかして、天空の武具がある部屋で気絶でもしてた?」
「もしかしなくてもそうだよ。頼むから、独りで無茶はしないでくれ」
 言いながらも、彼が本心では心配のあまりに、武具に触れて欲しくないらしいことを、は理解していた。
 如実に、表情に表れているからだ。
 そのものを口にしないのは、が記憶を取り戻したがっていると知っているからで。
「ごめんなさい」
「いいんだ。でも本当に、無茶をしないでくれよ? ジゼルが凄い剣幕で……まあとにかく、そういうことだ」
 苦笑しつつ頷き、は子供の入った腹部をゆるりと撫でた。
 妊娠中は、もうあれには触れないでおこう。
 母体が受けた衝撃が、少しでも子に影響してしまったら可哀想だ。
 身体に変調はないけれど。
 ――それにしても、さっきの夢はなんだったのだろう。
 剣に触れた瞬間に意識が失せて、一瞬で眠りに落ちた。
 いつものように映像を見るのではなかったけれど、あれも自分の記憶なのだろうか。
 難しい顔をしているとが心配するからと、はすぐに考えを打ち切った。
「ところで、即位の日は決まったの?」
「ああ。だいたい10日後ぐらいだそうだ。急なことで、各王家には通達だけが行く状態になりそうだけど」
「それじゃあ、ヘンリーはの即位式に出られないんだね」
 それは実に残念だ。
 ヘンリーと旅をしたことが、つい先頃のことのように思える。
 との結婚に関しては、更に手近に感じた。
「早くて短いようで、結構時間経ってるものなんだね」
「案外城の中で動いている方が、時間が加速している気がするんだよな……」
「あ、それは私も思う」
 旅をしている間は苦労も多いが、その分、時間に厚みがある。
 こうやって豪勢なベッドに横たわっているより、草いきれの中を歩いている方がずっと充実していると言ったら、周囲に怒られるだろうか。
 ここへ着いた時に着ていた普段着は、クローゼットの住人になっている。
 豪華な刺繍の入った服を着て、王族らしく振舞わなくてはならないのだとしたら、それはにとっては苦痛かも知れない。
「即位すると、もっといろいろ変わるんだろうな……にしても……」
「ど、どうしたんだ?」
 軽く腹を撫でるは、ややあって首を振った。
「ううん、なんでもないんだけど。ここんとこお腹が凄い張ってるんだよね……お医者様は大丈夫だって言うんだけど」
 なんとなく、足の付け根辺りが痛い気がもして。
 以前ほど子供の動きも感じられないし、少しばかり不安だ。
 初産だけに知識がなく、状態が正常なのかそうでないのかいまいち掴めないせいだろう。
「医師を呼んでこよう」
 真剣な顔で傍から離れようとするを、は手を引いて止めた。
「大丈夫だから。……きっと丈夫な子を産むからね。に似てるといいな」
「俺はに似てて欲しいけどな……いや、女の子だと結婚の時に泣けるかも……」
 真剣に唸る夫を見て、はくすくす笑った。
 まだ生まれてもいないのに、もう結婚のことまで考えているのかと。
「ね、名前はどんなのがいいかな」
「……男だったら……そうだな」
 そうだなと言いながらも、また唸り出す
「直ぐに決めなくてもいいんじゃない?」
は、これだ、っていうのはないのか?」
「んー……」
 ……やはり急には思い浮かばないものだ。
 子供の人生を左右するものゆえ、慎重になるものらしい。
「ま、まあ……もう少し考えてみようよ」
「ああ」
 微笑み、の額に口付けを落とした。





 産みの苦しみというのは、その後の幸せのための大切な儀式。
 舌を噛み切りそうな痛みの中で、はひたすら子が無事に生まれることだけを願っていた。
様っ、気を失われてはなりませんよ!」
 助産婦の叱咤激励を支えに、遠くなりそうな意識を引き戻しながら、は只々耐える。



 赤く長い絨毯の上を、は今まで着たことはおろか、見たこともないような豪華絢爛な召し物に包まれて、正面にに見える現王オジロンに向かい、一歩一歩、歩を進めていた。
 たっぷりとした、紫色の豪華な外套を少々鬱陶しく感じつつ、は周囲に目を走らせないよう、とにかく注意をする。
 オジロンから王冠を頂き宣言を受ければ、はこの城砦国家の王だ。
 おのぼりさんの如く、あちこちキョロキョロしていては不味い。
 精悍な顔をなさっていて下さいとサンチョには言われたものの、そんなもの、どうやって形作ればいいのかにはサッパリ分からない。
 本人なりには実行しているつもりだが、これでいいのかどうか。
 後々、この式典を見た人が『今度の王様は緩い顔してるな』と言い出さないことを願う。
 もしも横にがいたなら、この訳の分からない緊張感も少しは紛れたに違いないが、今彼女は出産という戦場の中だ。
 まさか戴冠式のその当日に産気づくとは、誰も思ってはいなかった。
 朝から式の支度に追われていたは、が苦しみ出したその瞬間から、儀式どころではなくなってしまった。
 をはじめ、オジロンやサンチョも慌てふためき、いっそ式を先送りしようかなどと相談し始めた折、当の
「皆が準備したのに、無駄にしちゃだめ」
 陣痛に苦しみながらもぴしゃりと言い放ち、結局、こうしては深紅の絨毯の上にある。
 本当は、彼女の側についていたい。
 ――もっとも、結局自分にできることは、待つだけだっただろうけれども。
 余計なことを考えながらゆるりと歩を進め続け、玉座の前に立つオジロンと向かい合う。
 オジロンもまた、どこか緊張した面持ちであった。
 彼の手が軽く上げられ、人々の、それまであった微かなざわめきがひたと止まった。
「余は長らく先代王から玉座を預かって参った。しかし神の導きによって、先代パパス王の遺児が現れた。真にこの国を受け継ぐべき者へと玉座を譲れることを、余は誉に思う」
 オジロンは己の頭上に輝いている王冠を両手にする。
 は彼の足元に跪く。
 サンチョから五月蝿く言われた作法を、間違えていなければいのだが。
 頭上に、軽い重みが加わった。
「パパス王の遺児。余は王座を借り受けた者としての権限により、グランバニア王としてそなたの即位を宣言する。異存はあり申すか」
「――いいえ。謹んで、お受けいたします」


 が即位した、その瞬間。
 空中庭園の花壇の際でまどろんでいたプックルが、ふいに首を上げた。
 赤子の声が、聞こえた気がした。




時間とびが説明不足で理解しづらい…スミマセンです(汗
2008・9・12