グランバニア 2



 記憶がないとはいえ、は自分を、一般庶民だと思っている。
 下手をすれば、旅人という立場の人間は、家を構える民よりも豪華さに免疫がない。
 それなのに、今、彼女とその夫がいる場所は、豪華絢爛そのもので。
 正直、居心地が悪い。
 天井には大きく美しいシャンデリアが3つも4つもあり、その他の室内灯にも、細かな装飾が施されている。
 赤ぶどう色の美麗な絨毯は、上に乗っていることがはばかられるほどだ。
 兵士たちは背筋を正し、ピクリとも動かない。彫像かと思うほど。
 きょろきょろしないように努めるが、その努力はあまり実らなかった。
 だけではなく、までが周囲を見回している。
 ぴりぴりした空気の中で、だけが、田舎根性丸出しだ。
 サンチョがひとつ咳払いをし、王の前に膝をつく。
 も、あわてて膝をついた。
「手順を踏まぬ謁見の申し入れを受け入れていただき、ありがたく存じます!」
「頭を上げよ、サンチョ。朗報を持ってきてくれたのであろう?」
 王の声は優しい。
 は、とひとつ返事をし、サンチョは立ち上がった。
 釣られるように2人とも立ち上がる。
「閣下。こちらにおられますのは、パパス王の実子、王子にございます。その隣が王子の妻、殿です」
 目を輝かせ、王は半ば身を乗り出して、紹介された両名を嬉しそうに見やる。
 が一礼し、口を開いた。
「わたしはパパスの息子、と申します。こちらは家内の
 紹介され、はぺこりと頭を下げた。
 王は玉座から下り、およそ5段ほどの階段を下りて、の手を握った。
「いや、なんと。兄上のお子が戻り、成婚までされておるとは! わしはオジロンと申す。の叔父に当たりますな」
「閣下! やたらと友好的になられては国家の威厳が」
 批難の声を上げたのは、オジロンの側近である大臣だった。
 中央だけが禿げ上がった、少し細い目の大臣は、王の態度に苦言を呈する。
「何を言う」
 オジロンは首を振り、の手を離すと、突然彼の前に叩頭した。
 ぎょっとして、一歩あとじさる
 も目を瞬き、目の前の光景にただ驚くばかり。
「兄の子息が戻ったからには、わたくしは王の身分を速やかに返上し、真実、正当なる継承者であらせられます王子殿下に、あらん限り、身を尽くす所存にございます!」
「あ、頭を上げてくださいオジロン王、俺は……いや僕は……」
 戸惑う。オジロンはぐっと頭を上げた。
 彼の目には、王座を離れることへの厭いは全く見当たらなかった。
 本心から、に王座を継いで欲しいと、そう願っている者の瞳だ。
 に声をかけようとした時――ぐらり、頭が揺れた。
 膝から力が抜けて、重力に逆らえなくなる。
 いやに身体が重たい。目が勝手に閉じていく。世界が遠くなる。
 最後に感じたのは、の手の温もりだった。


 頬に暖かいものを感じる。
 次いで、優しい声が降ってきて、はゆるりと瞳を開いた。
「……
……?」
 彼の顔が目の前にある。
 不安そうな表情をしていて、一体どうしたのかとこちらも不安になった。
 背中の下に感じる柔らかい感触で、自分がベッドに寝ているらしいことに気付く。
 体を起こそうとして、に止められた。
「まだ寝ていた方がいい。気分は?」
「大丈夫」
 横になったまま額に手をやり、何がどうなったのかを思い返す。
 確か、オジロン王との謁見の最中に、急に気が遠くなって。
 まさか、体調不良で倒れたのだろうか。
 だとしたら、なんとも申し訳ないことをしてしまった。
「私、疲れて倒れたんだね」
「違うよ。疲れじゃないんだ」
 言うの顔は、先ほどの不安から一転し、それはそれは嬉しそうで。
「どうか、したの?」
、妊娠してるんだよ、君は。――俺の子供を身ごもってるんだ」
 …………妊娠。
 全く予期していなかった言葉。
 聞き違いにしてはが喜びすぎているし、冗談でそんなことを言う夫ではない。
 思わずお腹を撫でてみる。
 確かに、以前に比べたら太ったような気はしていたけれど――まさか妊娠だなんて。
 一気に歓喜がせり上がって来て、の手を強く握った。
 喜んで叫びたいのか、嬉しくて泣きたいのか。
 分からないけれど、とにかく――とにかく嬉しいことに間違いはない。
。嬉しい?」
「決まってるよ……の子供なんだもの」
 微笑むの口唇に、のそれがやんわり下りてくる。
 何度も繰り返されるキスの合間に、は同じく何度も「愛している」と囁く。
 寝起きの身には、少しばかり激しいというか、心臓に悪いというか。
 調子付いてきたの行動を、胸を押すことで止めた。
 互いに少し、息が上がっている。
 たぶんきっと、そんなことをしている場合じゃないのに。
「それで……何がどうなったの?」
 話題を差し込むに、は少し残念そうな顔をし、離れた。
 はそれでやっと周囲を見回すことができ、自分の眠っていたベッドが、思わぬほど大きく、豪華だったと知った。
 彼は、先ほどまで座っていたであろう椅子に腰を下ろし、軽い溜息を吐く。
「オジロン王に、王位を継いで欲しいと言われたのは覚えているか?」
「あの衝撃的なシーンは、さすがに忘れないよ」
「まあ……確かにな」
 パパスは確かにこの国の王だった。
 大臣はの出生についてごねたようなのだが、事実、彼はこの国の王子。
 調べれば容易に分かることだし、第一、パパスの付き人だったサンチョが、本物であると明言している。
 疑いを挟む余地はない。
 となると、が王位を継ぐことは、至極真っ当なことだ。
 ましてや、現在王座を預かっているオジロンが、それを強く望んでいるのだから。
「……想像していないようなことになっちゃったね」
 呟く。彼が王座につけば、きっといい王になるだろう。
 だけれど、そうなる彼を想像することは難しかった。
 今はまだその時ではない気がする。
 王座に腰を落ち着けて国をいい方向に導くには、勇者とその武具を探しきってしまわないと。
 さもなければ、はきっと政に本腰など入れられまい。
は、王様になりたいの?」
「まさか」
 ただ、説得され続けたら「うん」と言ってしまいそうだと、彼は苦笑した。
「とにかく、王になるための試練というものを受けに、明日から出てくるよ。サンチョとオジロン王に懇願されたら、断りきれなくてさ……」
「それじゃあ私も……って訳にはいかないか」
 さすがに、腹に大事な子供を抱えていると知っていながら、戦闘できるはずもない。
 の手が、の髪先を弄る。
「すぐ戻るよ。だから大人しくしていて」
 彼の言葉に、は微笑む。
 ――それは、なかなか難しいご要望ですこと。


 の「すぐ戻る」の言葉通り、彼はおそろしい勢いで行って、戻ってきた。
 普通かかるとされている、およそ半分の時間で戻ってきた
 民は驚くとともに期待を寄せ、結果、オジロンの「王になれ」攻撃が、更に激しくなったことは言うまでもない。

「……の傍を、あんまり離れたくないからって理由で、頑張っただけだったのになあ」
……間違ってもそんなの、他の人に言っちゃ駄目だよ」


2008・6・10