グランバニア 1



……。着いたよ」
「ん……」
 に揺り動かされ、は閉じていた瞳を開いた。
「…………?」
「大丈夫か?」
 反射的に大丈夫だと答えながら、自分がなぜ馬車で寝ていたのかを思い出した。
 山越えのために洞窟を進んでいた最中、またも体調不良に襲われて、に寝ているよう言われたのだった。
 よほど深く眠っていたらしく、夢も見なかった。
 それにしても、ここ最近の具合の悪さは、尋常ではない。
 きちんと医師に看てもらうべきだろうかと思いながら、待っていてくれたの手を取る。
「気をつけて」
「うん、ありがとう」
 綺麗に舗装された道の上に立ち、の手を離す。
 日が昇ったか昇らぬかのうちに山村を出発したからか、まだ太陽が高いうちに到着できたようだ。

 城塞都市グランバニア。
 目指してきた場所が、目の前にある。
 は目を瞬く。
 ――こんなに大きいとは思ってなかった。
 都市を内包しているという建物――というか城なのだろう――は、それはそれは大きい。
 外敵に供えての外壁と内壁は、どちらも厚みがある。
 城門は閉ざされていて、見張りが2人ほど立っていた。
 赤煉瓦で構成された建物は見応えがあるけれど、そのまま突っ立ってもいられない。
「……それで、これからどうするの?」
「とりあえず、知人に会おうと思うんだ」
 知人?
 首を傾げるは微笑む。
「さっき、通りかかった人が教えてくれたんだけど……サンチョっていうんだ。昔、話したことがあっただろう?」
「サンチョさん……」
 確か、の父親パパスのお供であり、幼いにとっての母親のようなもの、だと記憶している。
 パパスが亡くなって、が奴隷生活に身をやつして、生き別れの状態になっていた人だ。
「外壁と内壁の中にある家に住んでいるらしい」
「そう……それじゃあ、早く行こうか」
 馬車を見張りの兵士に渡す。
 どうやら、外客用の厩の方へと持って行かれるらしい。
 仲間モンスターは皆、馬車の中にいるが、事前に兵士をが説得し、騒ぎもない。
 暴れるような者たちではないし大丈夫だろう。
 に続いて、サンチョなる人物の家へと向かったが、少しばかり歩いただけで、すぐに見つけることが出来た。
 所謂一般的な建築物で、目立つ箇所は見当たらない。
 窓辺には花瓶があり、綺麗な花が生けられていた。
 中で誰かが笑う声がある。来客者がいるのだろう。
 は少し迷ったが、が本調子でないことを思ったのだろう。
 ノックをし、声をかけた。
「すみません。こちらはサンチョさんのお宅ですか」
 ややあって、扉が開く。
 はいはい、と出てきた男性は、を見るなり驚愕に目を見開いた。
 まるで幽霊でも見るみたいな表情。
 苦笑すると、驚いて動きを止めている男性を見比べ、は仕方がないことだと思った。
 十数年も会っていなかった人だし、恐らく幼い頃のしか知らないのだから。
 それだけ長い時間会っていなくても、だと直ぐに分かったらしい男性。
 本当に、を大事に思っているのだろう。
「……まさか……坊ちゃん、坊ちゃんですか」
「そうだよサンチョ」
 途端、男性の顔が涙でぐちゃぐちゃになる。
 涙を拭う暇すら勿体無いとでもいうように、の両手を力強く握っては振った。
「坊ちゃん! ああ、生きていらしたんですね! ええ、このサンチョ、信じていましたとも!!」
「サンチョ。苦労をかけてすまなかった」
「何を仰います! 坊ちゃ……いえ、様に比べたらそんなもの!!」
 サンチョの後ろから、先ほどまで談笑していたらしいシスターが顔を出し、を見るなり血相を変えた。
 恭しくに頭を下げ、サンチョに何かを耳打ちすると、急ぎ足でその場を立ち去ってしまう。
 どうしたのだろう?
 疑問に思いながら、サンチョに視線を戻す。
 彼はポケットから丁寧に折りたたまれたハンカチを取り出し、ぐしぐしと涙を拭いた。
「サンチョ。紹介したい人がいるんだ」
「ええ……先ほどから気になっておりましたが……そちらのお嬢さんは」
 に肩を抱き寄せられ、は微笑み軽く会釈をする。
「彼女は。俺の妻なんだ」
 サンチョの目が、また大きく見開かれる。
 は再度、お辞儀をした。
「初めまして。と申します……の妻、です」
 先ほど止まったばかりのサンチョの涙が、またも溢れ出す。
 次から次へと驚きやら感動やらがやってきて、彼の心ははち切れそうになっていた。
「ああ……今日はなんという日だろう。様のお顔を拝見できた上、お嫁さんまで連れていらして」
 力をこめてハンカチで涙を拭い、サンチョは息を吐き出した。
 顔を引き締め改めてを見返し、彼は深々と頭を下げる。
「わたくしめはパパス様の付き人で、幼少の様のお世話役をしておりました、サンチョと申します」
 彼は幸せそうに微笑み――だがその顔が、突然不安にけぶる。
「……それで、パパス様は……ご一緒では」
 はただ、首を横に振った。
 それだけで事実が伝わる。サンチョはうな垂れ、深い溜息を落とす。
 ややあってひとつ頷き、顔を上げた彼の目に、悲嘆の色はなかった。
様。さあ、参りましょう」
「参るって……どこへだ?」
「決まっております! 王様にお目通りするのです!」
 は顔を見合わせる。
 確かに、城の中に入る予定はあった。
 の父、パパスについても色々な人に尋ねてみるつもりではあったのだが、王様に謁見することになろうとは。
 ――というか、いきなり来て、謁見なんて可能なのかな。
 普通は無理だろう。
 けれど、もしも本当にパパスが――テルパドール女王アイシスの言う通り、グランバニアの王だったのなら。
 その息子のは、王子だ。
 不安そうに彼を見る。
 はいつもと変わらず微笑み、の耳朶を指先でくすぐった。


 サンチョに連れられて入った城内。
 城砦国家の名の通り、城の中に町並みが広がっている。
 いくつか大きな城や町を見てきたではあるが、こういう造りのものは初めてだ。
 家々は切り岩で造られている。煉瓦で造られた、赤茶けた街路は見事にたいらだ。
 城砦国家というと、いかめしいような印象があるのだが、無骨な感じは全くない。
 下手をすればラインハットよりも広いこの国。
 それでもが見る限り、細い街路までとても綺麗だし、スラム化している場所もない。
 厳粛な雰囲気でありながら、かといって締め付けらている風でもなし。
 人の顔は総じて明るいし、商店も賑わっている。
 もし、腰をすえて住むのなら、ここがいいとはっきり言える位、はグランバニアを素敵な国だと思った。
 ただ、気になることが。
「ねえ……みんなを見て驚いてない?」
「実は俺もそう思う」
 特に、大人――老人の驚きが顕著だ。
 先ほどまで元気のなかった老年の人までもが、を見た途端、瞳を輝かせているのが印象的で、不思議でもあった。
「さあ、こちらですよ」
「なあサンチョ……俺って目立つのかな」
 訪ねるに、サンチョは大きな声で笑った。
 両親の面影が色濃いから、特に年のいった人が驚くのだと。
 は、パパスの顔を知らない。
 けれどきっと精悍な人だったのだろうと思う。
 に似ているのなら、きっとそうだ。
 サンチョははっきりとは言わないが、パパスがこの城の王であったことは、きっと間違いない。
 は今更ながら、凄い人と結婚してしまったのかも知れないと思った。

 少し居心地の悪そうにしながらも、サンチョに続いて進んでいく。
 大階段をふたつばかり上り、城内の空中庭園とでもいうのだろうか、広い場所を囲む脇の通路を行く。
 それにしても、広い城だ。
 具合が芳しくないにとっては、余り嬉しくない距離。
 まだ遠いのだろうかと思った矢先、大きな扉の前に到着した。
 兵士が2人、場に構えている。
「これはサンチョ殿。先ほどシスターからご連絡がありましたが……もしやそちらの方が」
「うむ。とにかく、話は後でよかろう。今は」
「は、これは失礼を。大臣と王様がお待ちでございます」
 恭しく礼をし、兵士たちは扉に手をかける。
 蝶番が軽く軋む音がし、緩慢な動きで大きな扉が開いた。



2008・4・11