船旅



 海に揺られて何日も過している。
 船が揺れても船酔いしないでいられる体質でよかったと、は心から思う。
 ……何日も何十日も陸を見ないで生活している状態で、船酔い体質だったらたまらないだろうなと思うからだ。
 ついでに魚が嫌いではなくてよかったとも思う。
 何しろ先の行航路を考えて食事をしているの。
 たくさん食料を積んでいるとはいえ、備えのために魚を釣って食べたりすることも多いのだから。

 テルパドール以後、一行はあちこちで情報収集を試みながら、徐々にグランバニアに近づいていた。
 女王アイシスの言が正しいならば、かの国はパパスが国王として立っていた国。
 の出身地でもあるはず。
 の母を探す手がかりがあるかも知れないと、次の目的場所に定めたのだった。

 は船の縁に腕を乗せ、流れていく景色――といっても見えるものといえば海ばかり――を見つめていた。
 船体に波が当たり、白波が弾けては流れていく。
 進行方向には目的の陸地が見ているから、このまま行けば明日か明後日にでも到着するだろう。
 新大陸には新しい魔物もいるだろうから、準備を怠らないようにしなくてはならない。
 海も当然ながら、陸地とは出てくる敵が違って最初の頃は慌てたものだ。
 ひとことで青と言っても様々な色合いを見せる海は、けれど最初の頃より当たり前だが新鮮味がなく。
 長い息を吐きながら、ふ、と視線を下に下ろした。
 ――つまり、海面に。
「……?」
 ふよふよ浮かんでくる白いもの。
 間違いなく太陽はない。
 不思議な面持ちでそれを見ていると、ある事に気づく。
 もし漂流物なら、船は動いているのだから、その白い物体も流れて行ってしまうのでは?
 思った瞬間。
 白いものは水の中から次々と飛び上がって、甲板にべしゃっと突っ込んできた。
 耳障りな音を立てて白いそれ――しびれくらげ3匹――が仲間を呼ぶ。
 慌てて腰に差した白光石の剣を構え、一気にケリをつけようとしびれくらげに斬りかかる。
 ざしゅっと音を立てて一匹を薙ぎ、返す刃でもう一匹、と思っていたのだが。
「っ!」
 背中に感じた気配にしびれくらげを飛び越えて、剣を構えなおした。
 いつの間にか背後にマーマンダイン、ネーレウスにキラーシェルまでがやって来ていた。
 ちっと舌打ちし、距離を取ったままで敵と対峙する。
 海面ならベギラマでしびれくらげを一掃できるだろうが、船の上では得策ではない。
 木材で作られた船体は燃えてしまう。
 メラ系の呪文もきちんと敵を捕捉していない限り、船を沈める原因になる。
 ネーレウスが魔法を唱えようとしている素振りを見せたのに気付き、は慌てて攻撃しようとする。
 焦って大振りをしたため、マーマンダインからわき腹に強烈な一撃を喰らった。
!!」
 壁にぶつかる一瞬前に、力強い腕に助けられた。
 ズキズキと、棘を刺してくるわき腹の痛みに顔をしかめつつ脇を見ると、が敵に視線を固定したまま、背中を支えていた。
「大丈夫か? 遅くなって悪かった」
「平気。――っそ、それより魔物を」
 は自分がしっかり立てる事を確認し、の腕から離れる。
 吹き飛ばされても剣を手放さなかった自分を、褒めたいところだと思った。
 甲板では、敵味方入り混じっての混戦状態が繰り広げられている。
 しびれくらげは殲滅しない限りどんどん仲間を呼ぶため、それが皆の負担になっているようだった。
 プックルはマーマンダインで手一杯で、コドラン、ピエールやスラリンたちがしびれくらげを相手している。
「俺がネーレウスを相手するから、キラーシェルを」
 頷き、は今まさにベホマンに噛み付こうとしていたキラーシェルに剣で切りかかる。
 がちんと硬い音がして、貝の上部分が欠けた。
 キラーシェルは相手をベホマンからに移行し、その大きな口で手に噛み付こうとする。
 鋭い牙が腕に食い込むその前に、は剣を逆手に持ち、キラーシェルの貝柱に向けて白閃を走らせる。
 その一撃は身体を真っ二つにし、キラーシェルは黒い粒子になって掻き消える。
 ほ、と息を吐いたの耳に、いきなりの叫びが入ってきた。
「避けろ!!」
 肌を突き刺す刺激のようなものを感じ、は慌ててその場から飛び退って身を低くした。
 視線の先をネーレウスの放った稲光が駆ける。
 危ないところだった……。
 お礼を言おうと口を開く前にに視線を向けると、彼はちょうどネーレウスを撃破しているところで。
 プックルもピエールもスラリンも、みんな戦いを終え、今は傷の手当てをしている。
 息を吐き、に近づいてきた。
、怪我は?」
「私は平気。は?」
「見ての通り、何とかかすり傷程度で済んだ。……他の皆も酷くはないからよかったよ」
 そうだねと同意し、は剣を鞘に収めた。
「さて。そろそろ中に戻ろう。操舵主にも状況を報告しておかないといけないしな」
「そうだね。私も戻ることにする」


 それから更に何日か掛かって、船は大陸に到着した。
 船を船乗りたちに任せ、馬車を大地に降ろす。
 見渡せば、起伏に富んだ山々が、夕暮れの橙色に染まっている。
 が道具袋を腰に据えつけていると、が地図を広げながら側に来た。
、グランバニアへ行く前に、宿屋で休憩しよう。山越えは今からじゃ危険だろうから」
「そうだね」
 同意し、馬車を率いて歩き出す。
 目的地である宿屋には、日が落ちる前に到着した。
 ネッドの宿屋、という名前の通り、そこはネッド夫妻が切り盛りしている宿だった。
 小さな宿で、たち以外は誰も泊り客がいなかった。
 食事として出してもらった暖かなスープを口に入れながら、は窓から山を眺める。
「……アレを登るのね」
 翌日の事を考えると、ほんの少し足が重くなる。
 旅をしていて山を登ることなど茶飯事的ではあるが、低めの山ならともかく、明日登るのは結構な高さだ。
 ネッド夫婦に聞くところによると、グランバニア側へと通過するのに、少なく見積もっても2日はかかると言う。
 ネッド夫人は、テーブルの上にパンと肉、野菜を出しながら息をついた。
「山を登るのは、本当はお勧めしないんだけどねえ……。山の魔物は、この周囲より凶暴化しちまってるし」
 が顔を見合わせると、夫人は肩をすくめた。
「以前はもっと簡単にグランバニアへ行けたんだけどね。今じゃ、屈強な男だって根を上げるってんで、うちも商売あがったりさ」
 ネッド夫人のぼやきを聞きながら、翌日の行路に不安を覚えるだった。


 翌朝早く、は宿を出立した。
 登山道へ入り、最初の方こそ会話する余力があったのだが、昼を過ぎた頃からも徐々に口数が減っていき、夕刻に入ると殆ど口を開かなくなった。
 ただでさえ山道だけでも辛いというのに、そこに敵がわんさとやって来るのだ。
 普段より疲労がたまるのが早いのも、当然のことと言える。
、大丈夫か……?」
「大丈夫だけど……こんなにキツいと思わなかった」
「俺もだ……。少し早めに休んだ方がいいな。とはいえ休める場所が……」
 自分たちが立っている場所が、どうにも野営に適していない場所だった。
 足場が狭い上に、斜めだったりしてい所では、夜襲を受けたら大変なことになる。
 仕方なく、一行は疲れた身体を引きずって進み、何とかかんとか山窟まで辿り着いた。
 山窟はずうっと奥まで続いており、通り抜けるには更に時間を要しそうだ。
 が馬を休ませている間に、は仲間達に食事を出した。
 自分とも食事をし、一息ついてから剣の手入れを始めた。
 仲間達は物凄い勢いでぜんぶを平らげると、見張り番を買って出たピエール以外は、すぐさま眠りについてしまった。
 疲労の色が、いつもより濃かったのだろう。
 かく言うも、油断すると眠ってしまいそうだ。
 目を擦っていると、が剣を鞘に収めた。
「眠いなら早く寝た方がいい」
はまだ起きてるの?」
「いや、もう寝るよ。ピエールと交替しないといけないしな」
 言うと、は横になろうとするを止め、馬車の中から布を取り出して彼女に纏わせた。
「……
 なに? と返事を返そうとして、口唇を塞がれた。
 優しい口付けは直ぐに離れ、の髪をくしゃりと撫で付けた。
「お休み」
「お休みなさい……」
 は微笑み、瞳を閉じた。



2008・1・8