砂漠の夜



 蒼闇に包まれた世界に、砂漠の砂は月に照らされ、白く輝いて見える。
 が寝た後、は独り、静かに外を歩く。
 早く寝た方がいいに決まっているのに、眠れなかった。
 女王アイシスから貸し与えられた部屋は、客間だけあって豪華で、ベッドの寝心地など最高だったけれど、身体が眠りに落ちてくれない。
 理由はたぶん、天空の兜に触れた際に見た、映像のせいだろうと理解はしていた。
 考えても結論は出ないだろうに、それでも考えてしまう。
 は小さく息をつき、城の外周通路をゆるりと歩く。
 誰もが眠っていて、奇妙に静かで、砂の移動する音すら聞こえそうだ。
「――眠れないのですか」
 いきなり気配が現れ、は驚いて背後を見やる。
 すると、いつの間にやら女王アイシスがそこに佇んでいた。
 は静かに頷く。
「色々なことで、頭がいっぱいみたいで。――アイシス様は?」
「わたくしは、貴方と話をしに来たのです」
 並の男ならとろけるであろう妖艶な笑みを浮かべ、アイシスはの横に立つ。
 アイシスは、城の周囲に広がる砂漠に視線を向けた。
「あの……私に話って」
「貴方は、自分の存在に違和感を感じていますね」
 何も知らないはずの女王に言い当てられ、は驚きを感じて目を瞬いた。
「自身が何者であるか、それを知らぬ貴方なのだから、無理からぬことですね」
「女王様は、私が何者かをご存知なのですか!?」
 期待を込めて訊くが、彼女は首を振る。
「人はわたくしを、占えば知れぬことなどなき者と言うけれど、それは間違いです。知れぬことがいかに多いか……。貴方が何者かなど、知る由もありません」
「……そう、ですか」
 少なからず残念に思う
 アイシスは細く息を吐き、同じように吸った。
 は、少しばかり離れている西の棟に視線を移す。
 天空の兜――かつては勇者が持っていたそれ。
 の視線の先に気付いたか、女王は静かに微笑む。
「この地は、勇者様のためにあるのです。いずれまた世界の危機がやって来た際には、勇者様があの兜を取りに参られる……」
 それまで兜を護り、勇者の伝説を伝えていくのが、ここ、テルパドールの民の使命なのだと、彼女は言う。
「貴方は、少なからず勇者様にご縁のある方のように思います」
 アイシスはゆるりとの手を取り、瞳を細めた。
「それがどういった縁かは、わたくしには分かりません。失われた記憶が戻れば、それら全てに答えが出るでしょう。――でも、今でも分かることは」
 彼女は微かに微笑む。
。貴方は、望まれぬ何かではないということです。無用に怖れるのはお止しなさい。貴方の連れは、貴方を心底、愛しいと思っているのですから」
 口を噤んだままのの手を、アイシスは離した。
「――ここからずっと東にある、グランバニアという国をお尋ねなさい」
 唐突な切り口に、は一体なんだか分からず目を瞬く。
 アイシスは妖艶に微笑んだ。
「そこは、かつてパパスという王が治めた国です」





 テルパドールを出てからのは、物思いにふける事が多くなっていた。
 それに気付いていないのは本人だけで、周囲が心配そうに見つめている事に、自身は気付いていない。
 来る時も泊まったオアシスで、野営の準備をしている時もぼうっとしていたりするし。
 心配しながらも、それを指摘する事はなかった。
 とりあえず、今までは。


 は何をするでもなく、ただ目の前で爆ぜる焚き火の炎を見つめていた。
 ゆらゆらと揺れるそれは橙がかった赤をしているけれど、の記憶に競りあがってきたあの映像では蒼かった。
 炎の色に意味があるとは思っていない。
 だけれども、映像のひとつひとつが気になってたまらない。
 老婆が何者なのか。
 何故、あんな言葉を発していたのか。
 気にしていても、何かが分かる気配もないのだが、気にせずにいられない。
 深々とため息をついたのと、肩を叩かれたのは同時だった。
「……
「あ、え。……どうかした?」
「どうかしたんだよ。一体何を悩んでるんだ?」
 何でもない、大丈夫だと言おうとして、あまりの彼の真剣さに言葉が出なくなる。
 心配してくれるのが分かって、この場をやり過すための言葉を言えなくなった。
 暫くオアシスの湖面を見つめて、言おうか言うまいか考え――あっさり言う事に決める。
 秘密を抱えて生きていく事は多分可能なのだけれど、でも、は答えを求めているから。
「……あのね、私の記憶だと……思うんだけど。この間は天空の盾に触れたとき、今度は兜に触れたときに……映像とか声とかが流れ込んできて」
 は包み隠さず、に話して聞かせた。
 おそらく幼い自分に声をかけているでろう、老婆の事。
 言われた言葉、その内容。
 円状の場所の事。
「それと……これは滝の洞窟での事なんだけど」
「滝の洞窟って、水の指輪を取りに行った、あの?」
 頷き、は洞窟の探索最中に思い出した事を告げた。
「あのね、滝がすごく近い場所があったでしょう。石橋みたいな所で……」
「ああ、途中の道な」
「そこで、上から散ってくる水滴を見て粉雪みたいだって思って……それから……雪をだいぶ見てないなって思ったの。今のところこれで全部記憶に関して話したと思う」
 は口を噤み、を見守った。
 彼ならば、自分より的確な考えを示してくれるような気がして。
 顎に手をやって考えていたは、の顔を見、首を振る。
「……完全な憶測だぞ?」
「うん」
はさ、俺と結婚する時に……自分の存在が、俺の今後に物凄く問題を与えるって言ってただろ?」
 言うに、は頷く。
「あの時はさ、フローラさんとビアンカが結婚候補者だから……そう言ってたのかと思ったんだけど、何だか今の話を聞くと違うんじゃないかと――思う」
 首を傾げるに、彼はまた暫く考える素振りを見せ、それから言葉を発する。
「『俺のこれから先』を、まるで知ってたみたいじゃないか? その『先』を壊さないために、は必死で俺を拒否してた――みたいに思えるけど」
 言われてみれば、確かには、と自分が結婚するなど、絶対にあってはならないことだと思っていた。
 何故そう思うのか。
 失った記憶に原因があるとしか思えない。
 もし本当に、のこの先を知っているのだとしたら、それが何故なのかも分からない。
 いずれにせよ、分からないことばかりだ。

 考えに沈んで行こうとするの額を、は軽く小突いた。
、痛い……」
「余り考えこむな……っていうのは、無理な話かも知れないが。徐々に思い出していけばいい」
「……うん。今は深く考えないようにする。ありがとう」
 ごめんね、は胸の中だけにしまっておくことにした。
 の肩に寄り添い、瞳を閉じる。
 きゅ、と抱きしめられれば不安はなりを潜めていった。
 彼の暖かさは今も昔もに必要で。
 も自分を必要としてくれていれば――支えになっていられれば――嬉しいのだけれど。
 湖面に映る月を脇目に、に口付けた。
 不安なんて感じなくていいと言うように。




2007・11・23