過ごす時間 5 とは、特に何を言うでもなく、ただぶらりと歩いていた。 宿屋に戻り、夕食を済ませ、それからいつものように用具の手入れをしていた折、が外へ出ようと進言してきた。 断る理由も特になく、は彼について、ここにいる。 無言のまま歩いていると、そのうちに噴水広場に出た。 「少し座ろうか」 の進言に、は頷く。 少しの間を空けて噴水の縁に座った。 はを見やり、考え込んでいるらしい様子の彼に言う。 「悩んでる?」 「……ああ、悩んでる」 何を悩んでいるのか、聞く必要などなかった。 彼が目下、悩むことといえば、結婚に関して以外の何物でもない。 夜の闇にすっぽりと覆われたサラボナの景色。 と共に見れる、最後の景色かも知れないと頭の隅で考える。 今までずっと――この世界で目覚めた時からずっと、の隣で生きてきた。 幼い頃から、彼の隣にある自分が当たり前で、これからもずっとそういられるのだと、そんなことを思っていた。 けれど、それは間違い。 旅をし始めた辺りから分かっていたことだけれど。 「……結婚について悩むのは、多分、普通のことだと思う」 無言のままでいるに、は話しかける。 話しかけるというよりも、呟くと言った方が正しいが。 背後に聞こえる水の音が、心を落ち着けてくれている気がした。 「どっちもには、大事なんでしょ?」 「――分からないんだ」 彼は足の間で指を組み、うな垂れる。 は静かに問う。 「どう、分からないの?」 「フローラさんは優しい人だし、ビアンカは幼馴染で……どちらにも好意を持ってるのは間違いないんだ」 でも、と付け加える。 「本気で結婚するほどに彼女たちを想っているかと問われると、俺は俺の心が分からない。 俺は――結婚したからって、仕事をして生活すればいいって訳じゃなくて、きっと、いや絶対に旅を続ける」 その通りだった。 母親を探し、勇者の武具を探し、ひいては勇者そのものを探す。 は使命を帯びているも同然だ。 勿論、ここで全てを忘れて生活する術だってあるが、それをしようと思う彼をは想像できなかった。 全てを終えても尚、は走り続けて行きそうな気がした。 顔を上げ、を見つめる。 「自分の決定が、人ひとりの人生を決める。俺はそれに彼女たちを巻き込む。こんな状態で幸せにする自信なんか、ない」 喧騒のない静かな広場の中に、彼の声は鮮明に響く。 は空を仰いだ。 「ビアンカもフローラさんも、に選ばれて旅をすることになっても、幸せになれると思う。今まで一緒に旅をしてきた私が言うんだから」 大丈夫だよと微笑みかける。 彼の心の枷を、少しでも和らげられればと思う。 今まで助けてもらってばかりだったから。 の険しかった表情が、ほんの少しだけれど和らいだ。 「そうだな……が側にいるなら、きっと楽しくやっていけるか。どちらを選んでも」 「――」 彼の言葉に、は顔を伏せた。 言わなくてはいけない。 言わないで行くこともできるけれど、それはしたくない。 彼はの大事な人で、記憶を失ってからこれまでの人生を、支えてくれた人だからだ。 ――でも、言葉にすることは完全な別離を表すことで。 口にするのがはばかられるのは、きっと、離れたくないから。 彼に寄り添うことなんて絶対にできないのだと――失った記憶の一部が何度も告げ、警鐘を鳴らしているのに。 今、この場にきてもまだ上手く踏ん切りがつかない。 は大きく深呼吸をし、自らを奮い立たせるように立ち上がると、彼の前に立った。 「?」 言わなくちゃ。 ちゃんと、彼に――明日では遅い。 結婚式を見ることは、きっと自分にはできない。 だから、早く――今の瞬間に――言わなければ。 「、今までありがとう」 彼は何を言われているのか分からない様子で、を見つめたまま戸惑った顔をした。 上手く笑えていますようにと願いながら、言葉を紡ぐ。 「最後まで一緒に旅をできないのは残念だけど、私、が結婚相手を決めたら、パーティ抜けさせてもらうね」 「な……本気なのか?」 「本気。元々貴方にくっついてきたお邪魔虫だし」 「俺はそんな風に思ったことなんかない。どうしてそんな急に」 は首を振る。 彼にとっては急な言葉かも知れないが、にとっては急でない。 以前から内々に思っていたことだ。 「ずっと一緒にはいられないって分かってた。こんなに早いと思ってなかったけど。……が結婚するなら、私はその邪魔をしちゃいけない。新婚さんのお邪魔なんてしたくないしね」 言い、くるりと後ろを向く。 上手く笑えないと思ったから。 悲しい顔なんてしちゃ駄目。 だって――にとって私は、ただの旅仲間。 ここで自分の気持ちを素直に吐き出せば楽になるけれど、彼の明日にシコリを残す。 そんなこと、してはいけない。 「、そんな――君はどうするんだ。記憶だって」 は戸惑いを隠せない声で問う。 「確かに記憶は戻ってないけど、でも、ちらほら思い出してきてることもあるし。それに旅は続けるつもり」 は振り向き、彼の目を真っ直ぐ見つめ――無理やりに笑む。 引きつっていないか祈るばかり。 「大丈夫! だいぶ戦闘には慣れたし、いい剣も手に入れたし、仲間だってどこかで見つけられる」 「――旅をするなら、俺と、今まで通りに」 「言ったでしょ? 新婚さんの邪魔をするつもりはない、って」 言いながら胸が苦しくなる。 ビアンカ、フローラ、どちらかを選ぶ。 は決してその選択肢の中に割り込むことはない。 彼は自分を、一人の女性として見てくれているとは思えなかった。 いつだって旅仲間として扱った。 それが嫌なんじゃない。 寂しいが、それが当然だと思っている。 思うに足る根拠が、自分に内包されている気がした。 言葉を発しようとしては止めるを繰り返すの額を、は軽く突付いた。 「なら、どっちを選んでも幸せになれるし、できるよ。……明日、お別れすることになりそうだから、今日はプックルたちと寝てくるね」 「、俺は」 何かを言おうとするを、は笑って手で制した。 幾分か悲しげな表情になってしまった感は否めないが。 ――お休み、とだけ言って立ち去るべきだ。 口に出したら、きっと彼は余計な苦労をしてしまう。 言わない方がいい。 は何度も自分にそう言い聞かせた。 けれどこれが最後だと思うと、ここを立ち去れない。 「……?」 黙って俯いていたに、が困惑気味に声をかけた。 は顔をあげ、真っ直ぐに彼の目を見つめる。 ――言っちゃ駄目。 言わなければ後悔する。 ――言ったって後悔する。 どちらにしろ後になって悩むのは間違いないのだから、言ってしまえ。 奥底に眠っている自分の気持ちが、一気に膨れ上がった。 彼の目を真っ直ぐに見つめたまま、何度か口を開き、閉じるを繰り返す。 急激にノドが渇く感覚に襲われた。 いつも通りに、今まで通りに喋ればいいだけ。 「、一体どうしたんだ?」 「、あのね、私――」 意を決してその言葉を紡ぐ。 「私……が好き」 彼は目を軽く見開いた。 何かを言われる前にとは微笑み、次の言葉を言う。 「言わないで置こうと思ったの。でも後悔しそうだったから。最後だし……ごめんなさい。が困るだろうなとは思ったんだけど……ああでも、別に気持ちに応えて欲しいとかじゃないから悩まないですぐに忘れて」 はビアンカかフローラさんかを選ぶ身なんだから、と付け加える。 彼は立ち上がり、の手を掴もうとした。 しかしはやんわりと彼の手から逃れる。 触れられたら、泣いてしまいそうだったから。 「」 「本当にごめんね。困らせる事言って。……それじゃあ、お休み」 無理矢理に笑顔を作りって笑みかけ、くるりと身を翻してそのままその場を立ち去った。 ――好き。 やっと伝えられた言葉だけれど、それは意味がないもので。 だって彼は、明日、結婚する人を決めてしまうのだから。 ――涙は、出てこなかった。 泣いてはいけなかった。 これから先、自分ひとりで旅を続けるために、弱くはなれないから。 零れてきそうな涙を、目をつむって耐える。 永遠に朝が来なければいいと思う自分に女々しさを感じ、は大きく息を吐く。 次に伝える大事な言葉は、きっと『さよなら』なのだろうなと――胸を痛めながら。 2006・10・31 戻 |