過ごす時間 4 がビアンカと別れ、気が向くままに歩いていると―― 「……あれ? フローラさん?」 男性群集(主に男性であり、女性の姿が無いわけではない)に囲まれている、フローラの姿があった。 彼女は、周囲の視線をひとりで集めているにも関わらず、別段それに困っている様子も、嫌がっている様子も全くない。 良家のお嬢様だけあってか、人の視線に慣れているのだろう。 声をかけようかどうかと考えていると、フローラの視線が、ふとを見止めた。 彼女は周囲の人物に言葉をかけ、どいてもらってからの側へと来やった。 相変らず、細かい装飾の入った絹のドレスを着ている。 別には気にしないが、普通の感覚の女性ならば、彼女の隣に普通に立っていると劣等感を覚えるのでは――なんて考えた。 フローラは優しげな面でに会釈した。 「こんにちは。どちらかへお出かけでしたの? ご用事かなにかですか?」 「え、ああ……別に用事があったわけじゃなくて、ただこの町をぶらぶらしてただけです。……いいところですね、ここ」 心底、そう思う。 今まで旅をしていた中で、一番住みやすそうな場所だ。 町も綺麗だし、人も優しい。 記憶が存在しない自分の故郷も、こうであれば少し嬉しい気がする。 フローラは微笑み、ええ、と頷く。 「わたくし、ここが大好きですわ。もちろん、故郷だから……思い出がたくさんつまっていますもの。好きに決まっていますわ」 「……そうだよね」 今は失っている自分の故郷も、そう言えたらいいなと思う。 はっとした様子で、フローラがを見やり、肩を落とした。 「ごめんなさい。失言でしたわね……」 「え?」 記憶を失っている事に対して、故郷が云々という話をした自分を恥じているのだろう。 は手をぱたぱたと振った。 「気にしなくていいよ。別にどうこう感じるわけじゃないから。それより、そっちの手に持ってるのは何?」 指摘したのは、フローラが左手に持っている袋。 焦げたような色をしたそれは、ドレスに似合わなくて目立つ。 それを旅人が持っているものならば、たいして気にも留めなかっただろうけれど。 彼女は袋を持っている方の手を上げ、小さく笑む。 「これ、家の花壇に埋めようと思っている花の種なんです。薄桃色の、小さくて綺麗な花が咲くんです」 「へぇ……」 フローラが土いじり、というのは少し意外だ。 たいていの豪邸では、庭師がいて、その人が庭園の隅から隅まで管理している感があったので。 もちろん、ルドマン邸に庭師がいないなんてことはないだろうけれど。 フローラ専用の花壇程度ならばあるのかも知れない。 「……花壇のお手伝い、してもいい?」 ちょっとした興味から言ってみる。 彼女は快く了解してくれ、連れ立ってルドマン邸へと歩き出した。 フローラの花壇は、ルドマン邸の入り口の直ぐ側にあった。 広い庭には色とりどりの花があるが、彼女のものらしい花壇は、たいてい小さな花が咲いている。 今は殆どが均されていて、あるものといえば、紫色のちんまりとした花弁を持つ、の知らない花だけだった。 特にが知っている花というのは、薬草の類でしかないので仕方がないといえるが。 とフローラは、土を柔らかくほぐし、植える準備をする。 そうしながら、そういえば、と話し出す。 「フローラさんは、が……その、好き?」 彼女の頬が、ぽ、と染まったのが分かった。 今までの彼女の態度を見れば、聞かなくても分かった事なのだけれど――でも、聞いておきたかった。 確認したからといって、何がどう変わるかなんて事もないが。 フローラは頬を薄く薔薇色に染めたまま、こくりと頷く。 「……とても不思議なんですの」 は種を蒔き、土をかぶせる。 彼女はその様子を見つめたまま、言葉を捜しているようだった。 「あの方を見た時……なにか、凄く引き寄せられたようになって。分からないですけれど……運命というものがあるのなら、わたくしは様にそれを感じたのかも知れませんわ」 「――そっか。アンディさんは、フローラさんにとってはどういう人なの?」 「アンディは……」 ほんの少しだけ、表情が曇った。 彼女の中で、とアンディは、複雑な色合いを持って心の中に在るのだろう。 少なからず、フローラはアンディを好いているはずだし、逆は――多分フローラが想うより、アンディの想いの方が格段に大きくて激しい。 フローラが、彼の想いに気づいているか否かは分からないが。 「アンディはわたくしの幼馴染で……とても大切ですわ」 「うん」 「でも、分からないんです」 ――分からない? 首をかしげる。 「分からないって、なにが?」 「確かにアンディは好きですし、大切です。でも、様を想う気持ちとは、少し違う……気がいたしますわ。 お父様から恋愛はとても素敵で美しいものだって聞いていますし、わたくしもそう思います。でも……なら、今のわたくしはどうなんでしょうね」 「どうって?」 「だって、少なくともビアンカさんは、さまを好いてらっしゃいますでしょう? わたくしの結婚のことで、心を乱されているのは確実ですもの。綺麗な恋愛とはいきませんわ」 手が止まっていたフローラの分まで種蒔きをし、手についた土を払う。 ジョウロに水を入れてきて、それを種を植えた辺りに満遍なく与えた。 ひとり、土を眺めているフローラの肩を叩き、顔を上げさせる。 もちろん、絹のドレスに土をつけるような無礼はしていない。 彼女は腰をあげた。 まだ瞳は、少しだけ複雑な心境を表しているけれど。 「あのね。誰かを好きな気持ちは、とっても綺麗だと思うよ。でも、全部が全部、そうじゃないと思うんだよね、私は」 「そう……でしょうか」 「だって、本当に綺麗なだけの恋愛が存在すると思う? 綺麗に咲き誇ってる花の下には、手を触れれば汚れる土があって、それがないと花は存在できないでしょ。 まあ、変な例えかも知れないけど、恋愛も結婚も、似たようなものだと思うんだよね……」 フローラは無垢過ぎるだろうか。 良家のお嬢様に生まれ、修道院で花嫁修業をしてきた。 彼女は人間的に良識人で、けれど、だからこそ汚い部分を否定するのではないかと――思う。 とて、人間の薄汚れた部分をよしとしている訳ではないが、人を人たらしめるには、汚れた部分も必要なのだと感じている。 ――がどう考えているかは知らないし、もしかしたら、フローラのような考えの人物の方が、人間的に成熟しているのかも知れなかったが。 ふと、近くの窓から使用人らしき人物が顔を覗かせ、 「フローラさま、お父上がそろそろお戻りになるようと仰せです」 告げ終わると顔を引っ込めた。 考えるところが多々あるのか、複雑な顔をしているフローラに笑んでみせる。 「ごめんなさい。私の言ったことは、あんまり気にしないで。話できてよかった。もう行きます」 夕刻にはまだ少し時間がありそうだが、呼ばれたフローラをこれ以上話に付き合わせるわけにもいかない。 お辞儀をし、ルドマン邸に背を向けた。 「あ、あの」 「? なんでしょう」 声をかけられ振り向く。 言い辛そうな表情で――でも、しっかりした声色でフローラが言う。 「さんは、さんが好きですか?」 「うん。でも、仲間だから。別に結婚の邪魔したりしないから、気にしないでね」 颯爽と言い放ち、足早にその場を後にした。 そのままそこにいれば、フローラに色々言われるだろう事は想像がついたからだ。 は彼女に、言葉の意味を咀嚼して欲しくなかった。 絶対に気にして、色々考えてしまうだろうから。 宿屋への帰り道で、は静かに自問する。 これから先をどうしよう、と。 2006・10・3 戻 |