過ごす時間 3



 その日、は防具屋でいくつかの品を見た後、結局買わずに店を出た。
 主に剣士用の鎧を扱った店であったためなのだが。
「……そもそも、魔法が練りこまれてる服なんかは、高いもんね」
 最近、ごく先にやって来るであろうその日のために準備をしているのだが、金銭面だけは如何ともし難い。
 ふぅ、とため息をつき、噴水のある公衆広場へと足を向ける。
 晴れやかな天気の下、人々は一時的な休息を求め、椅子代わりに噴水の縁に座っている。
 そこに美しい金色の髪を持つ、見知った人物を認め、は彼女の側に歩み寄った。
 彼女は俯いて何か考え事をしているのか、が側に来ても気付かない。
 仕方なくポン、と肩に手を置くと、驚いたように視線を上に上げた。
「あ……
「ビアンカ、どうしたの?」
「え、ええ。少し考え事をしてただけよ」
 笑顔を浮かべるが、どこかぎこちない。
 無理からぬ事だと思う。
 ビアンカは立ち上がり、伸びをした。
「ねえ。昼食一緒に食べない?」
「え、うん。いいけど」
 言うと彼女は嬉しそうに一度手を叩き、
「それじゃあ、どうしようか。がお勧めの場所とかあるかしら」
「お勧めっていうか……軽食だけど、美味しかった所は」
 それじゃあそこで決まり、と先を促される。
 頷き、ビアンカを先導して歩いた。


「軽食ね……」
 苦笑するビアンカに、は小さく笑った。
 手にあるのは、店で買ったサンドイッチに茶。
 店内で食べるものではなく、外で食べるものだ。
 は店の外にある椅子に座ると、ビアンカを呼ぶ。
 彼女は文句をいう事もなく座った。
「お昼って、いつもこういう物を食べてるの?」
 サンドイッチを一口頬張るビアンカ。
 おいしい、と微笑む彼女を見やり、お茶を口に含んだ。
「うーん……いつもではないかな。旅をしてるとまちまちだしね。街にいる時ぐらいはしっかり食べるようにしてるけど……」
 つい懐と相談してしまうのは、旅人の性だ。
「なるほどね」
 頷き、ビアンカはサンドイッチを咀嚼する。
 も無言で食事を進めた。

 サンドイッチとお茶をすっかり腹の中に収めてしまったは、大きく息を吐き、空を見上げた。
 本当に天気がいい。
 海が近いのに、潮の香りが殆どないのは、サラボナの街を囲う城壁のせいだろうか。
 ポートセルミは船着き場があるだけに、相当潮の香りがしたけれど。
 サラボナにやってくる風は、湿っぽいものではなくて爽やかなものだ。
 黄金色の髪をそよがせる風に、は目を細めた。
「……ねえ、
 問いかけてくるビアンカに、なに、と目線だけで答える。
 彼女は――ほんの少し、先を聞こうか聞くまいかと考えているようだったが――口を開く。
 青い目を真っ直ぐに向けて。
「記憶がないって言ってたけど、本当に何も――覚えていないの?」
「うん。記憶の最初の始まりは――青い空と、目眩がするほど高い場所で、なんで自分がそこにいるのか、どうしてそうなったのか、サッパリ分からない。今でもね」
「思い出した事は?」
「……雪」
「雪?」
 滝の洞窟で突然現れた、記憶のカケラ。
 ビアンカとの会話を邪魔したくなくて、言わなかった事。
「私、雪を見た事があるみたい。でも、記憶にはないの、全然」
「……どういう事なのかしら」
「消えちゃってる記憶の部分が、少しだけ表に出てきたんじゃないかって思ってるんだけど。
 まあ、そのうち雪のある場所にでも行って見て、また何かあったら考えようと」
 は最近、記憶を紐解いていく事は、実は物凄く怖いものなのではないかと考えるようになっていた。
 という、頼れる人物が側から離れていけば、怖くなくなるのかも知れないとも思うけれど。
 仕切りなおすように、はビアンカに問う。
 今、自分にとって大事なのは、記憶よりも目の前にある問題だ。
 とはいえ、自分自身の問題ではない部分が、大いにあるのだけれど。
「ビアンカは、が好き?」
 彼女が言おうとした言葉を封じるように、は矢次に言葉を発する。
「幼馴染だからーとか、そういう変な遠慮はしないように」
「……はどうなのよ」
 質問返しをされ、うっと詰まる。
 真っ直ぐな瞳に射られると、嘘や誤魔化しというカードを出す気にはなれない。
 暫く口を噤み、それから肩の力を抜く。
 聡い彼女は、もしかしたらとっくに気づいているかも知れない。
 だとしたら、嘘をついたところで然したる意味はなく、知らないにしても追求されて、口を割らせられるに違いない――と思う。
「私は、が……好きだよ? 嫌いなら、一緒に旅なんてしない」
「いいの? フローラさんと結婚しちゃっても……」
「ビアンカかも知れないね」
 にこりと笑む。
 彼女は眉根を寄せた。
「本当に好きなら、ちゃんと――」
「駄目」
 きっぱり言うと、ビアンカは少し驚いたような表情になった。
 どうしてと聞かれるのが分かっていたので、は先に理由を話す。
「彼が選ぶ者の中に、私は入ってないから」
「そんな、分からないじゃない」
「なくした記憶がそう考えさせるのかも知れないし、私自身がそう思ってるのかも知れない。
 どちらにせよ、ルドマンさんが選べと言ったのはフローラさんとビアンカの2人で、私じゃないから」
 つらつらと言い、まだ何か言いたそうなビアンカに問う。
「で、ビアンカは?」
 途端、いつもは元気なビアンカが恥じ入るかのように俯いた。
 態度で直ぐに分かるのは、フローラと似ていると思う。
 口を開いては閉じるを繰り返す彼女。
 はビアンカの服の添えを引っ張り、苦笑した。
「あはは、ごめん。無理強いするような事じゃないもんね、言わなくても態度で分かるからいいよ」
「……はぁ」
 がっくり肩を落として、ため息をつくビアンカ。
 これをが見たら何と言うだろうか。
 は、胸に空気をたくさん入れ、ゆるりと吐いた。
「私は、が幸せになってくれれば、それでいいの」
 言った言葉は本当。
 けれどビアンカはの言葉に、ひどく悲しそうな顔をした――。




2006・9・19