暖かな手の感触が額に当たる。
 はぼやける視界の中、手を当てる人物を見やった。
 黒髪の少年が、ひどく心配そうにしている。
 大丈夫かと問われ、は笑んだ。

 だいじょうぶだよ――。




揃った指輪




「……
 開いたはずの瞳をまた閉じているらしい自分に気付き、今度はしっかりと目を開ける。
 目の前には、黒髪の少年の姿はない。
 黒髪の――青年の姿があるけれど。
「……夢?」
「何か夢を見てたのか? ……体の具合は」
「具合って……ここどこ」
 ゆっくりと体を起こすと、見覚えがある場所で。
 はベッド脇の椅子に座ると苦笑した。
「サラボナの宿。ルーラで戻ってきたんだ」
「嘘、私記憶ないんだけど……」
「ああ、だって――」
 の説明によると、はリレミトで滝の洞窟から脱出した後、全身ずぶ濡れのまま気絶してしまったのだそうだ。
 サラボナの医師の話では、疲労、そして気力の使いすぎだろうと。
「――そっか、ごめん」
「別に謝る事じゃない。もう少し休んでた方がいい」
 そう提案してくれるが、は苦笑し、起き上がった。
 少しダルい感じがするが、他に異常は全くない。
 以前も何度かこんなことはあった。
 気絶までは行かなかったけれど。
「もう大丈夫。前もあったから」
「前もって……」
「気絶はなかったんだけどね。魔力の使いすぎで、一時的に体がけだるくなる事があるの」
 今はもう平気、と手首をぶらぶらさせる。
 の柳眉が上がった。
「今まで黙ってたのか」
「……ごめん。でも言ったら……気遣うでしょ」
「決まってる」
 ――そう、仲間だから。
 は俯きかかる自分の顔をしっかりに向け、無理矢理笑顔を浮かべる。
「もう大丈夫だから。それより、ルドマンさんに指輪は?」
「……これからだ」
「そう。じゃあ行こう」
 有無を言わさず立ち上がり、を引き連れて外へ出た。
 途中、教会でお祈りをしていたらしいビアンカを引き連れ、ルドマン邸へと向かった。


 相変わらず豪華絢爛な応接間に通されたをはじめ、とビアンカは、これまた豪華絢爛なソファに座った。
 暫くすると2階からルドマンがやって来て、正面に座る。
 咳払いをし、前置きを飛ばして本題に入った。
「水の指輪を手に入れたのかね」
「はい」
 が立ち上がり、指輪を差し出す。
 ルドマンの目が見開かれた。
「おお、よしよし。これで2つの指輪が揃ったな! フローラを呼んで参れ!」
 メイドに言いつけ、2階からフローラを呼んでこさせる。
 暫くして降りてきたフローラは、を見て笑み、それからルドマンの隣に立った。
 ルドマンはひどく上機嫌にフローラに声を掛ける。
殿は2つの指輪を持ってきた。フローラ、結婚に異存はあるまいな?」
「ええ、お父様……」
 ぽ、と頬を赤らめて頷くフローラの姿に、はビアンカの表情を窺ってしまう。
 その様子で気づいたのか、フローラがビアンカの姿を認め、困惑したような表情になる。
「あの……そちらの女性は」
「え、ああ。わたしはの幼馴染で――何でもないんです。さて、。わたしはもう帰るわね」
 慌てて立ち上がるビアンカに、フローラが待ってと声をかける。
「もしかして、ビアンカさんは……さんがお好きなのでは」
 傍目に見ても、彼女がびくんと体を硬直させたのが分かった。
 言いつぐむビアンカ。
 フローラは胸に手を当て、微かに表情を暗くした。
 詳しい人柄を知らずとも、互いにを想い合う同志だと、なんとなく察知したのかも知れない。
 じれいったいまでの無言の空気が続き、は居たたまれず、ひとつの提案をする。
「あの、ルドマンさん。その――はフローラさんとまだ殆ど面識がないですし、色々……その、暫く、考える時間をいただけませんか」
 は暫く考え込んだ後、の意見に同意した。
「僕からもお願いします。……少し、考えさせてください」
 ルドマンは肩を落とし、ため息をついた。
「あい分かった。では、フローラとビアンカ殿、どちらと結婚するかを、暫しの間考えるとよい。ビアンカ殿はその間、わしの別荘に泊まるといい」
 こほんとひとつ咳払いをし、ルドマンは言う。
「10日の後、どちらを選ぶか決めてもらう。殿、留意いただけるか」
「――はい、分かりました」



 ビアンカはすぐさま別荘へ連れて行かれ、は宿へと戻った。
 部屋へ入るなり大きなため息をつくに、は苦笑する。
「もしかして私、余計な事言ったかな」
「……違うよ。ありがたかった」
「まだ時間あるし、フローラさんとビアンカと、ちゃんと話して決めた方がいいよ」
 言い、は自室の方へと移動しようとする。
 がそれを止めた。
「なあ
「うん?」
「お前は、これからどうするんだ」
 これから。
 少し考え、
「ちょっとアンディさんの様子を見てこようと思うんだけど、何か用事?」
「――いや」
「? そっか。じゃあ、夕食までには戻るから……」
 じゃあねと言い残し、は部屋を出た。
 扉を背中にし、小さく呟く。
「……これから、か」
 自分の先の事。
 が結婚したらどうなるかなんて、考えたくもない。
 でも確実にやってくる事象。
 ――考えちゃ、だめ。
 湧き上がってくる思考を振り切るように、歩き出した。



2006・8・29