滝の洞窟 4


 たちが中に入ってから暫く。
 は耳にした異音に眉を潜め、腰の剣に手を伸ばした。
 プックルも毛を逆立て、周囲を警戒している。
 剣を引き抜き、ピエールに声を掛けようとした時――
「っ!?」
 影が、現れた。
 はっとして上を向こうとした瞬間、プックルに当身を食らわされ、横倒しになる。
 が、プックルによって立っていた場所からどかされた直後、己の立っていた場所には桃色の物体――ガスダンゴ――が衝撃と共に落ちてきた。
「プックル、ありがとう」
 礼をいい、剣を構えた。
 広くはない道での戦闘はやり辛いが、魔物はそんな事、構いやしない。
 とビアンカに気付かれないよう、速やかに退治したい。
 が魔物に斬りかかる。
 プックルもその後に続いた。
 魔物の体にいくつかの切り傷が出来上がる。
「ピエール、援護を――」
 お願い、と最後まで口にする事はできなかった。
 上から降ってきたもう一体の同種の魔物が、体から毒霧を噴射したからだ。
 慌てて口をつぐみ、纏わりついてくる黒紫色の霧を振り払う。
殿!」
 風船のような桃色の敵の向こう側から、ピエールの声が響く。
「大丈夫! そっちをお願い」
 壁を背にし、両方の敵を警戒しながら、とりあえずプックルと一緒に、最初に現れた方の敵を片付ける事にする。
 何度か切りつけるが、渾身の力で切りかからないと大してダメージが行かないようだ。
 しかし、毒霧や麻痺霧を噴き出してくるために、どうしても攻撃が浅くなる。
「じゃあやっぱ……メラミ!」
 手の平に作り出した炎の玉を、魔物目掛けて放つ。
 弾かれたように後ろに吹っ飛ぶ敵。
 間髪入れず、プックルがその体に攻撃を加えた。
 悲鳴とも嘆きともつかない声をあげ、溶けて消えてゆく。
「よしっ。次!」
 くるりと振り向き、ピエール側に加勢しようとした――が。
「うぇ?」
 ぬるりとした感触が腕と足に。
 何事かと下を向くと――黄色いヌメっとした紐が手足に絡み付いて――否、紐ではない。
 ベホマンが叫ぶ。
、ボクと同じ魔物です!」
 叫びを耳にしながら、は湖の中に引きずり込まれていた。
 瞬間的に空気を胸いっぱいに溜めていたのだが、引き入れられるときの衝撃で半分が逃げた。
(うわぁ! ベホマスライムとガスダンゴ!?)
 湖の底に引き入れられまいと、慌てて剣で絡み付いている黄色い手足を斬る。
 なおも絡み付いてこようとするそれを、力任せに引きちぎると、一旦上に出た。
 空気を胸いっぱいに吸い込むと同時に、また水の中へ引き入れられる。
 ベホマスライムが、を引きずって水中を移動する。
 ガスダンゴがその後ろから、物凄い勢いで攻撃を仕掛けてきた。
 水中なのに、陸上と変わらない動きで体当たりをしてくる魔物。
 剣を取り落としそうになり、慌てて柄をしっかり握る。
 だが、斬りかかろうにも水圧が邪魔をして、酷く緩慢な攻撃になり、結果として全て避けられてしまう。
(ベホマスライムを、なんとかしなくちゃ!)
 今度は手足を切り落とさず、無理矢理それを引っ張って、本体を自分の近くに引き寄せる。
 剣を逆手に持ち、胴体に思い切りそれをつき立てた。
 悲鳴の形に口を開け、ゆるりと動きを止めるベホマスライム。
 自分の手足にまきついている紐のような魔物のそれを外そうと剣を振るった。
 ――が、後ろにいたもう一体がその隙を見逃すはずはなく。
(っぐ!!)
 右腕に鋭い痛みが走る。
 透き通った青い世界に、真っ赤な色が混じった。
 ガスダンゴが、の腕の肉を噛み千切ったのだ。
 ごぼっ、と気泡が口からこぼれ出る。
 魔物の腹を蹴り飛ばし、後ろに下がった。

(息――くるし……)

さん!」
 耳に鮮明な声が響いてくる。
 新手のベホマスライム――。
 違う。救援だ。
 ベホマンは皮袋を持って、の側により、それを口に当てた。
 袋の中にあった空気が、肺に入ってくる。
(た、助かった……ありがとうベホマン)
「いいえ。それより加勢しますから、あれを倒しちゃいましょう」
 こくんと頷き、飄々としているガスダンゴに向かってゆく。
 ベホマンに引っ張ってもらい、剣で切りかかるものの、やはり元々の肉厚に加えて水圧の影響を受けているため、浅くしか斬れない。
 ならば。
(ベホマン、呪文を使うから――巻き込まれないように気をつけて)
 口の形だけで伝え、魔物を正面に見据える。
 火炎系呪文は、水の中では無意味に近い。
 元素自体はそこかしこに存在しているので、水の中でも集約して放つ事は可能。
 しかし、それが敵に対して有効かと言われれば否だ。
 ならば使えるものは限られている。
 あの図体を上に浮上させるのも無理なのだから、仕方がない。
 ベホマンに頼み、ガスダンゴの体躯を壁近くに追い詰めさせる。
 両手に青色の魔力を溜め――壁に手をついて一気に放出させた。
(――ヒャダルコ!)
 湖の壁を、氷の柱が疾走してゆく。
 ガスダンゴが気付いて逃げ出そうとするが、それより呪文の方が早かった。
 魔物の体に、背中側から氷の刃が生えてくる。
 体の中にたまったガスを全て噴出するみたいに、気泡が溢れ出た。
(……う、息)
 ベホマンに助けてもらい、水面に浮上する。
「っぶは!」
 体をベホマンに預ける状態で、何とか陸に近づき、プックルに引き上げてもらう。
 膝をつき、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 地面に座り込み、周囲を見回す。
 既に他の魔物の姿はない。
「プックルたち頑張ってくれたんだ」
殿、大丈夫でしたか」
 心配そうなピエールに、こくりと頷く。
 側にいるベホマンの頭(胴体?)を撫でてやった。
「ベホマンのおかげで助かったよ……ほんとに死ぬとこ――」

 ざばぁ、と音を立て、水の中から先ほど倒したはずの魔物が現れ、に覆い被さってくる。

 は瞬間的に右手を向け――
「イオラ!!」
 空気を圧縮させ、爆発させる。
 振動が空気と地面に響き渡った。
 既に屠れそうな敵相手に、イオラを使う必要などなかったのだけれど――つい。
「……殿、結構怒っておられるか」
「ちょ、ちょっとね……腕、痛いし」
 今まで忘れていた傷の痛みがぶり返してきた。


「?」
 振動。
 ビアンカと見詰め合っていたは、微少な振動を体に感じた気がして、入り口に視線を向けた。
「どうか……した?」
「……
 きびすを返して入り口に走り出す
 その後を慌てて付いてゆくビアンカ。
 入り口を抜けた瞬間、今まで遮断されていた外音が戻ってきた。
 地面に座り込んでいるを見やり、は急いで彼女の側へよる。
「一体どうし――、血が」
 は苦笑し、ちょっとね、とだけ言うと腕を隠した。
 今更隠したって、全く意味がないのに。
 は彼女の腕を手に取ると、回復呪文を掛けはじめた。
 よくよく見ればはずぶ濡れで、体全体が冷え切っている。
 腕の傷は明らかに何かに食いちぎられており、血が溢れ出て、服に赤い色を塗ってゆく。
「っ、深手じゃないか……」
 べホイミではおっつかないと判断したは、ベホマンに頼んでべホマをかけてもらう。
 傷はすっかり治ったが、抜けた血は当然ながら戻らない。
「少し腕を動かさないようにしていた方がいい。……まさか、水の中で戦闘したのか?」
「うん。まあ……」
 苦笑する
 は唇を噛んだ。
 彼女や仲間が必死で戦っている間、自分はビアンカと2人でのうのうとしていた。
 ビアンカの、今にも折れてしまいそうな様子に、周囲を忘れてしまうなんて。
 ――馬鹿だ。
「ごめん」
 謝ったのはではない。の方だ。
「何で――が?」
「だって、とビアンカの時間、邪魔しちゃったから。もう少し強くないと駄目だね……だから、ごめん」
「……悪いのは俺の方だから、謝らないでくれよ」
 ずぶ濡れになったの体に、そっと自分の外套をかけてやる。
 後ろに立っていたビアンカが小さく息を吐いた。
「まったく、ってば無茶するわね。わたしたち、別に何でもないんだから、気にしないで呼んでくれればよかったのに」
 がうな垂れる。
 はその頭をそっと撫で、
「水の指輪は手に入れた。風邪を引くから……急いで戻ろう」
 リレミトを唱え、船へ戻った。





2006・8・11