滝の洞窟 3


 滝のヴェールに隠されるように、その場所は口を開けていた。
 物凄い勢いで水は落ちているのに、落下音はひどく静かだ。
 はちらりと洞穴の中を覗きこむ。
 薄青色の水と光、清浄な空気が中を満たしていた。
 顔を引っ込め、仲間の元へ戻る。
「こっちが絶対に本命だよね……というか、ここになかったら大問題……。まあ、大丈夫だろうけど」
 が苦笑する。
 もつられるように苦笑し、さて、とビアンカを見やった。
「じゃあ、さっきと同じく、私たちは外を張ってるから」
「一緒に来ればいいだろう?」
 先ほどとは違って、はきっぱりと言う。
 しかしは首を振った。
 もとより中に入る気はなくて、でも中を少し見てみたくて、顔を出して確認したのだ。
「全員で中へ入って、魔物に入り口をふさがれたら大変だから。中が深いようなら呼んでくれればいいし。じゃあ、ヨロシク」
 有無を言わさぬ勢いで言い放つと、とビアンカに背を向けた。
 一見すると退路を守っているように見える。
 ――が、実際の所、2人に背を向ける事で、自分はこの先へ行くつもりはないのだと、はっきり態度で示しているに過ぎない。
 頑固なに、は嘆息を発した。
「分かった。じゃあすぐ戻るから」
「うん」
 別に急がなくて良いよ、という言葉は胸の内にしまっておく。
「気をつけてね」
 ビアンカの声を背に受け、軽く頷きいた。
 2人が中に入ったのを確認すると、苦笑をこぼす。
「……少し、強引かな」
 少しどころではないが、仕方のない事だと割り切って考える事にした。


 が最初に感じたのは、静謐な空気。
 入り口を境界として、空気そのものが変質している。
 不思議なほど天井が高い。
 天井と地面に鍾乳石が乱立し、綺麗な雫の音色が空洞内に響く。
 透明な音の響き。
 外音は遮断されたかのように聞こえない。
 壁には水のヴェールが張られ、不思議な陰影を浮かばせていた。
「……、この場所凄いわね」
 声色に不思議な高揚を乗せ、ビアンカがあちこちに目を走らせている。
 は同意し、足元を見た。
 揺らぐ濃淡の青。
 水が張られているわけではないのに、地面の青も、壁と同様に揺らいでいる。
 足元が光っているのは不思議な感じがした。
 炎の指輪を取るために火山へ行ったが、あそこは清浄な空気の場所など、湧き水があったところだけだった気がする。
「ねえ、先に何かあるわよ?」
 ビアンカに促され、歩みを進める。
 広い空洞の真ん中――乳白色の石の台座がある。
 炎の指輪の時と似たような台座だが、向こうが溶岩石らしき塊で出来た台座だとしたら、こちらは鍾乳石でできた台座に見えた。
 前のときのように、突然敵が振って沸いてくるかと警戒したが、この静謐な空気のどこからも、敵の気配は感じられない。
(番人は無し……みたいだな)
 ほっと息を吐き、台座へ近づく。
 目の覚めるような淡青珠の指輪が、周囲の光りを受け、存在を主張していた。
 そっと手に取り、炎の指輪と見比べる。
 淡青色の珠は、波紋を中に閉じ込めた如く色を揺らがせていた。
「それが、水の指輪?」
「……ああ。だろうと思う」
「なんだか微妙な言い方ね。『その通りだ!』ぐらい勢いよく言えないの?」
 は苦笑する。
「残念ながら。でも、炎の指輪に感じが似てるから、これだよ、きっと」
 言い、丁寧に道具袋にしまいこむ。
「それにしても、ここ凄く綺麗ね」
 ビアンカが後ろに手を組みながら言う。
 確かに綺麗だとも同意した。
 ――ふと、ビアンカの表情が陰る。
「ビアンカ?」
 彼女は俯き、何かを言いた気にしている。
 暫くの間、どちらも何も言わなかった。
 はビアンカの言葉を待ち、静かにその場に佇んでいた。
「……は、結婚しちゃうんだよね」
「え、あ……ああ」
 同意とも、否定ともつかないような声色が口から出た。
 結婚――。
 それこそ、水を指輪を手に入れた今となって、急に現実味を帯びてきたものだった。
 結婚相手のフローラをよく知るわけじゃない自分に、はたして堂々と結婚しますと言えたものか――。
 ビアンカはが困惑していると感じたのか、苦々しく笑んだ。
「ごめんなさい。わたし――ほら、久しぶりに会ったから、何ていうか、そう、きっとと別れるのが寂しいのね」
 が答える間こそ与えず、彼女はまくしたてる。
「ただそれだけよ。は幼馴染だし、わたしはご覧の通り結婚してないし――だから……ええと、結婚式には呼んで欲しいし」
 言っている事が支離滅裂になっている。
 どうしていいのやら分からず、彼女が何を言いたいのかも分からない。
 ――俺も、会えずに寂しかった。
 言ってしまえば簡単だろう。
 けれど、言う事で何か決定的に不味い事態になると、何となく感じていたのかも知れない。
 はただ、何となく浮かんだ言葉を口にした。
「ビアンカは、どうして結婚しなかったんだ? 村の――あの、ディノさんという人。彼は君が好きだって……そう感じたんだけど」
「……ディノは好きよ。でも、『そういう』好きじゃないの」
 俯いていた彼女が顔を上げる。
 ビアンカとの視線がぶつかり合った。
 喘ぐように彼女は口唇を震わせている。
 言うか言うまいか――考えるように。




2006・7・28