滝の洞窟 1 目的地の『滝の裏側の洞窟』は、遠目からは、それこそ物凄い水量の水が落ちているように見えた。 だが実際に側へ寄ってみると、不思議な事に水量など殆どないに等しく、霧雨が一点に集中して流れているといった様子だった。 ひやりと冷たい洞窟内の空気を胸に吸い込み、は今しがた入って来た入り口を見やる。 洞窟は船を丸々収納できるほど大きい入り江を持ち、その後ろにぽっかりと開いた口。 その向こうには、船が一隻通れる程度の広さの海路があり、更にそこを行けば海原がある。 「あの滝も、水の指輪を隠すための仕掛けなのかしらね」 いつの間にやら隣にいたビアンカが、道具袋をに渡しながら言う。 「うーん、多分……」 袋を受け取って腰に装備しながら考える。 水量があればあるほど――ましてや細い水路なのだから――船を海側へ押し流す力は大きいはずなのに、この洞窟に入るのに苦労はなかった。 滝が本当は霧雨だったからなのだが。 そうでなければ滝の裏側が透けて見える事などありえない。 気付いた人間が中に入れる、という程単純ではなさそうだ。もしそうなら気付く者全て、とはいかないまでも、相当のものが水の指輪を手に入れられるはずだし。 もしかしたら、炎の指輪を持たない一行には、霧雨は滝として――強固な壁として働くのかも知れない。 そう考えると、炎の指輪といい、水の指輪といい、財宝盗掘に逢い難い事この上ない。どちらもかなり入手困難な状況下にあるのだから。 「さて、じゃあ行こうか」 少し先を見て、戻ってきたが言う。 うん、と答えようとして――彼の腕に巻きついているものを見、ちょっと苦笑した。 「……腕におられるのは、もしかして新しい仲間?」 「え、ああ。なんか付いて来ちゃってさ。ほら、挨拶」 彼の腕に足を巻き付けていた魔物が、腕から離れてふわふわと浮く。 赤色を薄く延ばしたような体に、触手がついている。 笑顔はスラリンそっくり。 ベホマスライムは、体を折って――いや、くにゃりと曲がってお辞儀をした。 「ボク、ベホマスライムのベホマンです。宜しくお願いします」 丁寧な言葉に、は思わずお辞儀をした。 「ご丁寧にどうも……私は」 「わたしはビアンカよ。よろしくね!」 の足元にやって来たスラリンが、嬉しそうにぷるぷる震えた。 「わぁい、ぼくの仲間だ!」 「よし、じゃあ先に進もう」 挨拶終了とばかりにが洞窟の奥を示す。 頷き、は側に控えていたプックルの背を撫でた。 幾度目かの戦闘を終え、は膝をつき、プックルの傷に薬草を塗ってやる。 いつもはふわふわな彼の毛並みは、洞窟の湿気にやられてか、しんなりしていた。 とはいえ空気は洞窟内とは思えぬほど清浄で、湿気があるにも関わらず、苔やぬめり気は殆どない。 自然に出来たらしいこの洞窟は、階段らしきものは殆どなく、かろうじてある段差が上部と下部をつなぐ接点である。 『滝の洞窟』と勝手に呼称しただが、内部は本当にその名の如くだ。 今も右を向けば小さな滝があったりする。 「はい、プックル。もう動いて平気だよ」 「くぅん」 犬のような鳴き声を上げ、プックルはの頬をぺろりと舐めた。 くすぐったさに身を震わせる。 その様子を見たビアンカがくすりと笑んだ。 「プックルって、本当にが大好きなのね」 ビアンカの隣にいたが、彼女に笑む。 「出会った当初は物凄く警戒してたんだけどな。今じゃ俺よりに懐いてる」 「そんな事ないよね〜」 言いながらは立ち上がると、道具袋の口を締め、プックルを引き連れて先を行く。 スラリンがぴょんとプックルの背に乗り(戦闘中以外は殆ど指定席だ)、つい先だって仲間になったベホマンがその直ぐ後ろについてゆく。 ピエールをとビアンカ側につけて、たちは先を歩いた。 大きな滝を左に、石橋のように道をつないでいる通路を行く。 プックルの上に乗っているスラリンが、わぁ、と楽しそうな声を上げる。 「すごいね! すごいね! ちゃん、ぼくこんなの初めて見たよ!」 「うん、ほんとに凄い……綺麗」 この洞窟がどういう構造になっているのかよく分からないが、光が水に反射しているのか、どこかで屈折しているのか――とにかく洞窟の中は明るい。 特にこの滝の場所は外光を取り入れていて、上から散ってくる滝の水滴は、粉雪が舞い散っているようにすら感じられた。 「雪かあ。だいぶ見てないなぁ」 ……? 自分の言葉に違和感を感じ、ピタリと足を止めた。 (だいぶ見てない? 私、旅を始めてから一度だって――それどころか奴隷時代にだって、雪なんて見てない) ――そう。 だいぶ見ていないどころか、全く見ていないはずだった。 突如として現れた無意識の記憶の断片に、は思わずプックル横に浮いていたベホマンをぎゅっと抱き寄せていた。 「どうか、したんですか?」 の腕の中、丸々とした目で見上げてくるベホマンに、 「なんでもないよ」 言いながらも不安が込上げてきて、そっと後ろを振り向く。 とビアンカはの不安に全く気付かず、滝の景色に見惚れ、楽しそうに会話していた。 ――だめだ。 (駄目。あの2人に心配かけちゃ駄目。不安なんて見せちゃ駄目。決めたんだから。私は――とビアンカを、絶対に邪魔しないって) それこそが、山奥の村で決めた事だった。 の、生涯の伴侶を決めるために必要かもしれない、ビアンカとの――勿論、フローラも――時間や会話を、絶対に自分のせいで邪魔しない、と。 が勝手に感じた事だが、はビアンカを好いている。 会って間もないフローラも、時間を気にしない程は好きなのだろう。 はっきり言って、彼の心は全然まったく分からない。 フローラとビアンカ。 この2人の、どちらかを選べと言われる状況になる気がしている。 (私は、ビアンカとの時間を、邪魔しちゃいけない) 蚊帳の外の自分がに対してできる、最大の事だ。 ――だから。 は唇を噛み締め、自分の中にある記憶への不安を、無理矢理に無視した。 プックルがくぅんと鳴き、心配そうな瞳で見つめてくる。 スラリンもどうしたのかと、じっと見つめていた。 「……だ、大丈夫だよ。ごめん、ちょっと……もう平気だから」 「にいったほうがいい?」 今にも飛び出しそうなスラリンに、は手でストップをかける。 でも、と言う彼やベホマンにこっそり告げる。 「あのね、ビアンカとの邪魔したくないの。分かる?」 ベホマンはすぐさま頷き、スラリンは唸った。 「ちゃんは、が好きなんじゃないの?」 「好きだよ? でも、に幸せになってもらいたいから」 にこりと笑む。 スラリンは分からないとばかりに体を振るわせた。 苦笑するに、後ろから声がかかる。 「、滑らないように気をつけろよ」 「もビアンカも、私の事は心配しないでいいの。プックルもピエールも、スラリンもベホマンもいるもんねー」 不自然になりませんようにと願いを込めながら、笑顔を作る。 は怪訝そうな顔をしたが、横からビアンカに声をかけられると、から視線を外した。 ――私の事は、心配しないで。 の囁きは、滝の音に消されて誰にも届かなかった。 2006・6・2 戻 |