山奥の村 3 山間の村に濃い影が落ち――そしてそのまま夜になる。 月の光と、家々に点く灯火が村の明かりの全て。 外灯などという物はないが、雲のない夜空から見える月光は、優しい光となって村を明るく包み込む。 が村のあちこちを見てまわって、宿で出された食事を済ませる頃には、村の人々は一日の生活を終えて、ほとんどが自宅に戻っていた。 「……お風呂入ってこようかな」 この村の遅めというのはよく分からない。 けれど、ほとんどの村人が家に戻り、周囲が静まっている今時分は、多分遅くなのだろう。 そう思い、は風呂に入ろうと2階の部屋から1階へと移動した。 宿の女将と話をしている人物にふと気付き、首をかしげ―― 「……あれ? えーと、ディノ、さんでしたっけ」 声をかけてみた。 違っていたら謝る方向で。 彼はに気づくと、女将との話を早々に切り上げた。 「さんでしたよね。どこか行かれるんですか?」 「あー、いえ。これからお風呂でも、と思ったんですけど」 「ああ……今はちょっと止めておいたほうがいいですよ」 疑問を投げかけると、彼は苦笑いしながら答えた。 「酒が入って出来上がっちゃってる人が入ってますから。……時間があるなら、少し話でもしませんか?」 あそこで、と示されたのは宿の備え付け軽食所。 夜は酒を出してくれるらしい。 はお酒を飲まないが、代わりに果実ジュースを頂く事にして――誘いに乗った。 わざわざ酒が入ってできあがっている人と遭遇するために、温泉に入ることもあるまい。 軽食所のカウンター席に座り、ジュースを頼む。 ディノは酒を頼むのかと思いきや、と同じジュースを頼んだ。 は隣に座っている彼に問う。 「お酒飲まないんですか?」 「はい。実はぼく、下戸なんですよ。程度の低いお酒でも……酔うというより、気持ちが悪くなってしまって。全然飲めないんです」 だから間違っても酔っ払って人に絡む事はありません、と笑む。 ダンカンさんの家では、殆ど彼がどういう人物か分からなかったが、今、少なくとも下戸だという事は分かった。 暫く村の他愛のない話をする。 作物がどうとか、行商人がどうとか。 それ以上に、村の人々は魔物の活性化が気になっているようだった。 道々襲われたとか、キノコ栽培をしている場所に魔物がいたとか。 それまでたいていは魔物の領域というものが決まっていて、そこに踏み込みさえしなければ、この村では魔物との共存ができていたという。 「まあ、今のところ酷い被害は、キノコが食い荒らされたっていうあたりだけど」 「そう……」 「さんは旅をしてて、どうです? やっぱり以前と違って魔物は強いのかな」 は困ったなと笑みを浮かべる。 「もし、私の子供の頃と比較してというのだったら、分からない。ごめん。ただ……旅をし始めた頃よりは、凶暴化してる気はするけど」 そうか、とディノはジュースを口にした。 こういう村にとって、旅人の話と言うのは貴重なものなのだろう。 外界との基本的な接点は情報だからだ。 飲料で口を湿らせ、は小さく息を吐く。 程よい甘みが疲れを癒してくれる気がした。 「……あの、ですね」 「はい?」 視線を向ければ、ディノは微妙な顔をして正面を見据えている。 何処ともなく視線を固定しているものの、その瞳はひどい不安に揺れた色をしていた。 飲料のカップを両手で包み、言うべき言葉を探しているようにも見える。 は彼が口を開くのを待った。 そう長いことはかからなかったけれど。 「彼は――君と一緒に来た人という彼が、ビアンカさんの幼馴染なんですね」 「そう聞きました。といっても、私もここへ来て初めて見知った程度で」 からビアンカの名を聞いたのは、そう多いことではない。 奴隷生活中、何度か耳にした程度。 あるいは、プックルを仲間に引き入れる時に、ビアンカの名を聞いた程度。 彼女がつけていたというリボンは、今はしっかりとプックルのシッポにつけられているが、それが何を意味するかを考えたことはなかった。 今思えば、彼が彼女の名を戒めることによって、記憶の中の彼女を強く保とうとしていたのかも知れない。 会える日を夢見て。 ――勿論、それは憶測であるけれど。 知らず自身の心に重石が乗る。 「……が、どうかしましたか?」 つい最近、こういう状況があった気がすると思いつつ聞く。 ディノは相変わらず一点を見つめたまま、小さな声で――でもはっきりと――告白した。 「ぼくは、ビアンカさんが好きなんです」 (……やっぱり最近こんな場面を、フローラさんとアンディさんでやったな。ああ、今度はビアンカとディノさんバージョンか。、モテモテだなあ) 自分の気持ちを底に静めるように勤め、ディノの話に耳を傾ける。 「ビアンカさんは、いつも――さんのことを気にしてた。ダンカン夫妻の手伝いとしてぼくがあの家に行く前から、ずっと」 ディノが、カップを持つ手にきゅっと力を入れたのが分かった。 「……ビアンカさんは、彼が好きなんです。ぼくはそれを知ってて、なんとか振り向いてもらおうと思って頑張ってきた。でも、いつでも彼女の目は何処かを見てる」 「好きだって――打ち明けたんですか?」 首を縦に振る。 「断られたんですか?」 口にしてから、なんて配慮に欠けた質問だったのだろうと己の愚かさを恥じる。 断られたかなど口にすべきではないし、また、今までの話からすれば、ビアンカが告白を受け入れたかどうかなど、分かりきったことだ。 ごめんなさいと小さく言うと、ディノは苦笑した。 「いいんですよ。『わたしは今そういうこと考えられないから、ごめんね』って言ってました。本当は……さんをずっと待ってたんでしょうね」 は、彼になんと言っていいのか分からない。 は今、結婚しようとしている。 けれどビアンカはが好きで、でも彼の幸せのために<水の指輪>を探そうとしていて。 ディノとアンディは、それぞれビアンカとフローラが好きで。 結婚を手伝っているはずのは、心の底ではが好きで。 でも、は――自分の立ち位置からすれば――やるべきことは、もう見えていた。 実にディノには申し訳ないことなのだけれど。 「あのねディノさん。私はの旅仲間だからかも知れないけど、やっぱり……その、には本当に好きな人と一緒になって欲しいの。だから――」 「分かってます。ただ、貴方にはぼくの気持ちを知っておいて欲しかった。どんな結果になるか分からないけれど、さんの仲間である貴方には」 それはディノなりのけじめのつけ方なのだろう。 ひどく寂しげな顔をして見つめてくる彼に、は小さく頷いた。 ディノと分かれた後、温泉に入ったは中で悶々と考え続けた。 のぼせそうになり、今しがた上がって着替えた所だった。 (……人の気持ちって、なんか時折痛いなあ) 大きなため息をこぼし、部屋に戻るために階段を上ろうと片足をかけた時、 「!」 「え、?」 背後から声をかけられ、思わず振り向いた。 かけていた足を床に戻し、その人の側へ歩いてゆく。 「どうしたの、こんな遅くに。なにかあった?」 「いや、別になんでもないんだ。の様子を見に来ただけで」 「そこまで心配しなくても、同じ村の中なんだから」 言いながら、でも嬉しいと感じる自分がいることに、はしっかり気付いていた。 同時にそれを封じ込める自分も。 「ビアンカとダンカンさんはもう寝たの?」 「まだビアンカは起きてるよ。ダンカンおじさんは寝たけどね」 「そう。私は大丈夫だから、も早く寝なよ? ビアンカと話し込んで遅くなって、明日寝坊してるんじゃ話にならないからね」 笑いながら言う。 は怪訝な顔をした。 「……?」 「なに?」 には、何故が怪訝な顔をしているのか分からない。 どこに彼をそんな表情にさせたものがあるのかも。 「どうか……した?」 目線を外さず問うと、彼は暫く間を置いて――首を振る。 「いや、なんでもない」 「? まあいいけど。私もう寝るね」 「あ、ああ……うん。お休み」 「お休みなさい」 微笑み、に背を向けて階段を上った。 残されたは、そこにいる理由も見つからず、ダンカンの家へと向かって歩き出した。 外の空気は冷えているが、寒いほどではない。 歩きながら、はのことを考えていた。 大丈夫だと、笑って言った彼女。 普段となんら変わりのない発言。 それなのに――のなにかが、彼女の差異を指摘していた。 その差異がなんなのかは分からないが、彼を不安にさせるものであることには違いない。 「……俺の気のせいかな」 呟き、歩みを進めた。 は気付かなかった。 その差異こそが、の気持ちの表れであるとは。 --------------------------------------------------------------- ちょっとずつ、間柄に微妙な開きが。夢主さんは色々な人の気持ちと言葉に縛られてます。 2006・4・11 戻 |