山奥の村 2



「へえ、じゃあさんは、その指輪を探してるんだ」
 お茶を飲みながら、ビアンカが「ふぅーん」となにやら考えた様子で言う。
 ダンカンの娘、ビアンカはの幼馴染で、昔は一緒に冒険した仲だという。
 元々は宿屋を経営していたダンカン夫妻だったが、婦人が亡くなって以後、この村にやって来て、以来ずっと住んでいるのだという話だ。
 ダンカンも体調が芳しくなく、あまり激しい動きはできず、そのため、手伝いをしてくれるディノがいるのだということだった。
 今、その彼は外でマキ割りをしている。
 お茶を飲み終わったは、ビアンカに頼み込んだ。
「それで、どうしても水門の先へ行きたいんだ。で――」
「水門を開けて欲しい、と。じゃあ、わたしも1つお願いがあるんだけどなぁ」
 にっこりと笑むビアンカ。
 綺麗な笑顔だけれど、どこかイタズラを思いついた子供のようでもあって。
 と顔を見合わせてから、彼女を見やる。
「お願い……ですか?」
「ああさんってば、敬語なんかいらないわよ。と同い年ぐらいでしょ?」
「えーと、多分」
 曖昧な言い方になってしまうのは、記憶がないために正確な年齢が分からないからだ。
 ただ、と同年だという確信は不思議とあったりするのだが。
 ビアンカは気にした様子もなく、話を続ける。
「それだったら、敬語なんかいらないわ。わたしも使ってないし、名前で呼びたいし」
「じゃあ……ビアンカ、で」
「そうそう! 仲良くしましょうね、!」
 手を差し出され、慌てても手を出す。
 ――握手。
 は小さくため息をついた。
 子供の頃から変わっていない、とでも思っているのだろうか。
 はビアンカの小さい頃を知らないので、単純に楽しい人だなと思うのだけれど。
 騒ぎが一段落ついた頃を見計らって、が話を本筋に戻す。
「で、ビアンカのお願いって一体なんだい?」
「決まってるじゃない! わたしにもその『水の指輪』を探す手伝いさせてよ」
「でもさ、ダンカンさんはどうするんだ?」
「あら、父さんならディノがちゃんと見てくれるわよ」
「魔物から守りきれるとも限らないし、怪我するかも――」
「自分の身ぐらい、自分で守るわよ。子供の時だって、わたしの方がしっかりしてたじゃない」
 どう? と胸を張り、堂々と言うビアンカには頭を抱えた。
 は2人の応酬に顔をあっちこっち向ける――つまり、オロオロしていた。
「ねえ! になんか言ってやってよ!」
 急にビアンカに話を振られ、「えー」とか「あー」とか唸ってちょっと考える。
 を見れば、首を横に振っている。
 駄目だということらしいが――ビアンカのある種必死な瞳に勝てようか。
 否、勝てない。
 じっと見つめてくるに苦笑いをこぼし
、どのみちビアンカさんに協力してもらわないと、水門開かないよ? だから――ね」
 何故かがビアンカの助力をする形になってしまった。
 ビアンカはにんまりと笑い、を見る。
 彼はガックリと肩を落とした。
「決定ね。じゃあ直ぐに出発――と言いたいところだけど。今からだと準備もあるし、遅くなっちゃうから。今日はここに泊まっていってね」
 決定、と両手を叩くビアンカ――だが、その表情が一変、少々困った様相になった。
 はこの家の部屋割りを考えて、なるほど、と納得する。
 2人を泊めるほどの設備がないのだろう。
 考えを肯定するかのように、ビアンカが考えを苦々しく言う。
「うーん、はお父さんの部屋にベッドがあるからいいとして。わたしは今日はリビングで寝るにしろ――」
 考え込んでいるビアンカに、は苦笑した。
「ビアンカ、私は宿に泊まるから気にしないで」
 発言に、とビアンカがきょとんとする。
 が何かを口にする前に、すらすらと理由を上げ連ねる。
「折角、幼馴染の再会なんだし。はこちらにお邪魔させてもらってよ。宿賃あるし、明日出るときに迎えに来てくれればいいし。それに温泉もあるしね」
 にこりと笑みながら言う
 彼は言おうとしていた言葉を飲み込んでビアンカを見やり、それから頷いた。
「何かあったら、1人でなんとかしようと思わないで俺を呼ぶこと。いい?」
「子供じゃないんだから……」
 でも分かった、と手を振る。
 は席から立ち上がると、窓から宿を確認する。
 小さな村の中にあって、湯気が出ている場所の前とあれば目視も必要なさそうなものだが。
「それじゃ、また明日ね。お邪魔しました」
 ぺこりとお辞儀をし、はダンカン家を出た。
 すぐさまその足で宿へ向かう。


 山奥の村なので、早々にチェックインしなくても部屋が埋まることはないだろうが、旅人の性と言おうか、宿に泊まると決めたなら、さっさと部屋を決めてしまいたくなる。
(部屋決めたら、やっぱり温泉だよねー。あー、でも少し村を散策してみたい気も)
 いろいろ考えながら、とりあえず宿に入る。
 INN、と表札の掲げられたカウンターに、恰幅のいい婦人がいる。
 後ろ向きをしているためにに気付いていなかったため、声をかけた。
「すみません、泊まりたいんですけど」
 婦人は驚いたように振り向き、の姿を見やると物珍しげに視線を上げたり下げたりする。
 そのうちそれが失礼な行為だという事実に気付いたらしく、はっとして丁寧にお辞儀をした。
「あらあら、失礼しました。旅人さんなんてここのところトンと見なくなったもんでねぇ。来る人っていったら、行商人か温泉マニアぐらいなもので……とにかく、ようこそ」
 人の良さそうな笑みを浮かべながら、記帳を差し出す。
 は手渡された記帳に名前を書いた。
 部屋数は多くないが、泊まり客はないようだ。
 記帳を返し、後ろ側を見やる。
 扉があり、矢印が掛けられ、その下には<温泉>と、くすんだ色だが字が書かれている。
「ここの温泉は、何時までとか決まってるんですか?」
 の名前を別の記帳に記していた婦人――女将――が顔を上げた。
「いいえ。年中無休ですよ。宿は有料だけど、温泉は無料だからねぇ。村の人は殆ど入りに来るから、入るならなるべく遅くがいいと思うよ」
「どうしてですか?」
「村の人が入りに来る時間ってのは、仕事が終わったり夕食が終わったりする頃だからね。夜中とは言わないけど、遅めの方がゆっくりできるよ」
「そうですか……ありがとうございます。そうしますね」
「部屋はそこの階段を上がって、すぐ右側。なにかあったら言っとくれ」
「はい」
 言われた通り、階段を上がって右側の部屋に入る。
 部屋に扉はなく、通路との仕切りとして簡易的に木製の衝立があるだけだが、こういう村では余り気にならないものらしい。
 以前立ち寄ったカボチ村でもそうだった。
 室内はこざっぱりとした簡素なもので、ベッドは2つあった。
 窓はあるが、さすがに温泉側には向いていない。
 ……覗きをされると困るからだろうか。
 はベッドに座り――そのまま後ろに倒れた。
 日に当てられた布団の匂いがする。
「……とビアンカ、かあ」
 ふう、とため息をつく。
 ダンカン家に泊まろうと思えば、多分できたはずだ。
 それをしなかったのは、とビアンカのためだった。
 はビアンカがを見る目が、幼馴染を見る目と違うのではないかと――はっきりとではないが、思ったのだ。
 話をしている2人を見るうち、それは確信に変わった。
(ビアンカは、が好きなんだなあ……)
 だから旅について来たいと言った。
 自分がもし同じ立場でもそうする。
 あの2人にとって、は邪魔な存在以外の何者でもない。
 少なくとも、幼馴染の再会という場面では。
 だから、は宿へ来た。
 そうすることが一番だと思ったから。
 だって、ビアンカと積もる話もあるだろう。
 それを邪魔したくなんてなかった。
(……ウジウジしてても仕方ないし、あちこち見てまわろうかな)
 考えても暗鬱になるだけだ。
 はベッドから起き上がり、荷物を持って部屋を出た。


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という事で、ヒロインさんは一人でお泊りです。
2006・3・21