奴隷の苦役



「そこの女、さっさと運べ!」
 兵士の叱責を受けながら、次々と運ばれてくる石材をはせっせと積み上げていく。
 石材の中ではあまり大きくないそれらを、壁として積み上げるのが今日の仕事。
 のような女のできる仕事というのはたかが知れている。
 たいがいは石の分別か給水係りで、運が悪いと大岩係りの仕事に回される。
 大岩係りは、ほとんどの場合力のある男の仕事で、やヘンリーはこれが多い。

「……ふぅ」
 吹き出る汗を手で拭い、石材と格闘し続ける。
 手は荒れ放題。格好はボロボロ。
 黄金色の髪は無造作に括られているだけで、女らしいなんてとても言えない。
 けれど、生き残るためには毎日必死になって動かなければならなかった。
 今はそれなりに慣れたものだが、奴隷になりたての頃は、
 こんなに長く生きていられるとは思っていなかった。
 今では友人の、ラインハットという国の王子だとというヘンリーと共に、はあっという間の9年を過ごした。
 奴隷生活を9年も続けているなんて、ちょっと自分でも信じがたいけれど、今こうして息を吸っているのだから、自らの運は相当なものかも知れない。
 やヘンリーに助けられているとはいえ、よくまあ生き残ったものだ。
 周りの人が死んでいくたびに、次は自分だと戦々恐々としていたが、<次>は今でもまだやってこない。
 来て欲しいわけでは決してないが。
 苦役は文字通り苦しいものだった。
 しかしとヘンリーの手助けのおかげで、今までなんとか生き延びている。
 9年。
 髪がごわごわになるのも、手足がボロボロになるのも、もう慣れた。
 お風呂に殆ど入れないのも、身だしなみを全く気にしないのも、悲しいことに慣れた。
 記憶がないとはいえ、人並みの生活がどんなものだったか位は分かっている。
 一人、また一人と身の周りで人が亡くなっていくのを我がことのように思いながら、毎日の苦役の生活を過ごしてきた。
 生き延びること、とヘンリーが無事に出て行くのを見守ることが、今のとっての重要事項だった。
 ――ないはずの記憶が、時折、そう告げるのだ。
 彼らを見守れと。

、大丈夫か?」
 ふいに小さく声を掛けられて振り向くと、とヘンリーが側にいた。
 ちらりと兵士の方を盗み見るが、気づかれてはいない。
「どうしたの二人とも、がん首揃えて」
「ちょっとね、ほら水」
 に水の入った器を渡す。
 ありがたくそれを受け取り、水を口にした。
 二度ほどで飲み干してしまうと、水の器を石場の影にこっそり置いておく。
 こうしておけば、給水係りの女性がこっそりと片付けてくれるのだ。
「で、どしたの?」
「オレは仕事」
 ほらと石を置くヘンリー。
 は目線でに、じゃあは? と問う。
 それに気づいたらしい彼は、水の器を示した。
 思わず顔を見合わせて、小さく笑ってしまった。
 あいも変わらず心配性だ。
 確かに子供の頃はよく無茶をして、脱水症状手前まで行っていたけれど、今は自分の程度というものを知っている。
「そんなに心配しなくても平気だよ。普通に仕事してれば――あ、ヤバ!!」
 兵士が三人に気づいた。
 瞬間的に目配せし、散る。
 はその場でなに喰わぬ顔をして石材を掴み、ヘンリーは下の階へ戻り、はとっさに近場の岩壁作りに紛れ込んだ。
し かし兵士はに狙いをつけたようで、ムチ男――奴隷に体罰を与える者――を差し向けた。
「立て、女!」
 ムチ男に言われ、はゆっくり立ち上がる。
 威圧しつつ鞭を一度、床に打ちつけると男は言う。
「さぼっていたな」
「……」
 こういう時、変に言葉を返すべからず。
 9年の間に学んだことだ。
 無言のに男は鼻を鳴らす。
「粛正が必要なようだな」
 ビシリと音を立て、もう一度床に鞭が降ろされる。
 ……何度食らっても、痛いものは痛い。
 こればかりは慣れないが仕方がない。
 昔より痛みに耐性がついているだけマシと言えよう。
 鞭がしなり、を打ちつける――瞬間、彼女に影がかかった。
 痛みを覚悟して目を閉じていたは、暖かな感触に思わず目を開き――そこにある苦痛の表情を見て、声を上げた。
……!! なにして……!!」
「大丈夫……、当たってないね?」
「馬鹿! 私より自分を――」
「俺は、大丈夫だから」
 を護って覆い被さる
 ムチ男は気にもせず、二度、三度と鞭を振るう。
 その度、の額に汗が滲む。
…………!!」
 は心配のあまり震える声を無視して何度も呼びかける。
 彼は痛みに耐え、を護り続ける。
 ムチ男は高い笑い声を上げた。
「色男に護ってもらってよかったな、女!」
 激しい一撃がの背を打つ。
 肩の薄皮が切れ、血が滲んだ。
! もう、もういいから!!」
 だが彼は動こうとしない。
 胸を押し、なんとかどかそうとするが逆に抱きしめられて動けなくなる。
 ムチ男が更なる一撃を見舞おうとした時、兵士が終業の刻を告げた。
 男は舌打ちすると、つまらないとばかりに床に一打ちして立ち去った。
 は周りで見ていた同室の奴隷に肩を貸してもらい、部屋へと戻る。
 もその後に続いた。


 奴隷部屋に戻ったは、すぐさまの背中の手当てにかかった。
 たち奴隷に与えられている手当て道具などたかが知れているが、幸いにしては魔法が使える。
 後は簡易的な処置で充分だ。
 与えられている綺麗な水を、周りの承諾を得て綺麗な布に吸わせ、それで彼の背を拭く。
 血を拭い、小さな傷の汚れを落とす。
 大きな傷は魔法で治っているが、小さな傷は時間がかかる。
 その間に傷口から汚れが入るのは好ましくない。
 全てを終え、ほっと一息ついたに向かって『バカ』を連発した。
 ヘンリーが横で笑う。
「凄い言われようだなあ、
「本当だよ」
 苦笑いする
 はそれでも口調を緩めない。
「前からそうだけどっ、私のこと庇って何回怪我してんのよ!」
「庇えない時だってあるよ」
 言う通り、の体にも何箇所か薄い傷跡が残っていた。
 今までの奴隷生活で付いた傷だが、のそれと比べれば大したものではない。
「そーゆーことじゃないのっ。もヘンリーも大事だから、私よりずっと――」
 ここから自分はきっと出られないから。
 死んでゆくと――確信すらしているから。
 これ以上、怪我しないで。
 そう言いたかった。
 言えるはずもなかったけれど。
 9年。
 分からないけれど、後1年で何かが起こる――そう、何かが。
 に残るは死。
 言いたいのに確信がなくて……カンが理由の発言などしにくくて言えない。
 の様子にとヘンリーは顔を見合わせた。
 唇を噛み締めているは優しく笑いかけ、髪を撫でる。
、俺たち友達だろう? なにをするにも一緒。なにも心配しなくていいよ」
 ヘンリーも頷く。
「そうだぜ! 9年で鍛えられたオレたちの力をあわせれば、なんでもアリだろ!」
 励ましの言葉。
 温かい言葉。
 は不安を振り切り、笑う。
「ありがと……でも、無茶しちゃ駄目」


 そうしてその約1年後――マリアという女性が現れた。





タイトル付けが結構大変なんですよ…。なんとかシリーズ、と固定してしまうのは楽なんでしょうけど……うーん。本気で辛くなったらその時に考えます。

2005・1・30