真円


 修道院前には人が集まっていた。
 さすがに中に入る野次馬までは見当たらない。
 何もないです、単なるボヤです、と人々に叫ぶ修道士たちを横目に、たちは中へ入った。
 殆どわき目も振らずに、院長の部屋への道を辿る。
 聖堂騎士団の大扉を抜けると、赤い光が一斉に飛び込んできた。
 橋が燃えている。
 その前でわたついている騎士の面々。
 ヤンガスが呆れたような声を上げた。
「あいつら、何をしてるんでがしょ」
「オタオタしてるだけよ。邪魔だわ」
 ゼシカの言葉に一同頷き、それどころではないと橋へ向かって走り出す。
 だが橋の入り口にたむろっている騎士たちが制止した。
「貴様ら、ここを渡るな!」
「どうしてですか! オディロ院長が――」
 が噛み付くが、騎士は全く意に介さない。
 自分たちが行くのを待てと言うものの、彼らが動く気配は全く見当たらない。
 ただ燃えてゆく橋の前でまごついているだけだ。
 部下たちを情けないと批判しながら、その当人も燃えている橋を渡る決断ができない。
 挙句、橋を渡ろうとするを邪魔する。
 ……殴っていいですか。
「申し訳ないけど、ヤンガス頼む」
「分かったでげす!」
 に頼まれたヤンガスは、端の前を陣取っている騎士たちを横にどかした。
 少々乱暴な方法だが仕方がないと割り切る。
 おかげで道が開けた。
 轟々と音を立てて燃える橋の上を全速力で駆け抜ける。
 熱いけれど、炎の真横を通っているのだから、こればかりは仕様がない。
 抜け落ちそうになる板を次々に駆け、渡りきった。
 不幸にもヤンガスの服に痛々しい焦げ目がついたが、体に傷を負っていないだけマシだろう。
、大丈夫か?」
「うん、は平気?」
「僕は大丈夫。ゼシカもヤンガスもとりあえず無事みたいだ。――あれ」
 の目が橋のほうを向く。
 も同じように橋を見て――炎の赤とは違う赤をそこに見つける。
 ククールが、橋を突っ切ってきていた。
「大丈夫かな……少し……マズイかも」
 呟く
 見た目よりずっと頑丈な橋らしいが、既にあちこちの板が燃えて抜け落ちている。
 視界に、杭に撒きついていた太い綱が切れそうになっているのが見えた。

「ゼシカ! 綱!!」

 が叫ぶ。
 ゼシカは腰から鞭を取り出し、ヒャドを鞭に巻き付けて凍らせ、ぶつんと音を立てて切れた綱に鞭を絡めて引っ張る。
「重……!!」
 人を乗せた綱の重量をひとりで保てるわけはなく、ヤンガスとが彼女と一緒に鞭を支えた。
 ギリギリと音を立て、鞭が伸びる。
「うぅ……お願いだからもう少し頑張って!」
 鞭に声を掛けるゼシカ。
 ククールはもう少しで橋を渡りきる。
 は橋のほぼ正面に立ち、足場を見た。
 踏み抜けてしまいそうだ。
 全力で駆けてくるククールに、は叫ぶ。
「手前で飛んで!」
「っ……はっ!!」
 力を込めて彼が足場を蹴る。
 その瞬間に橋が崩落した。
 手を伸ばすククールの手をとり、思い切り引き寄せる。
「っぶ!」
 ……。
 の上に、ククールの体重が乗った。
 重。
 ヤンガスが乗っかってきたらもっと重いだろうなと、どうでもいい事を考えていると、ククールが立ち上がった。
「すまん助かった。来てくれたんだな」
「うぅ……鼻打った。とにかく院長さんを」
「ああ」
 が院長室の扉を開けようとするが――
「嘘だろ、鍵がかかってる」
 がちりと音が立つだけで、殆ど動いてくれない。
 叩いてみても、中からは無音が返ってくるだけだ。
 室内から零れ出てくる異様な雰囲気は、かつてトロデーンで感じたものと殆ど同じ。
 違うところといえば、圧迫感が増しているところで。
 背中を這い回る怖気に鳥肌が立つ。
「クソッ、おい、扉をぶち壊すのを手伝ってくれ!!」
 ククールの提案に乗り、全員で扉に突貫する。
 蝶番が壊れ、扉が勢いよく開いた。
 部屋の中へいずれも転がり込む。
 肘やら膝やら打ったが、ヤンガスなどは頭から突っ込んだ事を考えるとまだ傷は浅い。
 以前に見たとおりのまま、部屋の中には整然と本棚が並べられていた。
 違うところといえば――騎士が、血だらけで倒れているということ。
「しっかりしろ!」
 ククールがまだ息のある騎士を助け起こす。
 息があるといっても、それは凄く微弱なもので、今にも呼吸を止めてしまいそうだ。
 ホイミをかけるが、傷は深く、初級呪文程度ではどうにもならない。
 命がどんどんと流れ出て、床を染めてゆく。
 は赤い色に指先が震えているのを感じ、握りこぶしを作る。
 ――落ち着いて。怖がるのも焦るのも、後で出来る。
 騎士はぜいぜいと咽喉を鳴らしながらそれでもククールに言葉をかけた。
「オディロ院長が危な……マルチェロ様もやられてしまう……っぐ」
「もう喋るな!」
「た、たすけ」
 言葉がぶつりと途切れる。
 口を空け、目をかっと開いたまま彼は息を止めた。
 彼はゆっくり騎士を床に寝かせると、2階への階段を睨みつける。
「一緒に来てくれるか」
 ククールの同行を求める声に、誰も拒否などしなかった。
 階段を一段、上ろうとする。
 石段の上から人が転がり落ちてきた。
 この騎士も院長と団長の助けを求め、命を引き取った。
 肌に感じる怖気は、間違いなく自分たちが探している者から発せられている。
 はぐっと口唇を噛み、一番近い本棚から一冊本を抜き取り、机の上にあった羽ペンを借りた。
「ごめんなさい。勝手に借ります」
 誰にともなく言い、先を行くたちの背中を追いながら本の背表紙にペンを走らせる。
 走りながらなので文字が歪むが、止まって綺麗に書いている時間が惜しい。
 どん、とゼシカの背中に顔をぶつけた。
「う。……どうかし――!?」
 視線を上げたの目に映ったのは、あの日、トロデーンで見たその男。
 道化師の衣装に身を包み、人を見下したような瞳で全てを見る男。
「ドルマゲス」
 が呟くと、ドルマゲスは反応するようにニタリと笑った。


「命令、だ……ククール……オディロ院長を連れて逃げ……」
 ドルマゲスに手酷くやられたらしいマルチェロが、床に膝をついて何とか立ち上がろうとしている。
 目下のところ、院長は無事のようだった。
「悲しいなぁ……実に悲しい」
 ぶん、と杖を一振りする。
 オディロ院長の手をとろうとしていたククール、よろめきながらも立ち上がったマルチェロの両名は、杖から出された紫色の力を受け、壁に激突する。
 ぱらぱらと煉瓦の石が零れ落ちた。
 壁が歪むほどに衝突し、2人は床に崩れ落ちる。
 院長は2人を守るように背にし、両手を胸の前で組んだ。
「わしはいつでも覚悟ができておる。全ては神のお導きじゃ」
「悲しいなぁ……神を信じる者よ……」
 杖を高く掲げるドルマゲスに、たちが剣を向けた。
 しかし彼はたちなど完全に無視している。
 目的外のものに意識を払うつもりなどないらしい。
「うぬぬぬ! 見つけたぞこのバカタレが!」
 突如として割り込んできたトロデ王に、はペンを一瞬止めた。
 もゼシカもヤンガスも、突然の乱入者に目を丸くしている。
 ドルマゲスは杖を一旦戻し、王を見て野卑な笑いを浮かべた。
「これはこれはトロデーン王ではありませんか。お久しぶりですねェ」
「キサマ! 今すぐ戻せ! ミーティアとワシを元に戻せ!!」
 ぎゃんぎゃん噛み付く王に、ドルマゲスは悲しいなぁと呟く。
「そのような醜い姿で生きてゆくのは大変でしょう。今楽にして差しあげますよ」
 杖が手から離れ、宙に浮く。
 先端がぴたりと王に向けられていた。
「王!!」
 が叫んだ。
 同時にのペンがかつんと音を立てて床に落ちる。
 本の背表紙に書いた魔法円に手を当て、呪文を発す。
「古に依る力よ、縛れ!」
 の声と共に、手にした魔法円から物凄い勢いで銀色の文字が飛ぶ。
 なにとも知れぬ文字はドルマゲスと杖を取り囲んでは締め上げ、文字の鎖になった。
 ドルマゲスは興味深そうに自らを包んでいる文字を見つめる。
「ほう……これはこれは。面白い事をしてくれますな。それに貴方は死んだと思っておりましたが……はて勘違いだったでしょうか」
 本から手を外さず、は宙に浮く彼を睨みつける。
 彼は焦ってなどいなければ、苦しんでもいない。
 効果が薄いのだと理解していた。
「今更このような弱い力では、このわたしは止められませんよ」
 ばきり、と音を立てて鎖が四散した。
 文字が受けた衝撃が、本を伝ってそのままに跳ねてくる。
「――!」
 声を上げる間もなく、は壁に吹き飛んだ。
 本が火を噴き跡形もなくなった。
 が自分を呼ぶ声がしたが、口を動かす事もできず、そのまま意識が下に落ちてゆく。


 ――寝てる場合じゃ、ないのに。



2006・4・25