異形の闇夜 トロデーン王国。 緑豊かで、美しい大地の上に建てられた歴史ある王宮。 その宮廷内に、1人の異形が来訪した。 異形――と呼べないかも知れなかった。 少なくとも、今の時点では。 夜も更け、既に殆どの者は眠りについている。 眠っていないのは、城を守るために巡回している兵士や、明日の仕込みをしている商人、料理人、勤勉な王宮魔法師、そしてトロデ王、ミーティア姫、封印の勉強をしているだけ。 そのは、自室で本を読みふけっていた。 「えーと。今日の封印の施術はしっかりできたっと……。ふー」 大きくため息をつき、<シヴィラの本>を閉じる。 机の上にべたりと体を預けた。 さすがに今日の施術は疲れた。 トロデーンに封印されている<杖>の間の封印を強める施術。 殆ど毎日している事なのだが、今日のは少々大掛かりで、疲れが体に重くのしかかっている。 今日は始術、明日もう一度、今度は結術をかければとりあえず終了。 次の封印はもう暫く経ってからだ。 「封印かぁ……」 顔を起こし、本を指でなぞる。 表紙に書かれた文字は、以外の誰にも読めない文字。 以前、ミーティアやに見せてみたが、文字の法則性すら掴めなかった。 『シヴィラの一族』である以外には、その秘密を開かない本。 その知識を、今は<杖>を封じることに使っている。 トロデーン王家に封印されている<杖>は、が見たところ凶悪な黒い何かが封印されている。 周りの結界は杖の保護ではなく、束縛のために張られていた。 その束縛を、シヴィラの魔術で更に強める。 の、トロデーンでの役目だ。 腕につけたブレスレットが王家の人間の証。 日々の行動は、とても王家の人間らしい、とは言えなかったから、その証に恥じないよう、せめて魔術だけでもしっかりとやる。 ――そうしている、つもりだった。 男は髪が長く、鮮やかな色をした服を身に纏っていた。 道化師。 その印象が強い。 異形の意識を放つ男は、するりと王宮を歩く。 誰も男に気付かない。 そうしてゆるりと封印の間――杖のある場所――の前に立った。 「ここだ……」 目が、口が、孤を描く。 酷く黒々とした笑みだった。 そろそろ寝ようかと考え、寝間に着替えようとしていたは、強烈な違和感を感じて体の動きを止めた。 ――誰かが、結界の中に入った。 確たる証拠はないが、これは間違いではないという確信があった。 ほとんど無自覚に走り出す。 部屋を出て、封印の間へ。 「……開いてる」 普段はぴたりと閉じられている封じの間の扉が、堂々と開け放たれていた。 急いで部屋に入ったの目に映ったのは、馬と、緑色の魔物と、そして、杖を持つ男の姿。 男は彼女に向かって酷く歪んだ笑みを浮かべる。 「おやおや……これはこれは。お嬢さん、とんだ所へ」 「あんた……何してくれたの。その杖をどうする気!」 「それはこれからのお楽しみという奴ですよ。それでは出会ったばかりで申し訳ありませんが――」 ふ、と杖の先端をに向ける男。 「貴女も呪いで醜い姿に変わられるといい」 「――!!」 閃光が走る。 はそれを受け、扉の外へと吹き飛ばされた。 背中が石の壁に当たり、痛みで一瞬息が止まった。 男はそれからに目もくれず、どこかへと掻き消える。 追おうとした。 けれど、背中の痛みは思いの他ひどく、体が上手く動かない。 壁から背中を引き剥がすように前倒しになり、そのまますっかり体を床に預けて動かなくなってしまった。 指の1本を動かすのさえ、酷く緩慢な動きに思える。 霞む瞳に、緑色のものが映った。 (……なに、あれ。ツタ……?) 宮廷の壁を、床を、縦横に這いずるツタ。 それは綺麗なトロデーンの城に似つかわしくなくて。 本能が訴える。あれは、危険なものだと。 けれどの身体は鉛のように重く、動かない。 (ああ――あたし、失敗したんだ) 杖が持ち出された結果だと、霞む思考が言う。 こうさせないための、自分の施術だったのに。 (あたしが――もっと高度な魔力を扱えたら……未熟じゃなかったら) 今更遅い。 ツタはの腕に、足に、絡みつく。 『呪いで死ぬる』 夢の中の老婆が呟いた。 (違う。あたしは……こんな物で死んだりしない――) 視界が、暗闇に覆われた。 が目覚めた時、城は散々たる有様で。 一瞬、己はどこに迷い込んだのかと考えたほどだった。 王宮の壁はあちこちが瓦解し、その部分からは緑色のツタが生えている。 城全体がツタに侵蝕されていた。 風の音だけが、酷く寂れた音としての耳に入ってくる。 城がこれだけの惨状になっているにも関わらず、誰の声もしない。 普通なら、悲鳴であれ何であれ聞こえてきそうなものなのに。 不安に思ったは、ゆるりと歩き出す。 ――歩き出して数歩も行かないうちに、更なる異変に気付いた。 「……な、ん……」 なんなんだ、と言ったつもりだった。 だがそれは殆ど声にならず、ただ掠れた音で数語を呟くだけに留まった。 彼の目の前には、立ちすくんだ兵士がいた。 目は見開かれ、恐怖を湛えている。兵士の目は一点を見つめ続けていた。 城のほぼ中央。しかしそこには何もない。 は彼に声を掛けてみる。 おそらくは無駄だと分かっていながら。 「……大丈夫、かい?」 肩に触れる。 動きは、ない。 だが脈を確認すると、そこには弱々しいながらも脈動する命の鼓動があった。 死んではいない。けれど、生きてもいない。 兵士は全身を緑色に染められ、動くこともなく、ただそこに<存在>していた。 は頭を振る。 (一体、どうなってしまったんだ? 他の兵士たちは?王は、は、ミーティア姫は――) 結果を知るのが恐ろしくて――しかし確認しなければいけなくて、ツタによって大穴が穿たれた謁見の間を抜けて、の部屋へ寄った。 そこに彼女の姿はない。 ホッとしたが、次に疑問が湧いてくる。 (じゃあ、はどこにいるんだろう) 歩いて周りを見れば見るほど、城の有様が理解できてしまって、は胸が苦しくなる。 の教育係だったルシルダも、仲のよかった兵士たちも、食事係の女性も、全ての者たちが緑に染まり、そして<生きて>いた。 その中に、王と2人の姫の姿はない。 (一体、どこに) 絶望的な気持ちで歩く。 いつの間にか、封印の間と呼ばれる場所の前まで来ていた。 ……ここにいるかも知れないと、そっと中を覗く。 そこにいたのは緑色の魔物と、美しい馬だった。 「おお! おぬしは無事だったか!!」 「………??? トロデ王、ですか?」 声を掛けられたは愕然とする。 目の前の緑色の魔物は、王の声をしていた。 「杖を持って行ったドルマゲスとかいう馬鹿者のせいで、この姿にされたんじゃ。 ……、城の様子は」 「はい。――皆、植物のようになっています。生きてはいるようですが」 「ワシの城をこんなにしおって、その上民までも……!!」 「王、姫は……」 「ミーティアはここにおる馬じゃ。……かわいそうに」 よしよしと体を撫でてやるトロデ王に、ミーティアらしい馬は体を震わせた。 は封印の間を見回すが、そこにの姿はない。 「……は」 「なぬ? は自室におらなんだか?」 「はい。……?」 声を掛けられた、気がした。 は背後を振り返る。 そこにはツタが盛り上がった状態で壁と床にへばりついていた。 今まで見てきたツタとは違って、不自然に集まっている。 「……まさか」 「どうしたんじゃ」 王の言葉を耳にしながらも、はそのツタに手を伸ばした。 「……、起きてる? 僕の声が聞こえるか?」 返事はない。 王はの後ろに立って、ミーティアと顔を見合わせている。 「、起きるんだ。僕の声を聞いて。眠っちゃ駄目だ」 「、は――」 トロデが困惑声で彼に言う。 しかしは振り向きもせず、きっぱり言い放った。 「はここにいます! 、しっかりするんだ!」 ツタを引きちぎる。 手の皮が棘に当たって切れたが、無視した。 少しだけ開いた部分から、淡い――青い光が発せられた。 「っく……」 力一杯、太いツタの部分を引きちぎる。 外気に触れた青い光が、粉雪のように弾けて散る。 「――――」 か細い声で、名を呼ばれる。 「……しっかり意識を持つんだ」 「……うん。もう、平気」 数秒。 たったそれだけの間に、を包んでいたツタがボロボロと崩れた。 軽く頭を振り、彼女は息を吸い、吐く。 淡い光はツタが彼女を縛っていない事を確認するように周囲をめぐり、それから飛散した。 にはに何が起こったのか分からない。 けれど、彼女がしっかり<生き>て、会話してくれるのはひどく嬉しかった。 今まで見守っていたトロデがに問う。 「無事でなによりじゃ! ……しかし、お前、どうして」 「……私は『呪いでは死なない』……お母さんのブレスレットに懸けて」 右腕にあるブレスレットは、青い光を淡く放ち、静まった。 「……それにしても、こんなのってないよ。あの男から杖を取り返さなくちゃ」 その通りだとトロデも同意する。 「ミーティア……だったんだね、その馬」 はそっとミーティアの背を撫でる。 ミーティアは悲しげに嘶いた。 「あたし、絶対元に戻してみせるからね……」 それは同時にトロデとの決意でもあった。 さてー、潔く先に進めてみました。のんびり行きます。あちこち飛びますが; 2005・6・24 back |