怪我の功名






いつものようにげた箱で靴に履き替え、外へ向かう。
なんてことはない、普段と変わらない下校時……。
でもこの時、の心は嫌な予感でいっぱいだった。
この空気…伝わってくる気配…どれをとっても最悪の事態を己に告げていた。
(尽の言うこと、聞いてればよかったなあ…)
出掛けに言われた忠告を軽んじたのが悔やまれる。
どうして自分は忘れていたのか……。
己の弟が、気象庁以上に信頼できる程の勘を持っているという事実を。
「やっぱり降ってるかあ…」
ため息を盛大に一つ。
の目の前には、横なぐりの大雨が吹き荒れていた……。



「さて、困った…」
本気でどうしようと考え込む少女が一人。
傘を持たずにこの雨の中、一体全体自分はどうやって家にたどり着けばいいのだろうか。
……まあ、この大雨だ。傘などあっても意味はなさそうだが。
あのままげた箱にいてもどうにもならないので、あてもなく校舎を彷徨い歩いている所。
窓の外を眺めては、ため息をついている。
雨は、小降りになるどころかますます勢いづいて激しくなってきていた。
こんな日に限って自分を残した担任を深く恨んでしまう。
(もとはと言えば、赤点とった私が悪いんだけどね)
苦笑を浮かべながら数学の抜き打ちテストの結果を思い出す。
担任が数学担当教師であるだけに、できの悪さに激怒され……。
そのまま、有無を言わさず補習を受けさせられてしまったのである。
結果、予定外に帰りが遅くなり雨につかまったのだった。
「1時間前なら余裕だったんだけどなあ…」
ため息をつきながら目的もなくうろついていたの瞳に、ふと、ある建物が映る。
丸い屋根の広い別館……。
バスケ部に所属する友人がいるであろう体育館。
「……運がよければ、まだいるかな?」
傘を持っていなくても、やむまでの時間つぶしくらいつきあってくれるだろう。
は、自分の思いつきにすっかり気をよくしたのか、
笑顔で体育館に通じる渡り廊下を駆け出した。



さすがに勢いよく開けるのはためらわれたのか、まずは外から様子を見る。
ドアの隙間から中を覗くと、電気はついていても人の影はなかった。
(誰もいなければ、暗いはずだよね……ってことは、誰かはいるんだ)
そう予測すると、おそるおそる手をかけて力をこめる。
願わくば、知っている人間がいるように――!
一歩、中に入って目にした光景は、誰かがもくもくとモップがけしている所だった。
乱入者に気づいたのか、その人が振り返る。
一瞬驚いたように見開かれる目は、見覚えのありすぎる人物だった。
知っている顔に、は安堵の息をもらした。
「やっほ〜!和馬!」
「……なんだ、おまえか…何してんだ?こんな時間に」
「数学の補習よ」
やれやれ、と肩を上げて答えると嫌そうな顔が返ってきた。
見回せばあたりに和馬以外の人間はいないようだ。
それに安心したのか、はずかずかと中に侵入する。
「一人で掃除してるの?」
「……まあな…」
眉間にしわを寄せながら、ぶっきらぼうに告げる和馬の態度には苦笑をもらした。
本当に裏表のない、わかりやすい男である。
「ま〜た負けたんだ。今月何回目〜?」
「うっせーな!ほっとけよ!」
言外に笑いが含まれていることを敏感に感じ取った和馬は顔をしかめた。
彼は、からかわれることがあまり好きではない。
くすくす笑うを睨みつけ、モップを手にした時……
何かを思いついたのか急に笑顔になって振り返った。
大股で歩み寄るとズイ、といきなりモップを突きつける。
「……はい?」
「どうせ暇なんだろ?ちょうどいいから手伝えよ」
にこにこ嬉しそうにしている姿に脱力する。
受け取りながらもどうしようかな〜、と考えているそぶりを見せると
さらに言葉を付け足してきた。
外を見たのだろう、にやりと笑っている。
「傘、持ってねーんだろ?掃除終わってまだ降ってるようだったら
この俺が送ってやるから、な?」
尊大な態度は和馬のポーズ。
そのくらい熟知していたはこの申し出に一も二もなく飛びついた。
帰るに帰れないこの状況、それを進んで送ってくれるというのである。
濡れずに帰れるならもってこいの交換条件だった。
「そういうことなら、OK!」
モップを振り回すように駆け出した。
和馬がいる逆側からやっていった方が早いとふんだのだろう。
「あ……バカ!!走るな…!」
「へ?…っきゃああ!!」
ついさっき和馬がモップをかけた所に足を滑らせると、は派手に倒れこんだ。
その拍子にどこか痛めたのか、とっさには起き上がれない。
うめくように身じろぎするの姿に慌て、和馬が駆け寄った。
「おい!大丈夫か……っ!!!」
手を貸そうと差し伸べた瞬間、和馬は急に赤くなって真後ろを向いてしまう。
痛みに顔をしかめながらもは怪訝そうにそんな和馬を見上げた。
明後日の方向を向いてしまった顔は、背後からでもわかるほど真っ赤になっていて……。
「…和馬?」
「お、おまえ…その………あ、足!!」
「足…?…っ!!!!!」
転んだ時に、スカートの裾がめくれてしまい……
の白いふとももがあらわになっていた。
もっと大変なことに、陰からわずかに下着までのぞいてしまっていて。
焦って裾を直しても所詮後の祭り。
和馬はすっかり見てしまったあとだった。
今も必死に目の前にちらつく白い足を追い払っている。


気まずい沈黙が流れる中、先にどうにか落ち着きを取り戻したのは和馬の方だった。
咳払いを一つして振り返ると、まだ赤い顔のまま無言で傍らに膝をつく。
不自由な姿勢のまま固まっているを、ちゃんと床に座らせると
全身をじっと見つめた。
「……な、何…?」
「痛む所とか、あるか?足とか……」
「……多分、大丈夫だと思う、けど…」
まだ緊張しているのかどもりがちな返答だったが、和馬の目は次第に険しくなってくる。
いくら転んだのはの不注意とは言え、誘ったのは自分である。
気に病まないほうがおかしい。
「足、触るぞ…」
ねんざなどしていないかチェックするつもりだったのだが、
未だ冷静になれていないには違う意味に聞こえた。
いや、むしろこの言い方では誤解しない方が稀というか……。
伸ばされる和馬の手を払いのけると、顔を真っ赤にさせながら叫ぶ。
「この、ドスケベ!!」
「……はあ??」
「あ、足触るなんて……和馬の変態!!H!!」
「なっ……バ、バカ!!ちげーよ!!ねんざとかしてたら、
ちゃんと手当てしとかないと後々面倒だろうが!!
何勘違いしてんだこのバカ女!!」
の誤解に気づいた和馬が同じく真っ赤になって反論する。
噛み付くように言われた言葉にの全身から力が抜けていった。
「ね、んざ……?」
「このタコ!!だ、誰がそういう目的で足なんか触るかよっ!!」
「ご、ごめん…いや、和馬も年頃だからてっきり…」
あはは、と笑うに今度は和馬が脱力した。
本気で心配した自分がバカらしくなったのだろう。
ため息をつきつつも気になるものは放っておけない性分らしく、再度に手を伸ばす。
「わかったら、足見せろ!」
「うん……それはいいんだけど…なんか、和馬……言い方やらしいよ」
笑いながら両足を前に投げ出すに、また顔を紅潮させる和馬。
手が空中で止まったまま動けないでいる。
「お、お、……おまえなあ!!」
「まあまあ、短気を起こさないでよ。怪我してるかみてくれるんでしょ」
すっかりペースを取り戻したに言い様に遊ばれる。
憮然としつつも、足の調子を見る和馬の手つきは限りなく優しい。
まるで壊れ物を扱っているのか、と錯覚を起こしてしまいそうなくらい丁寧だった。
「……痛かったら言えよ?」
足を伸ばしたり曲げたりしながらの表情を伺うようにチェックしていく。
だが、彼女の顔からは苦痛を読み取ることはできなかった。
「大丈夫か?痛まないか?」
「うん、足は平気みたい。ありがと」
「いや、別に……って足は、って言ったか?今…」
微妙な表現に気づいたのか、顔をしかめながらを見つめる。
それとなく視線を反らすのを良しとせず、強引に自分の方を向かせた。
「どっか、他に痛む場所あるのか?」
「……痛むっていうか…ちょっとだけだから……」
「その“ちょっと”が命取りなんだよ!いいから、見せてみろ!」
本気で心配してくれているのがわかったは、
おとなしく少しばかりズキズキいっている右手を差し出した。
転んだ時、とっさに体を支えた方の手である。
手首をひねったのか何をしたのか、曲げる時に若干痛そうに顔をしかめた。
「……この程度だったら、湿布しときゃなんとかなるか……それとも、やっぱ医者行くか?」
最早掃除どころではなくなった和馬は、焦ったように頭を抱える。
よりによってこの少女に怪我を負わせてしまうとは……。
自分で自分を殴りたい衝動に駆られていた。
「そんなに大騒ぎしなくても大丈夫だよ。…でも、
和馬が心配だって言うなら湿布だけ貼っとくから…」
自己嫌悪に陥りそうになる少年を必死に止める。
さりげなく脆いところがあるのを、はもう何度も目にしていた。
大丈夫、ということをアピールしておかないと、この先際限なく落ちていってしまう。
隣で深くうなだれる和馬に微笑し、そっとほほに手を当てる。
驚いたように見上げてくる和馬にいつもの笑顔を向けた。
「ほ〜ら、元気出して!転んだ私より和馬の方が落ち込んでるなんて、おかしくな〜い?
湿布してくれるんなら早くやって!私はとっとと掃除終わらせて帰りたいのよ」
にや、っと笑えば和馬も負けじと睨み返してくる。
(そうそう、和馬の目はこうでなきゃね…)
一人満足そうに、内心頷いていることを和馬は知らない。
この少年が想っているように、少女も彼を大切にしていることを。
今はまだケンカ友達のような2人だったが、それは近い将来確実に変わってくるだろう。
お互いが大切な、かけがえのない存在だと悟った時から、きっと……。
今日は、その関係へと踏み出す第一歩――。


湿布をし、その後ご丁寧にも包帯まで巻かれてしまった
少々不機嫌モードだった。
そんな大袈裟にしなくていい、と何度抗議しても和馬が聞き入れなかったからである。
(家に着いたら速攻で外してやる!)
などと考えながら掃除を終えた時、ようやく雨は小降りになり始めていた。
当初の目的だった暇つぶしは、一応できたと思っていいようだ。
使い終わったモップをが片している間に、着替え終わった和馬が顔を出した。
戸締りの確認をすると、ほぼ同時にカバンを肩にかける。
「………」
「え?何?」
不意に背後から声をかけられた時、振り向く間もなく荷物を奪われていた。
視線を向けると、和馬が己のものと一緒に肩に抱えた所だった。
「和馬?いいよ、練習で疲れてるのに…」
「だてに鍛えてねーよ、遠慮すんな。……サンキュな、掃除…手伝ってくれて……」
ほほを赤らめながらも小声で告げられるその言葉に、自然と微笑する
ゆるく首を振ると、傘を持っている和馬の腕に自分のそれを絡めた。
「っ……!?」
「お礼は言葉だけじゃなく、体でも返してもらわないとね」
言いながら、顔がホテっていくのを止められない。
今自分がどんな顔しているのか想像したくなくて、そっと伏せた。
そんな態度に今度は和馬が微笑んだ。
組まれた腕を振り解くこともせず、傘を広げる。
1本の傘に、1組の男女――。
それの意味することも知らない子供ではない。
けれど、こいつならいい、とお互いが思ってしまう空気が二人にあった。


翌日、周囲の人間にからかい倒されることを覚悟の上で、
和馬とは仲良く一つの傘で帰宅した。
もちろん、をちゃんと家まで送り届けて……。







ときめもGS第4弾……。
自分的にはおそろしい程のスピードで上がっています(汗)
相変わらず夢とは言えないような代物で本当に申し訳ないのですが。


今回は和馬くんの登場です。
彼は赤くなった時が可愛くて好きなのです〜!
SSでもその可愛さを全面に出したかったのですが……。
撃沈!!しました(泣)
何と言いますか……女の子が元気良すぎて甘くならない(滝汗)
設定ミスったと本気で焦ってしまいました。
次回作はもう少しおとなしめの子でいこうかな〜と思います。


それでは、今回もこれにて失礼させて頂きます。
ここまで読んで下さった皆様、ならびに管理人の相方へ
深い深い愛情と感謝を込めて…

                           葵 詩絵里


2002・7・29
ブラウザback