不出来生徒 氷室零一。 完全無欠の教師。 努力を怠る人間が大嫌いで、 学生の間では、ロボットなのではないかという噂の立つ程、 なんというか、ミスのない人間。 そんな彼が、今一番手を焼く生徒は、 毎回赤点で補修を受けに来る、 鈴鹿和馬でも、姫条まどかでもなく、 東雲、その人であった。 「東雲、この問題を解いてみろ」 「は、はいっ」 ‥‥‥‥‥‥。 ‥‥‥‥‥。 ‥‥‥。 ‥‥。 ‥。 「‥まだか」 「はいっ、まだです」 ‥‥‥‥‥。 ‥‥‥‥。 ‥‥‥。 ‥‥。 ‥。 「でっ、出来ました!」 「間違いだ」 「‥‥うぅ」 「君は、今日の授業をまとめてレポートを提出するように。以上だ」 零一は、眉間にしわを寄せたまま、次の人物に問題を解くように指示した。 は、とにかく数学が苦手である。 語学や芸術なんかはまだソコソコなのだが、 やはり全体的に見ると、落ちこぼれ、というレッテルを貼られても 文句の言えない成績。 現在彼女は高校2年であるが、1年の時から氷室学級で、 2年でまで担任が氷室になった時は、内心泣き笑い状態であった。 零一に、目の敵にされている訳ではない。 けれど、全体的に成績のいい氷室学級で、 程成績の伸びのない人間は珍しくもある。 今日もは、零一に出されてしまった数学の課題を、 図書室で必死になってやっていた。 毎日のように図書室の、同じ場所(席)でレポートを書いているため、 まるで指定席のようになっている。 誰ともなく、その一番窓際の席を、<研究席>と呼ぶようになった。 それ位、1年の時から毎回毎回、図書館のその場所で勉強‥というか、 レポートをしていたのである。 それでも中々成績が上がらないというのは、もはや特技だろう。 「あ、ちゃん」 「あぁ‥たまちゃん‥‥」 バスケ部マネージャー、紺野珠美が、 指定席にいるを見つけて話しかけてきた。 彼女とは、1年の時からの付き合い。 たまみは、の横の席に座ると、机の上に並べられている参考資料を見て もしかして、と眉をひそめた。 「氷室先生に当てられたの?」 「うん‥運悪く‥というか、毎回なんだけどね」 少なくとも、一週間に2回ぐらいのペースで当てられている。 その度に、こうやってレポート提出を言いつけられるので、 いい加減どれくらいの期間で回ってくるのか、見当もつくというもの。 難しい問題を前にして、珠美も苦笑いをこぼす。 は、ふかーくため息をついた。 判っているのだ、自分がどうして普段以上に氷室先生の授業で、 学力がなくなってしまうのか。 「‥たまちゃんさぁ、怖くない?」 「え、なにが??」 「氷室先生の授業」 「う、うーん‥確かに‥怖いけど」 そう、これこそがにとって、一番の問題点だった。 零一のあの、鋭く強烈な視線で射抜かれると、身がこわばってしまって、 頭の中がまっしろーくなってしまう。 要するに‥怖いのだ。 こう、なんというか‥‥毎回無駄なほどに怒られるので、 条件反射的に、体と思考が拒否反応を起こすようになってしまっている。 このままではいけないと思うのだが、どうしようもないのだから、仕方がない。 とにかく零一の授業は、ある意味恐怖との戦いでもあった。 「私駄目なのよね‥あの目で射殺されるんじゃないかと思っちゃって」 視線で殺すなんてありえないのだけど、 それ位彼の視線は、にとっては痛いものなのである。 「大変だね‥‥」 「うん、ホントに‥‥」 別に関係ないはずの珠美と共に、深く深くため息をつく。 そこへ、にとっては今一番聞きたくない人の声が振ってきた。 意図せず、体が思い切り跳ねる。 ‥‥‥あぁ、なんで放課後までこんなんならなきゃいけないの〜と嘆きつつ、 声の主に向かって振り向いた。 「ひ、氷室先生‥‥」 「しっかりレポートをやっているか」 「はい、えと‥頑張ってます」 冷や汗が背中を流れる。 やっぱり、普通にしている状態でも彼の目線はキツイ。 憎まれてるのか、と思う程。 珠美は、「じゃあ、またね」とそそくさと逃げていってしまった。 薄情者め〜とも思うが、逆の立場だったとしたら、 自分も同じ行動を取るに違いない。 「東雲、すぐにここを片付けて、教室へ来なさい」 「え、あの‥‥」 どうしてですか?と質問しようとしたのだが、さっさとしなさい、という 零一の問いを許さない雰囲気(いつもなのだが)に、は慌てて 荷物をカバンに突っ込んだ。 早足で歩いて行く零一に、コケそうになりながらも一生懸命ついて行く。 なんだか、アヒルみたいだと自分で思ってしまうがそこにいた。 教室に着くと、とにかく座りなさいという事で、自分の席につく。 零一も、の前の席をくっつけ、座った。 まるで二者面談でもしているかのような‥‥実際そうなのかもしれないが。 緊張した面持ちで、何を言い出すかとヒヤヒヤしながら言葉を待つ。 零一は、ピシっと背筋を伸ばして、を見据える。 「東雲」 「は、はいっ」 緊張のあまり、声が上ずる。 そんなに緊張しなくてもよろしい、と言われるが、それが出来たら苦労しない。 「君は、はっきり言って成績が悪い。理解力も乏しい。 だが、理解し難いのは、決して要領は悪くないという事だ。 吹奏楽部での君の成績は、私の中で常に上位だからな」 「‥‥あ、えと‥‥」 「提出しろと言うレポートは、きちんとまとめられているし、要点も掴んでいる。 これだけ出来ていて、どうして結果が全く出ないのだ」 どうして、と聞かれても。 本人の前で、「先生を前にすると恐怖で緊張して頭が真っ白に」 ‥‥なんて言えるものか。 そんな事を言ったら、目線で射殺されそうだ。 どうしようかとアレコレ悩んでいると、その間に耐え切れなかったのか、 時間の無駄だと判断したのか、零一は頭を振った。 「よろしい」 「何がですか?」 「氷室学級の生徒たる者、せめて平均点以上の点数は保持してもらわねばなるまい。 そこで、明日から毎日放課後1時間、私が君の勉強を見てやる」 これで、確実に平均点以上は取れるはずだと、満足気な表情をしている。 対してそれを聞いたは、地獄の底に突き落とされたのではないかというような、 かなり絶望的な顔をしていた。 悪夢だ‥‥。 いや、むしろ、夢であって欲しい。 毎日放課後1時間!? もしかして自分は毎日、地獄の釜の蓋を開けなければならないのだろうか。 個別指導なんて、そんなおステキな事しなくても結構です!と 心の中では叫んでみるものの、声に出す訳にもいかず。 言った所で、彼の中での決定事項を覆すのは、容易な事ではないし。 「放課後、必ず教室に残っているように。本日は以上だ」 すく、と立ち上がり、ツカツカと教室から出て行く零一。 はその後姿を見送った後、机に突っ伏した。 こんな事になるとは‥‥。 自分が一番苦手とする教師と、毎日デートしてるようなもんだ。 これなら、毎日毎日おばけ屋敷に行っている方が全然いい。 ジェットコースター10連発でも、喜んでやろう。 大体、吹奏楽部の練習でだって、恐怖におののいているというのに。 それでも、吹奏楽に関してだけは褒められるのは、 が純粋に音楽が好きだからで。 「‥‥‥‥神様仏様、お願いですから、毎日補習なんて無慈悲な事しないでぇぇ」 だがしかし、日は確実に昇る。 翌日から、は戦わなければならなかった。 担任教師、氷室零一の、(ある意味)とんでもなく厳しい授業と目線と。 2002・7・3 ブラウザback |