垣根





もっと頑張らなきゃ…


もっともっと、頑張らなきゃ……


少しでも、先生の理想に近づきたいから


ほんのわずかでも…私を特別に見てほしいから





全ては、そういう邪な感情からだった。
自分の為に努力するのではなく、ただ…己をよく見せるポイント稼ぎ。
ちょっとだけでも気にしてもらいたくて、目をかけてほしくて。
……少しばかり、ムチャをしすぎてしまった。
はベッドの中で朦朧としながら目を閉じた。
こんなことになるんなら、珠美の忠告をおとなしく聞いておけばよかった。


「頑張るのは悪いことじゃないけど……でもね、ちゃん。
休養を取るってことは、一番大事なことなんだよ」


優しい友人の言葉に耳も貸さずにいたのは自分。
悲鳴をあげている体にムチ打って、寝る間も惜しんで……。
次のテストで少しでもいい結果を残して、先生に認めてほしかった。
ただ、先生に褒めてもらいたい一心で――。
「それで、熱出して寝込んでちゃ……笑い話だよね…」
苦笑し、深々とため息をつく。
きっと、先生は自己管理もできない子は嫌いだろうなあ。
淋しげな微笑を浮かべながらも、己の思考回路にあきれ果てる。
こんな苦しい時にも、考えるのは彼のことだけなのか……。
あの人のこと以外、自分に考えることはないのか。
「……きっと、ないんだよね…」
大幅に好感度を下げたであろう今回のことに、段々悲しくなってきた。
多くを望んだ覚えはない。
ただ、見てもらいたいだけだった。
先生に、東雲、という一人の人間を認めてもらいたいだけだったのに。
一山幾ら、の扱いでは嫌だった。そんな、気にも止めないような生徒ではいたくなかった。
そうではなく、その他大勢ではなく、自分一人を見てほしい……。
「先生……」
宝物のように、そっと呟く。
熱のこもった吐息がもれた。
朝より、体がだるくて重い。
少しずつ、体調が悪化していっているのを感じる。
乱れた呼吸を整えもせず、は担任の姿を思い描いていた。
単純に、素直に、会いたいなあ…、と願う。
一日でも会えない日があると落ち着かない。
体調不良は己の責任。わかってはいるけれど、会いたかった。
誰よりもそばに行きたいと望んでいる、たった一人の大切な人――。
だが、それを渇望しながらも……は、決して叶えられることのない願いだということを、誰よりも熟知していた。


あらゆる意味で、氷室零一は完璧な教師だった。
故に、そんな彼が生徒など相手にするはず……ない。
どれだけ望んでも、決して手に入らない存在だからこそ。
もしかしたら、手に入れたいと願っているのかもしれない。


零一を思い始めた時から考え続けてきたことを、繰り返すように巡らせる。
悪循環なのはわかっていた。
結論は、当の昔に出ている。
いつもどんな時でも、最悪の、極端な答えしか導き出すことはできない。
病気で寝込んでいる時に考えていいことじゃなかった。
しかし、病人とは何故に心弱き者。
一度考え始めてしまったら、とどまる事を知らない。
そうして、自虐とも取れるほど、ひたすら己を追いつめていく――。
「……先生…………会い、たい…」
涙が、ひとすじ零れ落ちた。
泣きながらは、深い眠りへと飲み込まれていく……。





「ここが、姉ちゃんの部屋だよ。……でも、意外だなあ。
氷室先生がわざわざ生徒の見舞いに来るなんてさ」
尽の案内で目的地にたどりついた零一は少々顔をしかめながら視線を反らした。
「容体が悪いらしいから、様子を見に来ただけだ。……期末試験も近い……他に理由などない」
「はいはい。そういうことにしといていいよ。…それじゃ先生、ごゆっくり〜」
くえない笑顔を浮かべ、手を振りながら階下へ降りていく尽を見つめ、零一はため息をついた。
教え子の家を個人的に訪ねるなど、どうかしている。
わかっているのだ、おかしいということは。
けれど、何故だか心が騒いで落ち着かなかった。
たった一日、である。
今日一日顔を見ていないだけだというのに、この苛立ちは一体何なのだ…。
妙にざわめく心を静める術を求めて……気が付いたら生徒の家の前に車を止めていた。
勢いのままに行動を起こしてしまった自分を恥じる心と平行して、
どこか納得している自分がいるのを感じていた。
しかし、零一は己の行動の真意をまだ理解できていない。
しばし扉の前で逡巡した後、低く数回ノックする。
が、返事はない。
間をあけて再度扉を叩いてみるも、結果は同じだった。
眠っているのであろうと推測するのは容易い。
ノックで起こすのも気が引け、零一は扉から手を離した。
だがしかし、ここで一つの問題が発生する。
果たして、病人の、しかも教え子の部屋に許可なく無断で入室していいのだろうか……。
いかに優秀な教師といえど、一筋縄ではいかない難問に思わず呻き声をあげた。
扉を睨みつけながら何度も躊躇い……しかし、その手は確実にノブへと伸びていた。
すでに引きかえすことなどできはしない。
寝顔でも構わない……一目、この目で見るだけでよかった。
きっと、顔を見れば安心する。
不思議なほどの自信が己の内を満たし、一瞬、その強靭な理性に殻をかぶせた。
無言のままに扉を開け、いとも容易に部屋の中へ足を踏み入れたのだった。


「……東雲…」
予想通り、深く眠り込んでいるのもとへ歩み寄り、そっと顔をのぞきこむ。
傍らに膝をつき、呼吸を確認するように顔を近づけた。
不規則な寝息にまだまだ具合が悪そうなのを感じ取り、眉間にしわを寄せる。
辛そうな呼吸……でも、自分にはどうしようもなく助けてやることもできない。
そのもどかしさに口唇を引き結んだ時、ふとのほほに流れる涙に気づいた。
怪訝そうに見つめ、そっと手を伸ばす。
ほほに触れ、不器用な指先で涙をぬぐうとかすかな呟きがもれた。
一瞬、零一は耳を疑った。
信じられない、といった表情でじっとを見つめる。


「……先生…」


今度は、はっきりと聞こえる声音で耳に響いてきた。
泣きながら、自分の夢を見る小さな少女……。
零一の胸に言いようのない感情が沸いてくる。
だが、彼はそれを言葉にする術を持たない。
また、自分がどうしたいのか、どう行動すればいいのか……わからなかった。
ただ戸惑ったように、溢れ出る涙をぬぐい続けていた。


どれくらいそうして見つめていただろうか。
ふと、痙攣するようにまぶたが動くのが見えた。
驚いて手を離した瞬間、閉ざされていた双眸がゆっくりと開いた。
「っ……すまない…起こしてしまったか」
慌てて身を引く零一だったが、何かを求めるように手を差し伸べられた一瞬。
……理解する前に、意識する前に、行動を起こしていた。
まっすぐに自分に向けて伸ばされた手をきつく握りしめて、いた。
「東雲……」
「……………」
かすれた声で何かを囁くが、聞き取れなかった。
眉を寄せ、じっと見つめると焦点のあっていない瞳が自分を見上げていた。
「……センセ…?」
確かめるような囁きに、無言のまま頷くとその瞳はゆるく閉ざされた。
力の入らない手で零一の手を握り返し、ほほにすり寄せる。
「……これも、夢…?」
「?東雲?」
「…夢でも、いい……今だけ…で、いいから……先生…そばにいて……」
聞き取れるぎりぎりの声。
吐き出された少女の本心に、零一は硬直したまま動けない。
息をすることさえ忘れ、ただを凝視する。
「……どこにも…行かないで…」
再び開かれた双眸から、透明な雫が零れ落ちる。
幾筋もとめどなく溢れる様をただ見つめていた。
子供のようにすすり泣き、己を引き止める少女……。
あまりに普段の、活発なからは想像できない姿に零一はひどくうろたえた。
「東雲……私は…」
手を離そうとした瞬間、拒絶するように大きく目が開かれた。
両手でしっかりと捕まえ、かすかに首を振って嫌がる。
「行っちゃ……やだ………先生…っ」
止まることを知らない涙に、零一はため息をついた。
これでは、気になりすぎて帰ろうにもできない相談だ。
「……わかった。東雲……君が寝付くまで私はここにいよう。
…私はどこへも行きはしない。だから……安心して休みなさい」
そっと、大きな手のひらでほほを包み込み涙をぬぐう。
すがりつくような眼差しに負け、微かに口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫だ、ここにいるから……私を信じなさい。私は、決して嘘はつかない」
その言葉に納得したのか、安心したように瞳を和ませて微笑み、はゆっくりと目を閉じた。
すぐに聞こえてくる寝息に、ホッと肩の緊張を解く。
優しく手を握り返し微苦笑を浮かべる。
「早く、よくなりなさい……東雲…。さすがに、毎日通うことなどできないからな…」
そっと髪をなでながら呟く。
が、次の瞬間ふと眉をひそめて考え込む。
毎日通う……?何のために…。
容体が心配だから見舞いに来る……なるほど、説得力はある。
試験が近いから、個人授業をしてやる……まあまあ納得できるものがある。


――違う。


なんとか答えを出そうとして、零一は愕然とした。
己の中から浮かび上がってきた思いに脳活動を停止させる。
自分が、この生徒の顔を見たいのだ。存在を確認し、安心したいのだ。
今もそうだ。乞われたからここにいるのではない。
自分がここに、彼女のそばにいてやりたい……。
放っておけないのではなく、放っておきたくないのだ。


「一体……私はどうしたというんだ……」
呆然と、傍らの少女を覗き込む。
不明瞭な心は、まだ理解することができない。
それが一層の焦燥感を生むことに、零一は気づいていない。
けれど、つないだ手を離したくなくて。
もう一度、の瞳に己の姿を映したくて。
夢ではない、現実に自分がいるんだということをわかってほしくて……。
深く、ため息をつく。
なんとなく覚えのある感情なだけに、戸惑いは隠しきれない。
気のせいだ、と誤魔化してもなんとなく虚しく感じるのは、すでに自分でもわかりかけているから。
「……参った…」
あいている方の手で顔をおおい、再度ため息をもらす。
認めてしまえば、あとは早かった。
下り坂を走るかのように己の行動の意味を理解していく。
それと同時に、零一は硬く心に誓った。
決して、悟られてはならない。
他の誰にも、自身にも。


仮面をつけて、己の心を奥深くにしまいこんだ。
自分はこの少女の教師だ。
こんな思い、許されるはずがない……。
きつく口唇をかみしめて、耐える。
けれど、今だけは――。
ちらり、とそばで眠るに視線を戻す。
今なら、少女は夢の中である。
この部屋に他に人間はいない。
ならば……今だけは、己の心を解放することを許そうか。
誰の目もない、この空間だけは。


そっと、髪をかきあげて梳いてやる。
気持ち良さそうに空気が和むのがわかった。
零一は迷うように目を伏せた後、そっと額に口唇を寄せ……。
触れるように一瞬、キスを、した。





「………っ」
ぼんやりと瞳が開く。
先程とは違う、焦点が定まっている意志の強い眼差し。
「……先生…?」
驚いたような表情に軽い満足感を覚えながら、口唇の端を吊り上げた。
「やっと、目が覚めたか………」








GSドリーム第2弾はヒムロッチこと先生でした(笑)
ああ、本命がどんどん遠のいて行く……。
それはさておき。
先生FANの皆様、申し訳ありません!!
見事な偽者っぷりに書いてて冷汗ものでした。
世に出すのを躊躇ってしまうのは久しぶりかも…(汗)
しかも終わりが尻切れですが…い、一応完結です。
ただ、お見舞いに来てくれる先生を書きたかっただけなので。
文章力なくてごめんなさいぃ!!!
………次回作(?)頑張ります…。
こんなヘタレ書いてしまいましたが、私も先生好きですよ。ええ、もちろん……。



ドリームと呼べない代物をここまで読んで下さった心温かい皆様。
ならびに広い度量の持ち主の管理人へ(笑)
深い感謝をこめて――。

                                   葵 詩絵里

        


2002・7・17

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