まどろみタイム






葉月珪。
モデルで、現在うなぎ上りの人気を持つ彼。
同じクラスにいる女子を、羨ましがる輩も多い。
けれど、少なくとも東雲は、彼を”モデル・葉月珪”として扱ったことは、
一度たりともなかった。
それが例え、どこであろうとも。



その日、は前日までの猛烈な試験勉強の疲れで、
とてつもなく眠かった。
試験は無事に終了し、後は結果待ちの状態。
試験の日は、午後が丸々開いているので、本来であれば、
遊ぶとか、家に帰るとかするものだが、
今のには、家に帰るという行動ですら億劫。
全身を覆う眠気は、今にも彼女の意識を完全に掌握しようとしていた。
微妙にふらつきながら、葉月と始めて出会った教会近くの、
大きな樹の下に到着する。
ここは、いわばお気に入りの場所だった。
静かだし、人に邪魔されたりする事が殆どない。
疲れた時や、眠くてどうしようもない時、こうしてここでご厄介になる。
木々の葉の音がリラックスさせてくれるし、気持ちいいから。
は樹に背を預けて寄りかかると、すぅっと目を閉じた。
頬を撫でる風を感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていく。
だれか、人の気配がしたのが判ったけれど、それによって目を開く事は出来なかった。
(誰だろ‥‥まぁ‥‥い‥‥や‥‥)
名を呼ばれたような気がしたが、の意識はそこで途切れてしまう。



どれ位の時間が経っただろう。
は、ふと自分の手が暖かい事に気がつき、目を覚ました。
夕方になり、オレンジ色の光が辺りを包み込んでいる。
案外、長い時間眠ってしまっていたようだ。
それはともかくとして、先ほどから暖かい感じのする左手に、目線を向けて‥‥。
「‥‥‥‥‥うわ」
驚いた事に、自分の左手に手を添えるようにして、
あの葉月珪が、自分と同じ樹に寄りかかって眠っていた。
完全に握られてしまっているその手を外そうと、四苦八苦してみるものの、
結構固く掴まれてしまっていて、外す事ができない。
起こすべきか。
しかし、昼寝の邪魔をしたら、怒られてしまうかも。
繋がれている手が、酷く熱い。
どうしようと悩んでいると、相手の方が目を覚ましたようだ。
「‥‥あの‥‥オハヨ、葉月‥‥くん」
「‥‥‥‥おはよう」
‥‥‥‥なんだか、微妙なマッタリ感が。
とにかく、理由とか何とかの前に、手を放してもらいたい。
好きじゃないとかじゃなくて、なんとなく慣れないのだ。
異性に、手を‥‥ずっと握られているというのは。
「えと、あの、手、離して?」
「‥‥あぁ‥‥」
今思い出した、という感じで頷く。
離したくない、というように一度強く握ると、ゆっくりと手を離した。
ドクドクと、胸の中で音がする。
緊張してるんだろうか――と、はまるで人事のように思った。
どうしてだろう。
離れていってしまう手が、寂しいと思ったり‥‥。
周りの空気が、葉月の手の温もりを奪っていくような気になって、
は思わず自分の右手で、左手を撫でた。
「‥‥そんなに、嫌だったのか、手」
「え、あ、違うよ」
自分が掴んでいた方の手をさすっていたので、
その行動が嫌悪の意味だと取ったらしい葉月は、幾分か申し訳なさそうな声で、
に話し掛けた。
だが、違うと言われて、安堵の表情を零す。
笑顔が凄く‥‥なんていうか、綺麗で、は葉月の顔をマジマジ見てしまった。
「なんだ‥‥」
「あっ、ごめん‥‥なんか、綺麗だなぁって‥‥」
「‥‥俺は、お前の寝顔の方が綺麗だと‥‥思う」
凄い事を言われた気がして、の頬が色鮮やかに染まる。
葉月は、ふっと微笑むと、立ち上がった。
「じゃ、俺、行く」
「うん‥‥あの、葉月、くん」
「ん?」
「どうして、ここへ?」
彼がこの場にいるのが、少し不思議だった。
いや、入学式にここにいた事もあるし、
学校内なんだからそれ自体は不思議でもなんでもないのだが、
わざわざ、自分の隣で眠っていたという事に関して言えば、
少々の疑問があって。
その問いに関して、葉月は「何となく」としか答えなかった。
それ以上の質問の仕様がなくて、は「うん」と答える。
会話が繋がってるんだか、繋がってないんだか。
じゃあ、とだけ言うと、葉月はさっさとその場を立ち去ってしまった。
も時計を見て、慌てて立ち上がるとカバンを掴んで家路につく。
夕食の買い物を頼まれていたのに、遅くなりすぎたら怒られてしまうから。


葉月はゆっくりと歩きながら、の手の暖かさを思い出していた。
本当は、彼女があそこで眠りこけそうになっているのを、少し離れた所で偶然見かけ、
寝顔が見たくて、一緒にいたくて、傍に座り込んだ。
そのうちに安心してしまって、一緒になって眠りこけてしまったのだが。
居心地がいい、あの空間。
彼女がいて、自分がいて。
それだけで、何もいらないと思わせてくれる。
「‥‥‥‥
小さく愛しい彼女の名前を呼び、
先ほどまで彼女に触れていた右手の部分に、キスをした。


2人が想いを伝え会う日は、まだまだ遠い。





2002・7・6

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