貴方がキャリアだから 2 「呼び立ててすまないな。室井君も、ご苦労だった」 の父――警視長、の一言に、室井は丁寧なお辞儀をした。 そのまま退出しようとしたのだが、によって遮られる。 「ああ、悪いがここにいてくれないかね。また娘を送ってもらいたいしね」 「はっ」 敬礼をし、部屋の端の方で待機する室井。 は彼を一瞥すると、父の――いや、今は上司だが、デスクの前に立った。 「自分の執務室じゃなくて、どうして捜査一課の個室なんですか?」 それが一番の疑問だった。父は苦笑いしながら答える。 「今、私の机の上がゴタゴタしてるんでね。お前を呼ぶのに、不都合だったんだ。それで、室井君に協力してもらって、捜査一課の個室を空けてもらったんだ」 「職権乱用ですか。…で、本題はなんでしょう。私も仕事がありますので、出来れば手短にお願いしたいんですが」 室井はその様子を見ながら、父と子でありながら、上司と部下――しかもどうやらその片方は敵意を持っているらしい図式に、幾分か不自然さを禁じえなかった。 は不機嫌そのままの表情で、背筋を伸ばして父の前に立っている。 父はデスクに肘をつき、手を組んだポーズのまま、娘に率直に呼び出した用件を話し始めた。 「…率直に言おう。湾岸署から警視庁捜査一課へ転属しろ。公務員試験I種を受けて、キャリアになりなさい」 「ちょ、ちょっと待ってよ!」 余りに唐突な出来事に、思わず口調が父親に対するものになっている事に、は気づいていなかった。 が、とりあえずこの場にそれを気にする者はいないので、問題視される事はないが。 「人をいきなり呼び出して、なんなのそれ! 冗談も大概にしてよ」 「冗談など言っておらん。本気で言っているんだ」 デスクに肘をつくポーズを変えぬまま、父は娘に言い放った。 「お前の希望を一度は酌んだ。だが、やはり私は…お前には私の目の届く範囲で働いてもらいたいんだよ。ここにいれば、所轄より危険な目に会う事も少ないだろう。母さんの時のような事にならずに済む」 母さんの時のような。 その言葉を聞いた瞬間に、彼女の全身に力が入るのが室井にはハッキリと分かった。 それと同時に彼女の瞳に怒りが灯るのも。 「いい加減にして!!」 ダンッとデスクを叩き、は怒りの眼差しを父に向ける。 「私は、キャリアになんて絶対にならない!! 誰がなんと言おうと、湾岸署が私の職場なのよ!」 「私はお前を失いたくないんだ! 室井君の下で働いてもらおうと思っている」 「勝手だよ…失いたくないなんて言うなら…どうして…どうして助けを求めた時、来てくれなかったの? 今更むしかえすなんて酷い。それに、一度はノンキャリになる事を了解したじゃない!」 「!」 今にも平手打ちが飛んできそうな父の剣幕にも、は一歩も引かなかった。 それを近くで見ている室井は落ち着かない。 警視長に 『ここにいろ』 と言われたのだから、命令を違えるわけにもいかず……。 彼の生真面目な性格ゆえか、悩んだ所で結局動く事はなかった。 「いいか、本庁にいれば私もお前をサポートしてやれるんだ。よく考えなさい。有能なキャリアになれるんだぞ!お前にはそれだけの能力がある!」 「よく考えた。だから私は湾岸署にいるの。これからも」 「…」 「話はそれだけ? だったら帰る。仕事あるんだから」 くるりと背をむけ、スタスタと歩いてドアを開き、出て行ってしまう。 そんな娘の姿を見て、父は深いため息をついた。 「…室井君、すまないが」 「はっ、お送りします」 さ っと身をひるがえすと、室井は先に歩いていったを追いかけて、キビキビと歩き始める。 ただ一人取り残された父は、もう一度深いため息をつき―― 今はいない妻を想って、目を伏せた。 は父の心を知らない。 一度は子供心の分かる父親をやってみたが、失う怖さがつきまとう所轄の刑事の仕事。 失いたくないがあまり、権力を使ってでも守りたいという心を。 そして、父もの心を知らなかった。 父というキャリアと戦っているという意識を持つ事で、所轄で働く事で、失ってしまった母と同じ目にあう人を、少なく出来るのではないかという心――希望を。 「待つんだ、くん。送っていく」 室井に追いつかれたは、足元を見つめたまま、彼の声に応えることもせず歩き続けていた。 彼女の態度から、怒りがにじみ出ているのは分かっていたが、このままでは歩いて帰ってしまわれそうで、室井は思わずの腕を掴んでいた。 「くん!」 「離して!」 その腕を振り解こうとした事で、彼女の表情がやっと見えた。 ――は怒りに打ち震え、泣いていた。 「……」 一瞬、どう対処すればいいのか分からずに固まった室井の腕を振り払い、は涙を手でこすり付けるようにして拭った。 室井に背を向け、大きく深呼吸をする。 ――涙は、止まった。怒りはまだ解けていないが。 「送らなくてもいいです。失礼します」 「そうはいかない」 「父の命令だからですか」 「…そうだ」 「…やっぱり、私室井さんと仲良く出来そうもありませんね」 唐突な言葉に反応が遅れる。 は室井をまっすぐ見ていた。 「…何故だ」 「貴方が、キャリアだから」 「………ならば、私個人が君を送りたい。それならいいだろう」 「……」 結局、は室井に (正確には室井の部下に、だが) 署まで送ってもらった。 彼女には、彼というキャリアが分からない。 が、少なくとも今は父より好感が持てた。 湾岸署前に車をつけ、と室井が降りる。 「ありがとうございました。…親子喧嘩見せちゃったし…迷惑かけて、すみません」 落ち着いたのか、怒りはなりを潜め、穏やかさが戻っていた。 「いや。……父上の気持ちも、察してさしあげてくれ」 「室井さんが私の気持ちを察してくれたら、考えます」 「それは、どういう…」 「室井さんて、青島さんが言った通り、ちょっと普通のキャリアと違うみたいですから」 にこやかに言われ、少々複雑な気分になる。が、嫌な気はしない。 「さっきの言葉、撤回します」 「?」 「『貴方がキャリアだから、仲良くできそうもない』 って言葉」 「……そうか」 「はい」 やり取りを見ていた立ち番の森下が、羨ましそうな目線を向けていることに気づいた室井は、に 「では」 と軽く挨拶すると、車のドアを開いた。 「あ、室井さん!」 なにか思いついたように言うの声に、ドアを開いたまま 「なんだ」 と問うと、 彼女は少しだけ困ったような顔をして、言った。 「父に、言い過ぎたって伝えて下さい。それと、私はどうしても所轄で仕事する、って。お願いします」 「分かった。……それでは」 「気をつけて帰って下さいね」 黒い公用車が署を立ち去るのを見送ると、は大きく深呼吸し――湾岸署を見上げた。 「さぁて! お仕事お仕事!」 2004・5・12 back |