貴方がキャリアだから 1




「おお! これはこれは! 室井管理官!!」
 袴田課長の、普段より大きく、ついでに言えば大げさな声に、は思わず報告書を書く手を止めた。
 不思議そうに刑事課の入り口の方を見ると、一人の男性が立っていた。
 それはもう見ていて爽快な程、ピシッと背筋を伸ばしていて、髪型はオールバック。
 追記して特長があるとすれば、眉間にシワが寄り気味である事か。

 突然やって来たその人は、袴田の接待攻撃を遮り、用件を切り出す。
巡査はいますか」
 硬質な声。
 揺らぐ所のないピシッとした物言いが、を貫く。
 隣の青島と顔を見合わせると、「そういえば、ちゃんは初対面だっけ」と言われる。
 青島は、既にを呼んだ人―― ”室井” と認識があるようだ。
「あの人ね、キャリア。室井管理官ってね、結構お堅いんだけどさ、ちょっと他のキャリアとは違う感じだよ」
「名前だけなら父から聞いてる。会うのは初めて」
「そうなんだ。…って、何でちゃんが呼ばれるんだろね」
 運転手なら、俺の仕事だと思うのに。
 そう言いながら、青島は袴田に言われて近寄ってきた室井に会釈する。
 後ろにいるすみれも、不思議そうな目で室井とを見ていた。
 キャリアの管理官が、たかだか巡査のに一体何の用事があるのかと。
 それまで座っていただったが、室井が側に来た事で仕方なく立ち上がると、これまた仕方なくお辞儀し、とりあえず自己紹介を始めた。
 向こう側はこちらを熟知しているらしいが、こちらは名前程度しか知らない。
(知っていようがいまいが、どうでもいい事だけど)
 などと、少々やさぐれ気分になりながらも、言う事だけは言う。
「初めまして。室井慎次…警視正でいらっしゃいますよね。名前だけは存じております。…私がです」
「知っている」
 つっけんどんな切り返し――。
 が、これが彼の普通らしく、青島は苦笑いしている。
 室井に対するの物言いに、幾分か不自然さを感じたのは、すみれだった。
 随分と――何と言うか、刺々しい。
 眼差しもいつもと違い、彼女独特の優しさが全く見られない。
 それどころか、笑顔すら全くないのである。
 敵を目の前にしたような……いや、ある意味所轄からすると、本店…本庁キャリアは嫌われ者だから、不自然ではないのかもしれないが、の父はキャリアだ。
 多少の理解はあっていいはず…のような気もするのだが。

 そんなすみれの考えを他所に、室井との会話は続いていた。
「で、本庁のキャリアさんが、私に何の用事ですか?」
 刺々しさに眉を少々潜めながら、室井は用件を伝える。
「これから、本庁に来てもらう」
「え、ちゃんを本庁に?」
 青島が隣から口を挟む。
 以前、青島も室井に招かれて本庁の捜査一課と共に
 (村八分状態だったが)事件捜査した事があった。
 青島以外にも、刑事課の大抵の人間は本庁で仕事した事がある。
 すみれは延々とお茶汲み…と、オヤジの接待。
 和久は延々と車の運転手――等など。
 今回はがババを引いた……という事だろうか?
くん、しっかり本庁で仕事するんだよ!」
 袴田が笑いながら声をかけて来るが、それを真っ先に否定したのは、他の誰でもない室井だった。
「本庁で仕事してもらうわけではありません」
「はい?」
 の言葉を代弁するかのように、青島が室井に問う。
「じゃあ、何で…」
「とにかく、彼女を借りていきます」
「私は物じゃないんですけど」
 じとっと睨みを利かせるが、室井には全く効果がない。
 逆に室井はに向かって、真っ直ぐな目線を浴びせてきた。
「……警視長が、本庁でお待ちになっています。お話があるとの事で、私が迎えに」
「…父さんが?」
 すみれと青島が、室井の言葉に思わず顔を見合わせた。
 警視長……かなりの上級キャリアだったからだ。
 という事は、は警視庁の大物キャリアの娘、という事になる。
 彼女がキャリアの父を持っていることは知っていたが、まさかそんな大物とは思いもよらず。
 暫し唖然としてしまう刑事課一同であった。
 は憮然としながら、室井から視線を逸らす。
「…父が何の用事か知りませんが、用事があるのなら、こっちに 『出向いて来い』 って言ってください」
「そうはいきません。警視長が出向かれると、ここにも色々迷惑がかかる」
 確かに、それは言えた。
 署長や副署長あたりは、強力はパイプが出来たと喜ぶかもしれないが。
 普通の刑事や警官には迷惑極まりない事かもしれない。
 は仕方なくカバンをデスクの足元から取り出すと、青島とすみれに苦笑いした。
「仕方ないんで、行ってきます」
「あ、ああ、うん。こっちの事は心配しないで平気だから」
「そうね、気をつけて」
 青島とすみれの言葉を受け、何だか妙に不安になりながらも、室井と向き合う。
「…本庁へ、行きます」


 運転手つきの車の中で、は隣にいる室井をちらりと盗み見た。
 青島の言葉が、頭を過ぎる。
『あの人ね、キャリア。室井管理官ってね、結構お堅いんだけどさ、ちょっと他のキャリアとは違う感じだよ』
(キャリアなんて、皆一緒だよ…)
 はぁ、と軽くため息をつき、外を流れる景色を見やる。
 人々が通り過ぎ、一見すると平和な日常に見えるが、犯罪はいつ何処で起きるか分からない。
 それを守るのが自分たちの役目で――仕事で。
 だが、父は…キャリアはそれとは微妙に違っていた。
 自分の理想とする 『警察官』 とは、違っていた。
 だからはノンキャリなのだが。

「室井さん。父とは、お付き合いがあるんですか?」
 窓の外を見続けたまま、隣にいる室井に話し掛ける。
 彼は暫く間を置き、それから返事を返した。
 無駄口を叩くのは、苦手なタイプなのかもしれない。
「私がまだ警部の頃、お世話になった。それ以来、目をかけて頂いている」
「ふぅん…そうですか」
「………」
「私の事は、今日初めて知ったんですか?」
「いや。以前から聞き及んでいる。…警視長の仕事は知っているんですか」
「多少は。…でも」
 急に無言になったを、不思議そうに見る。
 だが彼女は窓の外を見たまま、こちらを見向きもしなかった。
 そして今までよりも更に硬質な声で、一言。
「仕事のせいで、私との間に溝が出来た事は、間違いないです」
「……何故」
「貴方は知ってるんじゃないんですか? 私の家で起きた事件の事。…まあ、どうでもいいですけど。あ、室井さん、私に敬語使わないで下さい。なんだか変な気分になりますから」
「…わかった」
 室井はそれ以上何も言わず、も何も言わなかった。
 彼は知っていた。
 邸で起きた事件の事を。
 そして、彼女の父がどういう行動を取ったかを。
 それはキャリアとしては当然の行動だったかもしれないが、彼女――娘にとっては、理解し難く、理解しきれない物だったのだろう。

 そうこうしている間に、車は警視庁へと到着した。



2003・9・26

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