平穏な日常



 携帯のアラームが、遠く耳に響く。
「うぅ……ん…」
 部屋の主であるは、その携帯アラームを、殆ど無意識下で止め、また、布団の中にもぐりこんでしまった。
………。
「………うっわ!! やだぁっ!!」
 トロトロとしたまどろみから抜け出し、携帯で時間を確認すると同時に、思わず叫びながら、ベッドから転がり落ちる。
「あだっ…いたた……って、痛がってる場合じゃない!」
 は一緒になって落ちてきた布団を跳ね除け、勢いよく立ち上がり、一直線に洋服ダンスに向かい、着替えてからクローゼットの中からコートを取り出して羽織ると、吸飲形ゼリーを朝食代わりに、職場へと走って行った。

「おっ…おはようござます!」
 湾岸署、刑事課についた時、は完全に息が上がっていた。
 全速力で走ってきた甲斐あってか、遅刻ギリギリで済んだ。
 皆が苦笑いに近い表情で、挨拶をする。
 強行犯係の、自分のデスクにつくと、隣の青島が声をかけてきた。
「おはよ。寝坊?」
「あはは〜、携帯アラーム切っちゃって。やっぱ、目覚ましはあったほうがいいかな」
「俺、寝起き悪いからさ〜、とりあえず、目覚ましはあるよ。携帯は支給品だしね」
 カバンを足元に置き、とりあえず、昨日あった事件の報告書をまとめながら、青島と会話を続ける。
 そういう彼は何をしているかと言うと、領収書の清算。
 さすがに、朝から始末書を書いているという事はないようだ。
 今の所、強行事件は起きていない様で、この課はちょっとだけ平和。
 いつも青島の後ろにいるすみれは、窃盗事件があったのか、現在は不在。
 袴田課長は、ゴルフクラブを磨くのに余念がない。
 ……仕事しましょうよ。
 その時、のお腹が 『ぐぐぅ〜』 っと鳴った。
「あ、あはは……今日、朝ご飯、吸飲物だったんですよ…」
 照れ笑いしながら、お腹を押さえた。
 青島は何かに気づき、自分のデスクの引き出しをゴソゴソとなにやら捜し始めた。
 が不思議がってそれを見ていると、青島が、すっととある物を差し出す。
「はい、簡易食料」
「カロリーメイト…あは、ありがとう!」
 素直に受け取り、もそもそと食べる。これで、昼食までは何とかもつハズだ。

 昼食の後、、青島、和久の三人は、事件の裏付け捜査をし、散々歩いて結果を出し、やっとの事で湾岸署に戻ってきた。
 大きな事件は特になく、これなら定時で上がれるだろうと思っていた。
 少なくとも、の方は書類をソツなくこなすので、定時で上がれる。
 …が、青島の方は、書類書きに手間取っているようで。
 周りの刑事たちが、どんどん帰宅していき、最後に残ったのは、と青島だけだった。
 は別に帰ってしまってもよかったのだが、
 何となく青島が悲惨に見えて、デスクワークを手伝う事にしたのだ。
「…悪いね」
 青島が、心底申し訳なさそうな声で言う。
 だが、は首を横に振って、微笑んだ。
「朝の、カロリーメイトのお礼」
「あんなので、こんなに仕事手伝ってもらうんじゃ…なんか、悪いなぁ」
「気にしないで。私が好きで、やってるんだし」
 言いながらも、淀みなく手が動く。
「…好きって、デスクワークが? それとも、俺?」
 タバコを吸いながら、ニッコリ笑う。
 そんな青島を見て、は少しだけ、しどろもどろに答えた。
「で、デスクワークが好きって事じゃ、ないけど。あ…青島さん、好きよ? センパイだし」
「上手く誤魔化した」
「……だって」
 ぷぅっと膨れるを見て、青島は微笑む。
 それ以上なにも言わず、二人は黙々と作業に取り掛かった。
 余り遅くなりすぎると、明日が辛い。

「送ってくよ。女の子の夜の一人歩きは危ないし、ね?」
 青島の進言に、断る理由はなかった。
 と青島の下車駅は一緒だったし。
 暫くの間、他愛のない会話をしながら、歩いていく。
 そこで、ふと青島がに聞いた。
ちゃんて、キャリア嫌いだって言ってたよな」
「うん。…だから、私ノンキャリなんだし」
「ちゃんとした理由とか、聞いても平気?」
「……今は、ダメ。だって、もう直ぐ家ついちゃうもの」
「じゃ、今度」
「………」
「ダメ?」
 人のいい微笑みを浮かべられながら、青島にお願いされると、どうにも強く否定できないのが、痛い所だ。
「じゃあ、今度夕食おごってくれたら、その時に」
「うっ…すみれさんみたいな事を」
 クスクス笑うに、青島は仕方なさそうに 「なるべく安いトコにしてね」 なんて言う。
 どうやら、聞く気は満々のようだ。

 マンションの前まで来て、二人は立ち止まる。
 青島に背を向けていたが、くるりと振り向く。
「上がって、コーヒーでも飲んでいきます?」
「いや、いいよ。送り狼にならないうちに、帰る」
「あはは〜、そんな事言って。今度、遊び来てね。そんなに家、離れてないみたいだし」
「ああ、そうするよ。…じゃ、また明日」
 にこり微笑み、手を振って去る。
 もその背中に手を振り、それからマンション内へと入っていった。
 明日は、遅刻ギリギリにはなるまいと、決意をしながら。



2003・9・5

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