別つ道 「どうしても、行くのか」 部屋の入り口で、ドアに寄りかかるようにしている父に、私は振り向きもせず、これからのために必要だと思われる荷物を、どさどさとダンボールに入れていく。 「…聞いてるのか?」 「聞いてるよ。でも、もう決めた事だから」 後ろで結んだ黒髪が揺れる。私はそれが乱れるのも気にせず、どんどん荷物を入れ込む。 二十歳を越えたというのに、まだまだ子供っぽさを残す喋りや、行動。育ちというより、もはや癖に近いものがある。 「……そうか、なら、仕方ないな」 「あ、お昼、店屋物だから。先に下行ってて。私、もう少ししてから行くから」 「…ああ、分かったよ」 父はそれだけ言うと、頭を掻きながら、階下へと降りていった。 階段を下りる音を耳にしながら、アルバム類をどさっとダンボールに放り込む。 「…ん?」 ふと、今まで気に留めていなかった冊子に目が行った。 小学生の頃に書かされた、両親の作文が綴ってある物だ。確か、「お父さんかお母さんの仕事について」 だったか。 気まぐれに、それを開き、ページをめくっていく。 「…あ、私のだ」 つたない字で書かれたそれを、目で追う。 『お父さんのお仕事』 わたしのお父さんは、けいさつのお仕事をしています。 決まったじかんにかえってこないし、お休みの日がとつぜん取りやめになったりします。だから、お父さんと遊ぶじかんは、ほとんどありません。 お仕事でやくそくをやぶった日は、ケーキやおかしを、 「おわび」 といって、買ってきてくれます。 でも、けいさつのお仕事をしているお父さんを、わたしは尊敬しています。 強いし、怒るとこわいけど、ふだんはとてもやさしいです。 正しいことを、いっしょうけんめいにやっている、けいさつというお仕事は、とてもいいお仕事だと思います。 そういうお仕事をしているお父さんが、わたしは大好きです。 いつか、お父さんといっしょに、お仕事をしたいと思っています。 「…いつか、一緒に……か」 私は、思い出を断ち切るように、冊子を強く閉じた。 小学生の頃、私は父に憧れ、幼心に尊敬心すら抱いていた。 母は、余り家庭を顧みず、時間を取らない父に、閉口する事もしばしばだったが、少なくとも私にとっては、『カッコイイ』 父だった。 当時の私には、『警察官』 という職を持つ父が、果てしなく凄い存在に見えたのだ。 中学の頃になると、それは変わり始めた。 家庭に時間を取らない父のせいか、それとも、母に思う所あっての事かは知らないが、両親は、家庭内別居状態になる。 あれほど 『カッコイイ』 と思っていた父の仕事――警察、いや、刑事。それが完璧に崩れたのは、ある事件がきっかけだった。 家庭内不和のせいか、それとも私の中学生という、非常に揺らいだ年齢のせいか、少しずつ、父を嫌いになっていく自分。 そんな折、父がとある政治家絡みの事件で、上司から…よく分からないが、送検するなと言われ、それが正しくないと知りながら、命令に逆らえず、言う通りにしたという事実を知った。 法と、秩序を重んじるべき者が、他人の…上司の言いなりになった。 それも、自分の父が。 そして、それとほぼ同時期に、捜査一課が追っていた犯人が私の家に家宅侵入し、運悪く中にいた母を刺し、母は死亡した。 私は、父に犯人を捕まえて欲しかった。だが、実際捕まえたのは、父の部下。…犯人がその後どうなったか、良く覚えていない。 だが、それをキッカケに、私は確かに、変わった。 そうして、心に不信感という深い棘が刺さったまま、私は高校に入り、一年の頃から猛勉強を始めた。 ―――刑事に、なるために。 あの時、父が起こした…送検しなかったという行動は、間違いだと言いたくて。 母を殺した犯人を部下に捕まえさせ、自分は会議室にいたなんていうのは、刑事としておかしいのではないかと、面と向かって言ってやりたくて。 そうして勉強し始めて、父がキャリアと呼ばれる人種だと知った。 母殺害の犯人を捕まえた際、父が会議室にいたのは、彼がキャリアだったからだと知った。キャリアだから、動かなかった。 その時点で、私は進むべき道を決めていた。 「、店屋物が来たぞ」 階段下の父から声がかかり、「はぁーい」 と、少々間延びした声を返す。 閉じた冊子を、悩んだ結果、ダンボールに押し込むと、昼食を摂りに、下へと降りていった。 「初めまして。今日からこちらに配属になりました、です」 ピッと敬礼をし、私は課長に微笑んだ。何事も、第一印象が大事、ってね。 「ああ、話は聞いてるよ。私は、刑事課課長の袴田だ。君は、管理官の娘さんとか…」 「父は、関係ありません」 思わずビシッと言ってしまい、慌てて謝る。 「す、すみません…」 「いやいや」 父の話題になると、どうにもいけない。 昔のように、反抗心があるというのではないのだが、父の権力にすがるような真似は、したくないのだ。 とはいえ、今、私がここ――湾岸所の、刑事課、強行犯係にいられるのは、父の力あってのものなのだが。 袴田課長は、「えーと」 と言いながら、強行犯係のデスクを見た。 「ああ、机はあそこね。青島くん!」 「はーい」 呼ばれ、手をひらひらさせる男性一人。 その手が、『ここね』 と教えるように、自分の左隣の席を示す。 どうも〜とニッコリ笑い、丁寧にお辞儀をすると、彼は爽やかに微笑んだ。 袴田課長が、こそっと耳打ちする。 「青島君はね、トラブルを呼び込むから、気をつけて」 「は…はぁ」 何だそれは。 …まあ、余り気にしないでおこう。 とにかく、と席に着き、荷物をデスクに置き始めると、その青島さんが、 声をかけてきた。 「今日配属だったの? 強行犯係、大変だよ? あ、俺、青島俊作ね」 「私、です。大変なのは知ってます。父と大モメしましたから」 「お父さんの心配も分かるなぁ。君みたいな可愛い子が…」 軽い口調で言う青島さんに、面白い人だと思いながら笑っていると、その後ろから声がかかった。 「青島くーん、それってセクハラ?」 「すみれさん…」 がっくりきている青島さんを無視し、その綺麗な女性は、面を綻ばせて私を見る。 「私、恩田すみれ。すみれでいいわ。よろしく」 「です。でいいです、よろしくお願いします」 すみれさんは、明るく微笑む。 ……大人の女性だなぁ。 私なんぞ…と思っていると、彼女は言葉を続けた。 「あのさぁ、小耳に挟んだんだけど、ちゃんてキャリアの娘さんて、ホント?」 ……嫌な話題、かもしれない。 まあ、当たってるだけに、なんとも言えない気分だ。 「はい、そうです」 青島さんが、話題に加わってくる。 「なのに、ちゃんはノンキャリなの?」 「まあ、色々ありまして。…高校の時に決めたんですよ。昔、父が担当した事件で…私、凄く納得いかない事があって。それで、キャリア嫌いとでもいいましょうか…父と同じ道は歩かない。私はノンキャリで、下から父と戦ってやるって」 「ご立派。真下に聞かせてやりてぇなぁ」 「真下、さん?」 私の疑問に、すみれさんが答える。 「青島君の後輩でキャリアなんだけどね、ちゃんと同じ。父親がキャリアだから、 色々と特権がね」 「へぇ…」 まあ、確かに…父親がキャリアだと、得する事も多いだろう。 …少なくとも、私はノンキャリだから、その恩恵にすがる事は少なかろうが。 「とにかく、一緒に頑張ろうね」 「そうそう。なんかあったら、協力するし」 「ありがとうございます、青島さん! すみれさん!」 「俺にはタメ語使っていいかんね」 「あー…えと、うん」 …いい職場だ。 かくて、私は、湾岸所、刑事課強行犯係の一員になった。 2003・8・29 back |