魔女と彼女




 『魔女の座』と呼ばれる場所。”十叶詠子”はそこにいた。
 既に暮れかかった空を見上げ、クスクスと笑う。
 そこは彼女の聖域であり、儀式場であり、居城だった。
「私たちは協力できると思うんだけどなあ」
 詠子は、夕暮れの空に向かって言う。
 空にまるで人がいるかのように。
「ねえ、そう思わない? あなたがどんなに否定しても、あなたがあなたである事は決して変えようがない事実だもの」
 そうでしょう?
 全く思考の読めない笑顔のまま、詠子は振り向いた。
「…………」
 その詠子を、全くの無言で迎える少女が一人。
 表情はピクリとも動いていない。返事をする気配もない。
 ただ、そこに立っているだけだ。
 詠子の話が耳に入っているかも疑わしい程、
 彼女はただただ立っているだけ。それでも詠子は笑顔で語り続ける。
「残念だなあ、でも、きっとあなたは”関わる事”を選択するよ。あなたは自分を恐れているけれど、大切なもののために自分の恐れを殺す事を知っているもの――」
 詠子は、笑う。
 それに対して、少女は透き通る声できっぱりと言った。
「どんな事があっても、あなたに協力などしない」
 残念だなあ。
 のんびりとした声で、詠子は言った。

 ――聖創学院大付属高校。
 単位制授業、殆どの生徒が寮生という一風変わった高校である。
 校風ゆえか進学校がゆえか、この高校には色々な生徒がいた。
 その代表とも言えるのが、十叶詠子なる人物であり――学校内では”魔女”と噂される者だった。
 そこに行けば魔女に会えると言われている『魔女の座』に、一人の女学生が呼び出されているらしい――という噂を文芸部員である近藤武巳が耳にしたのは、ごくごく最近の事だった。

 いつもの如く部室で本を読んでいた一同に向かって――というより、日下部稜子に向かってその話題を切り出したのは、特に何か意味があったわけでも、他意があったわけでもなかった。
 ただ、稜子はその人柄か友人が多いので、渦中の人物を知っているかと思ったのだ。
「え?」
「だからさ、十叶先輩に呼び出されてる女の子って、同学年の子なんだろ?」
「うん、私知ってる子だよ」
「どんな子?」
 武巳が興味津々に聞いてくる。
 魔女に見初められたと噂される人物がどんな子なのか、実に興味があった。
 が、他の文芸部員――魔王陛下こと空目恭一や、村神俊也、
 木戸野亜紀は、武巳の興味になど全く意をかさないが如く、それぞれの本に没頭していた。
 気をつけていないと全く存在を見過ごしてしまう程の少女、”神隠し”たるあやめは、いつもと変わらず空気に溶け込むようにそこに居るだけだ。
「うーん、どんな子って…そうだね」
 とりあえず、稜子の知る限りの特徴を教える。
 髪は黒くて背中あたりまであり、三つ網に結っている事。
 整った顔立ちな事。今学期の始めに、転校してきた人物である事。
 そして――
「…殆ど喋らないんだよね」
「?」
 武巳の不思議そうな顔に、補足するように先を言う稜子。
「あのね、笑ったり、泣いたり、大声上げたりとか、そういう事をした所を見た事がないんだよね」
「物静かなんだ」
「うーん、そういうのとはまた少し違うかな。喋りたいんだけど、喋る事を自制してる感じ…どうしてかは分からないけど」
「十叶先輩は、どうしてその子を呼び出したりしてるのかな。それに、その子もその子でどうして呼び出しに応じてるんだろう」
 魔女と言えば、常人から言わせてもらうと、かなり普通ではない人物だ。
 魔女の座に近寄る者は殆どが好奇心か、何かを助言してもらおうという者。
 ただ談笑しに行くような人物ではないのだ。十叶詠子と言う人物は。
 武巳の疑問ももっともだったが、そんな事が稜子に分かるはずもない。
 ―――突然、今まで全く無視を決め込んでいた空目が本を閉じた。
「陛下?」
「……日下部、そいつの名前は」
「え、え?? えっと…ちゃんだけど…陛下、どうしたの急に」
 空目の突然の質問に、今まで本を読んでいた全員が顔を上げた。
 俊也も不思議そうに問う。
「おい空目、一体そいつがどうしたんだよ」
「いや…少し気になる事があってな」
 何もなく、空目が女生徒を気にするなどありえない。
 ここにいる全員が、それを認めていた。
 何しろ恋愛を麻薬効果と言ってのけるような男なのだ、空目は。
 そもそも、側に居るあやめとて、その少女としての存在というよりは、”神隠し”――道具として欲しただけの者なのだ。
 そんな人物だけに、怪異に関わりがなさそうな人物の名を聞く事は、彼ら空目を知る者たちにしてみると、とても奇妙で驚くべき事だった。
「…日下部、案内してくれ」
 端的に言うと、立ち上がって部室をさっさと出て行く。
 唖然とする俊也や亜紀、武巳を置いて、稜子は慌ててあやめと一緒に空目の後を追った。

「……あ、いた。さーん」
「………」
 名を呼ばれ振り向くと、手招きしている稜子を目に留め、小首を傾げてから席を立つ。
「日下部さん…何か用?」
「えっとね、私が用事があるわけじゃないんだけど…」
「お前がか」
「ち、ちょっと魔王様……」
 いつもの事ながら、唐突な切り口で話し出す空目。
 稜子などは全く問題ないが、初対面のには、少々印象が…悪い気がする。
 そんな稜子の杞憂など全くお構いなしの空目は、
 をじっと見つめると――
「…来い」
 いきなり背を向けて歩き出した。驚くあやめと稜子。
「あ、魔王様!?」
 あやめはオロオロとしながらも空目の後ろを、いつもの如くとてとてと付いて行く。
 にその姿は見えていないはずだが。
「あぅ…魔王様ってば、どういうつもりなんだろ…」
 呟く稜子のその横を、は無言で通り過ぎる。
 え、と驚いて彼女を見ると――は空目の後を追いかけていた。
 慌てて稜子も後を追う。
 ……どうなってるんだろう??

 空目が向かった先は、何の事はない、文芸部室だった。
 要するに、を引きつれて戻ってきたのだ。
 何だ、と驚きの眼差しを向ける俊也や亜紀や武巳を完膚なきまでに無視し、空目はを部室に引き入れ、椅子に座らせた。
 追ってきた稜子も、少々息を弾ませながら座る。
「な、なあ…どうなってるんだ?」
 皆を代表するかのように、武巳が疑問を稜子にぶつける。
 だが、稜子も首を横に振るだけで、何がどうなっているのかは分からない。
 突発的な空目の行動に、全員が面食らっていた。
 ――は少々バツの悪そうな顔でそこに座っているが。
「……恭の字、一体……」
 亜紀の呆れたような声に、空目が切り出す。
、聞きたい事がある」
「…………」
 返事をしないを無視し、空目は続ける。
「お前は何者だ」
「………」
「俺の知る限り、魔女が自発的に呼び出したという人物はお前だけだ」
 は、何も答えない。
 フォローするように、武巳が話しに割り込んだ。
「へ、陛下…そんな単なる魔女の気まぐれかもしれないじゃないか」
「確かにそうかもしれない。だが、噂が学園に回るほどは会っているという事だ。……ならば、一度や二度ではないはずだろう」
「でも、だからって…彼女は…」
 怪異とは何の関わりもないように思える。
 武巳が見る限り、ごくごく普通の女生徒だ。亜紀や稜子と同じように。
 何者だと言われても、困ってしまうのではないだろうか。
 亜紀と俊也は剣呑な目でを見ているし、稜子は心持ちそわそわしているし――この場合あやめは人数から排除するとして、いきなり文芸部に呼ばれ、ワケの分からない事で問い詰められるなどというのは、武巳が当事者だとしたら、驚きを通り越して怖くなるかもしれない。

 空目が名を呼ぶ。返事は……無言。
 亜紀は段々とイライラしてきた。
 無言で居るくらいなら、どうしてここに来たのだと言ってやりたい。
 彼女のように自分をきちんと表現しない人間が、亜紀は嫌いだった。
 誰かに何もかも決めてもらわなくてはならないような奴は、大嫌いだ。
 目の前にいる女生徒は、その類の人物に見えたのだ――。
 例え空目の言われるままに来たとしても、ここまで来たのだから、それなりの対応をとるべきだ。
 嫌悪感を露わにした目で、を見据える。
 ――彼女の目が亜紀を見た。

 瞬間、彼女に抱いていたイメージが一変した。
 ……真撃な瞳。強い意思を秘めた目。
 何かと戦っている――そんな気がした。彼女は違う。
 他人のために、自分を殺せる人間だと亜紀には分かった。
 透き通ったその目に、亜紀にしては珍しく、好感を抱くのにさほど時間はかからなかった。

 再度、空目が名を呼ぶ。
 は深くため息をつくと――やっとの事で口を開いた。
 透き通った心地よい声だと、武巳は思った。
「知れば、私は、私の身を守るために、あなたたちと共に在る事になる。…それでも、いいの?」
 空目は視線を一巡させ、それぞれの確認を取ると、頷いた。
「話せ」



2003・12・9

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