花屋さん 2 携帯アラームが鳴る。 頭の上で鳴り響くそれを片手で切り、もぞもぞとベッドから起き上がる。 「……えーと」 部屋の様子がいつもと違うので、状況を把握するのに少し時間がかかった。 そう、確かここは姉――瀬口はるか――のいるマンション。 勿論一緒に住んでいるわけではなく、別の部屋なのだが。 仕事を辞めさせられ、新たな拠点として姉のいるマンションに越してきたのは昨日の事。 まだぼうっとする頭を振り、さくさく着替える。 「最近の運送業者はいいなぁー、色々やってくれて」 見回せば、すっかり生活する状況が整っている。 ありがたみを感じながら朝食を済ませ、カバンを持って足早に目的地へと向かった。 「おはようございまーす」 既に開店していた花屋の敷居をまたぎ、中を見回す。 花の間からひょこんと頭が出てきた。 「やあ、おはよう。本当に来るとはね」 その物言いに少々眉を潜めながらもカバンを指定された場所へ置き、八部袖の袖を腕まくりした。 半袖を持って来ようと思ったのだが、時間がなかったので適当なのを着てきてしまった。 別にデートでもなく仕事なのでよいのだが。 「さて、何をしましょうか」 結城にするべき事を問うと、彼は少し困ったような顔をした。 「んー、本当に来ると思ってなかったんだよねぇ」 「あたし、約束ちゃんと守りますから。まあ、場合によりますけど。それに、丁度仕事もなかったんで――迷惑なら帰りますが」 「いやいや、迷惑なんかじゃないよ。そうだな、それじゃあ……バラの刺抜きしてくれるかな」 「はい」 銀色のバケツに入った多種多様なバラは、まだ取り立てほくほく……ではなくて、商品として出せる状態ではなかった。 特に棘を取らなければ、お客様に痛い思いをさせかねない。 「えーと……腰据えてやりますか」 は接客の邪魔にならない場所にバケツを持って移動し、よいしょとかなりオバサン臭い事を言いつつ座った。 結城が苦笑いする。 「君ねえ、そういう事言わないの。可愛いんだから」 「……店長の<可愛い>は、別件が入ってるから受け取りません」 「別件て」 かりかりと頭を掻く彼。 「ちゃんと可愛いって思ってるんだけど?」 「それはあたしに対してではないので却下です」 「……ちゃんて結構手厳しいって言われない?」 「言われませんけど。あー、人生に素直だねーとか、おねーちゃんとは随分違うねーとか言われますが」 そんな事を言いながら、何本かのバラを引き抜き―― 「なっ!! な、何してるんだ!!」 結城の制止の声が届く前に、は思い切りバラの元の部分から下へ向かって、指でぎゅっと茎を挟んで下に思い切り引っ張った。 指に棘の痛みが走る。 「っ……とー」 「馬鹿! 手を……」 「へ、へ??」 殆ど一気に綺麗になったバラ何本かを別のバケツに入れると、結城はの手をひったくって指を丹念に見た。 真剣な顔の彼に首を傾げる。 「あ、あのー?」 「黙って。……あー、やっぱり切れてるな」 そりゃ切れるわな。棘を手で引きちぎったようなもんだ。 「ちょっと待ってて。今救急箱持ってくるから」 「だ、大丈夫ですよー? そんな大事には」 「黙ってなさい。店長命令」 そう言われてしまうと逆らえず、戻ってくるのを待つ事にした。 よくよく手を見ると、棘のせいで一気に切り傷ができている。 しかしそんな深いものもなさそうだ。 水仕事をしても、酷く痛む事もなさそうなのに。 慌しく戻ってくる結城の手には、救急箱がしっかり握られていた。 「ほら、手を出して」 「は、はあ……」 「はあ、じゃないだろ。いいから」 すっと手を出せば、消毒から包帯まで丁寧に処置をしてくれた。 しかし包帯すると仕事に差支えがある気がするんですが? 「ばんそうこうとかで良かったんですけど」 「馬鹿言わない。あんな切り傷作って……全く。確かに俺は棘を取って、と言ったけどね。普通に取ればいいんだよ」 「普通……に取ったつもりなんですが」 確か、以前バイトをした際に教えられたバラの棘の取り方はそうだった。 場所によってまちまちなのだろうかと問うと、結城は頭をぽんと叩いた。 「確かにそういう取り方をする所もあるみたいだけどね。普通に一個一個取ってくれて構わない。というより、一個ずつ取ってくんないかなー、可愛い子の手を傷つけるのなんか見たくないもんねえ」 「仕事に差し障りありますもんね、手を傷つけると。了解しました。今度は逆手で取りますんで」 「あらら、可愛い子っていうのは完全スルー?」 「だから、<可愛い>を言いたい人はあたしではないのでスルーです」 「……うーん」 それからは黙々と仕事を続けた。 接客は結城の仕事なのだが、もたまに接客する事態に陥った。 今日が姪っ子の誕生日だと言う女性客に、趣向を凝らしたミニ花束を作ってみたり、自分の持ちえるアイディアをフルに使って花屋の仕事をした。 「やー、ご苦労さん。今日はこの辺で閉めるよ」 いい時間になってきた頃、結城がそう言った。 シャッターを閉め、中の片付けを始める2人。 「それにしても、ちゃん凄いねー、俺今日大助かりだよ」 「そですか? 迷惑かけてる感じでしたけどね」 怪我したり。言いながら右手をヒラヒラさせる。 包帯を巻いた白い手は、結局痛みを感じながらも作業をやめることをしなかった。 流石に水作業の時は左手だけになってしまったが、それ以外はしっかり両手作業だった。 「お茶でも飲んでかない? ハーブティー好きなの淹れてあげるよ」 「そですか? それじゃあ……ジャスミンティーお願いします」 「心得まして」 暫く店のテーブルで待っていると、結城がジャスミンティーを持って戻ってきた。 「2階は俺の部屋なんだけどね、流石に上がれっていっても上がらないだろ?」 「ん、そですね」 あっさり頷いたのがまずかったのか、結城は肩をすくめた。 「君もお姉さんに似て身持ちが堅いねえ」 「身持ちが堅いって?」 言っている意味が分からない。 すると結城は実に面白そうにの頬をつついた。 「いやいや、別に気にしなくていいよ、うん。――ところで、君は今仕事ないんだっけ。前の仕事は?」 言いたくないなら無理に言わなくてもいいよ、と笑顔で付け加えて聞いてくる。 別段隠す事でもないので素直に答えた。 「前はオーケストラに居ました」 「は? おーけす、とら??」 言われた職に馴染みがないのか、彼は考えるように上を向き、それから目線を元に戻した。 「オーケストラっていうと、管弦楽団、とか、そーゆー?」 「そーゆーです」 「楽団名は」 「TKフィルです」 結城が驚いた顔をした。 「そ、それってすごーくすごーく有名なんじゃ」 「有名ですね。そこでヴァイオリニストしてたんですよ」 ジャスミンの香りを楽しみながら紅茶を満喫するとは対照的に、結城はひどく驚いた顔のまま――少々前のめりになりつつ質問を続ける。 「ヴァイオリニスト……でも昨日クビんなったって」 「クビというか自主退団というか。まあ、そこらに転がってる話ですけど」 は簡単に説明した。 楽団の中で、恋愛関係でモメた事。 それで気詰まりになり、ぎくしゃくした結果、モメた内の1人が辞めてしまった事。 1人だけ辞めさせるのは酷く気になるので、結局自分も辞めてしまった事。 簡単に言う彼女に結城も軽く聞いた。 「そのさ、未練とかなかったわけ? 君は望んでその楽団に入ったんだろう」 「そりゃあ辞めるまでは考えましたよ。でも、あたしは音楽が好きでヴァイオリンを弾いてて、だから結果的に楽団に入ったのであって、楽団に入る目的が先にあって音楽やってたわけじゃないですから」 「ヴァイオリンってさ、指が大事だろう。怪我しちゃったらまずいんじゃ」 確かに右手が使えない事で問題は起こるが。 「個人練習では大して問題ないですしね。どこかに入りなおそうとか考えてないし」 ふ、と視線を脇に向けて花を見つめる。 結城もその視線の先を見た。 ――ピンク色のバラがある。 「……今暫くはバイトでもして、考えようと思ってます」 「彼氏は?」 バラを見つめていたが眉根を寄せ、結城を見つめる。 いや、睨みつける。 「質問の意図が読み取れないんですけど」 「いやー、だから彼氏。今、いるの?」 は小さく息を吐くと、テーブルに肘をついた。 「んな事聞いてどうすんですか。いないですけど、だから何」 「――あー、いや。……君ってもしかして恋愛関係の話、キライ? すっごいワルっぽい顔んなっちゃってるよ。可愛い顔してるんだからさぁ」 「……結城店長には分かりませんよ、あたしの気持ちは」 そう、分かるわけない。 結城は暫く、ひた、との目を見つめ、至極真面目な声で言う。 「言ってみたら? 分かるかも知れない。分からないかも知れないけど、それでも君の気持ちは少し軽くなる。でしょ?」 「あ――まあ、それは」 確かにその通りなのだが。 「ま、いいけどね。……俺から1つ君にお願いがあるんだ」 「なんでしょ」 「明日も店を手伝いに来てくれないかな。良ければ明後日も。明々後日も」 「……それってあたしをバイトに使ってくれるって事でしょうか」 ウィンクは肯定の証。 はほんの少しだけ考えた後―― 「宜しくお願いします」 返事を返した。 デザートラブっていう18禁オトメゲーの夢その2。 2005・1・22 戻 |