不満



 ぼく、成歩堂龍一には、ちょっとした不満がある。
 以前のぼくなら気にしなかっただろうし、どちらかというと、そういう行為にあたふたする側だった。
 できれば、人前では止めて欲しいと思っていたぐらいで、だから今のぼくの不満に、ぼく自身が少々驚かされる。
 普通こういうのって、年を取ると失われるものなんじゃないのか?
 思いながら、王泥喜くんと話をしているぼくの恋人――を見つめた。
 彼女はぼくの視線に気付き、小さく首を傾げる。
 ――変わらないなあ。なのに、変わっちゃったんだよなあ。
「龍一さん?」
「……に質問があるんだけど」
「うん」
 王泥喜くんもこちらを見る。
 少しだけ腰が浮ついている感じがするのは、自分が聞いて良いのか悪いのか、判断がつかないからだろう。
 別に聞かれて困るようなことでもないから、何も言わないでいる。
 不思議そうな顔ををしている
 ぼくは、自分の中にあるちょっとした不満を、疑問として伝えることにした。
 ソファに座ったまま、少々前かがみになって腿に肘をつき、指を組む。
 視界の端で、王泥喜くんがゴクリと唾を飲み込んだ。
 君が緊張することはないと思うけどね。
「どうして、昔みたいにしなくなったんだい?」
「昔みたいに……って?」
 に、とぼけている様子はない。
 本気で理解できないらしい。
「……は昔、よくぼくに抱きついてただろう?」
「そうなんですか!?」
 王泥喜くんの、発声練習で鍛えられた声が驚愕を示して部屋に響いた。
 もう少しボリュームを下げることを希望するよ。
 はといえば、ぼくの言葉に少し顔を赤くして、俯いている。
 かと思えば、微妙に恨みがましい目でこちらを見た。
 ぼくは綺麗に無視をして、話を続ける。
「そうなんだよ王泥喜くん。それなのに、今は全然だ。なんでだろうね?」
 にっこり笑ってを見ると、彼女はぐっと詰まって、
「昔は、『やめろ』って言ってたじゃない。だからいいでしょう、別に」
 ふい、と横を向いた。
 よくないんだよ、。全然よくないんだ。
「あの頃はまだまだ子供だったから。我慢するのがキツかったんだよ」
「我慢?」
「そう、我慢。オトコノコだからね、ぼく」
 この発言で、も王泥喜くんも理解したみたいだ。
 王泥喜くんは変に挙動不審だし、はというと、ぼくと目を合わせないようにしている。
「……えーと。その、龍一さんはつまり……私が抱きつくと、よからぬ想像をしちゃってたというか」
「うん。だから人前で抱きつかれたりすると、凄くキツかったんだ」
「そ、それは……どうもスミマセン……」
 他に言いようがないのか、謝ってくる
 別に、謝って欲しいわけじゃないんだけど。
「それで、どうして抱きついてこなくなったの?」
「そりゃあ、私だってあの時より成長したというか……今の龍一さんにそれをすると、不味いような気がするというか……」
 言葉の最後のほうは、だいぶモゴモゴしていたけど、ちゃんと聞こえた。
 ――不味い、ねえ。
 それはきっと間違ってないよ、
 だからといって、それでぼくが納得するとは思っていないだろう?
 ぼくの笑みが深まって、王泥喜くんが顔を引きつらせる。
 酷いな。人の笑顔を見て引きつるなんて。
 彼はそっぽを向いたままのの裾を、軽く引いた。
 彼女は顔を上げ、ぼくを見る。
「……なんか、変なこと考えなてない?」
。どうして不味い気がするのか、ちゃんと言ってくれないと、ぼくは納得できないなあ」
「なっ、納得させる必要性を感じないよ」
「ふぅん?」
 口端をあげて笑む。
 王泥喜くんの引きつり笑いが、より深くなった。
 は幾度か言葉を詰まらせ、結局ぼくに負ける。
「つ、つまり……その。だって、今の龍一さんに抱きついたりしたら、その、それだけじゃすまない気がするし!」
 ぼくは無言のまま、ソファに深く腰掛けなおした。
 こちらを見る恋人に向かって、手招きする。
 彼女は警戒しながら、それでも近寄ってきた。
 素直なところは喜ぶべきなのか、それとも無警戒すぎると咎めるべきなのか。
 でも彼女が、この事務所以外の人間には、ここまで無防備でないことを知っているから、何も言わないでおいた。
 近づいてきた彼女の腕を取り、思い切り引っ張る。
 前のめりになったの腰を掴み、ぼくはぼくのひざの上に彼女をちょこんと乗せた。
 実際には、はぼくをまたいでいるわけなんだけど。
 王泥喜くんの、「ひぃ!」という悲鳴が聞こえる。
 変なことはしないつもりだけど、見たくなかったら目を閉じているといいよ。
 別に見せ付けたいわけじゃないからね。
 はというと、しばらくぼくから逃れるため、あれこれと抵抗していたけれど、結局諦めたみたいだ。
 彼女が本気でぼくをぶん殴ってくることは、まずない。
 平手ぐらいならあるかも知れないが、そこまで嫌がられてもいないようだ。
 ぼくは瞳を細め、ほんのり赤ら顔のを見つめる。
「……確かに、今のぼくは君に抱きつかれたら、色々やりたくなっちゃうだろうね」
「わ、分かってるなら」
「でもねえ。残念ながら、ぼくは我慢することをやめた身だから。君からくっついてきてくれないなら、ぼくからいくだけの話さ」
 一瞬、何を言われているのか分かっていない表情で、はぼくを見た。
 ぼくは彼女のうなじに手をやり、ぐい、と引き寄せる。
 頬に額にと口付け、最後に口唇へ。
 王泥喜くんがまたも悲鳴をあげた。
 がぼくの胸を強く押すので、あまり長いことキスしていられなかった。残念。
 睨み付けてくる彼女の頬に手をやり、微笑む。
 それだけで毒気を抜かれたみたいに、は肩の力を抜いた。
 愛されてるなあ、ぼく。
「龍一さん。あのね、お願いだから、人前では勘弁して……」
「却下。我慢させすぎで爆発しちゃったら、そっちのほうがにとってはキツいよ? ……まあ、自重はするけど」
 ――君のイイ顔は、ぼくだけが見られればいいんだし。
 そんなことを耳元で囁いたら、にほっぺたを引っ張られた。痛いなあ。
 王泥喜くんは、指の隙間からこっちをじっと見ていた。
 見たいんだか、見たくないんだか分からない行動だな。


 以降、ぼくの不満は少しだけ緩和されたかというと、そうでもない。
 相変わらずは抱きついてきてはくれないし、ぼくが変な――つまりそういう意図を持って触れると、王泥喜くんを盾にしちまう。
 ただ、それは誰かがいる場所での話。
 誰もいなければ、ちょっとのご無体も許してくれる。
 そのうち、また前みたいに抱きついてきてくれると、ぼくとしては物凄く嬉しい。
 あの頃は恥ずかしいからと、すぐ引き剥がしてたけど。
 今だったらちゃんと抱きしめ返せる。
 何度だって、好きだ、愛してるって言える。

「龍一さん、何を物凄く真剣な顔で考えてんの?」
 君のことだよと言ったら、ナンパ男みたいだと笑われた。
 だって本当なんだから、しょうがないだろ。


2013・1・19