オドロキ君と少女漫画



「龍一さん、ちょっと出てくるね」
 応接室側の扉から顔を出したに、ソファに腰を落としていた成歩堂は視線を向ける。
「仕事?」
「うん。不動産登記の書面作成。手が足りないんだって」
 早めに帰ってくるからと手を振り、は顔を引っ込める。
 残ったのは成歩堂と、難しい顔で法律本を読んでいる王泥喜だけだ。


 その王泥喜は、それから10分しないうちに紙面から顔を上げ、思い切り息を吹いた。
 本を閉じて、軽く頭を振る。
 ――専門書は、一気に読むものじゃないなあ。
 法律の専門家たる弁護士が、何を言うかという感じだが。
「読むのは止めたのかい?」
「あ、はは……少し休憩ですよ」
「ふぅん。ま、のんびりやることだね」
 気のない素振りで言う成歩堂に、王泥喜は曖昧な笑みを浮かべる。
 成歩堂は先ほどからずっと、王泥喜と同じように本を読んでいた。
 『ナニサマン・パーフェクトガイドブック』と書かれたその本を。
 恐らく、いつもDVDを送ってくる人からの贈呈品だろう。
 貸し出し品かも知れないが。
 そんな事を思っていると、のよりも忙しない足音が聞こえてきた。
「パパー、ママー、ただいまー!」
「ああ、お帰り、みぬき」
「ママはお仕事?」
 帰りは何時かわからないよと、普通に答える成歩堂。
 そもそもは、この事務所で寝泊りしているわけではないのだから、帰りも何もあったものではないのだが。
「あれ、みぬきちゃん……それ漫画?」
 小脇にかかえたものに気づいて問う王泥喜に、みぬきが頷く。
「友達に借りたんですよ。読みます?」
「い、いや……オレはいいよ……」
「そうですか? 面白いですよ! まだ評判しか聞いてないですけど」
 じゃあ面白いと斡旋するなよと、突っ込みを入れたくなる。
 みぬきは笑顔で、王泥喜にその漫画をつきつけた。
「とにかく読んで下さいよ! レポートを書けとはいわないですから」
 有無を言わさず手渡され、渡した本人はというと、出支度を整えている。
 帰ってきたばかりで忙しないことだ。
 成歩堂は紙面から視線をはずす。
「今日は仕事だっけ?」
「うん。結婚式場の盛り上げ役!」
 マジックというのは、結構あちこちで需要があるのかも知れない。
 ――盛り上げ役にはもってこいだしな。
 みぬきが慌しく出て行ってから、王泥喜は漫画をぺらぺらめくりだす。
 正直、法律書を延々と読み続けていたため、脳が疲労している。
 気分転換にと読み出した少女漫画は、何故だか3巻目だった。
 読み進めていくうちに、王泥喜は妙にむずがゆい気分になる。
「……ず、随分と過激なシーンが多いなあ」
 思わずこぼしてしまうほど、濡れ場的な場面があちこちに挟まっていた。
 成歩堂が首を傾げた。
「そうなのかい?」
「成歩堂さんは、少女漫画とか……読むんですか」
「まあ……暇な時に目につけば。好んで買ったりはしないけど」
 成歩堂は、先ほどまで読んでいた本を机に置き、置いてあったもう一冊を手にとる。
 表紙には金字で『ナニサマン・完全攻略』と書かれている。
 何を攻略するのか。ゲームでもあるまいし。
 会話がなくなったので、王泥喜もまた紙面に視線を戻した。


 少女漫画を読みきり、王泥喜はため息をついた。
 感想は、『こってりしている』だ。もっと言うなら、甘ったるい。
 話の最後の方が特に。
 彼氏が彼女に自分の名前を呼ばせようと、『苗字で呼んだらペナルティー』と言い張り、うっかり苗字で呼んでしまった女性に、男性は物凄く嬉しそうにスキンシップを図る。
 そうしているうちに、元の彼女が偶然現れてどっきり、的な展開で3巻目は終わっていた。
 よくありそうなパターンだ。
 恐らくこの後、モメたりするのだろう。
 ついこの間、この漫画と似たようなことが、自分の目の前で行われていたなあと、何の気なしに思い出す。
 ちらりと、本を読み続けている成歩堂に目線を向けた。
 彼はこの間、自分の名前を読んでもらおうと、に詰め寄った。
 王泥喜からは見えなかったが、後にに聞いた話では、成歩堂は『弁護士モード』に入っていたらしい。
 証人を陥落させる時に見せる目で、自分の恋人に『名前呼び』を強制する元弁護士。
 ……どうなんだろう、それって。
「そういえば……さん、あれからずっと成歩堂さんを名前で呼んでますね」
「うん、まあそうだね」
 あまり本に集中していないらしい。直ぐに返事があった。
 一応、目線は本に向けられているが。
「もしかして、成歩堂さんも……苗字とかあだ名で呼んだら、ペナルティー1回とか……」
「ペナルティーねえ。例えば?」
「えっ……! そ、そうですね……。オレが今読んだ漫画では、キッ……キス1回、でしたけど」
 キス、で言い淀む王泥喜。
 ほんのり顔が赤くなっていると、当人は気付いていない。
 成歩堂が、クスリと笑った。
 王泥喜の感覚では、ニヤリだが。
 本を机の上に放り出し(借り物だろ!?)成歩堂はソファに深く腰掛ける。
「……まあ、キスのペナルティーなら可愛いものだよね」
「はい……?」
 かわいい?
 疑問符を頭に浮かべる王泥喜。
 成歩堂は顎下を幾度か撫でる。後、すぅ、と目を細めた。
 妙な雰囲気が漂い始める。
 ――もしかしてオレ、また何かさんに不利なことでも言っちまったのか!?
 ちなみに。
 が成歩堂を名前で呼び始めたきっかけは、王泥喜の『さんて、成歩堂さんを名前で呼ばないですよね』という、ちょっとした質問だった。
 前科があるだけに、王泥喜は少しばかり顔を引き攣らせた。
 王泥喜の胸中など知らず、成歩堂は窓の外を眺めている。
「僕なら、1回のミスごとに1発って感じかな」
「イッパツ、って」
「うん? もちろんセ――」
「ぶはぁっ!! ぬぁっ、ぬぁるほどーさんっ!!? なんてことを!!」
「誰だよ、『ぬぁるほどー』って」
 軽く笑う成歩堂。
「だ、だってですね!」
「ペナルティーだろ。……まあ、そんなこと言ったら、躊躇しないで名前で呼ぶだろうね。永遠に」
 王泥喜は頭の中に浮かんでしまった『ソレ』に、顔を真っ赤にする。
 先ほど読んでいた漫画のせいか、妙に艶かしいイメージが。
 の姿態を思い描いた瞬間、成歩堂がこちらを睨みつけてくる。
「すっ、すみません……もうしません……」
 物凄く小さな声で謝った。
 ――うぅ。怖ぇッ!


 が帰ってきた時、王泥喜は彼女に謝った。
 謝られる覚えのない彼女は、目をぱちぱちさせて、成歩堂に問う。
「……ねえ龍一さん。オドロキ君、なんでいきなり謝ってきたの?」
「さあ? 変な想像でもしたんじゃないかな」



タイトル思いつかなかった…。
2009・10・13