最高の一時



 入院中の成歩堂だが、しかし、決して重病人ではない。
 それどころか、本来なら入院する必要もなかったりする。
 車に10メートルほど撥ね飛ばされるという、不幸な事故に遭った彼の怪我は、足首の捻挫という、ものすごい軽度なものだったからだ。
 基本、検査入院の状態である成歩堂は、つまり日がな一日暇なのだった。
 こういう、思い切り空いた、しかも外に出られないというオプション付きな時間は、有効活用せねばなるまい。
 成歩堂はそれまで溜め込んでいた戦隊物のDVDを、次から次へと見始めた。
 何本も連続して見続け、厭きてきた頃。
 扉をノックする人があった。
「………こんにちはー」
 そろりと顔を出す彼女の姿を見て、成歩堂は少しばかり表情を弛めた。
 つい先日、5年越しの再会をした彼女――成歩堂
 再会ついでに、恋人関係を結びなおした女性でもある。
「いらっしゃい。入りなよ」
「うん」
 素直に頷いてこちらへ来る。かつてと変わらず素直だ。
 暫く見ないうちに、だいぶ色っぽくなった気はするが。
 成歩堂がベッドに座っている、その横の椅子に、は腰を下ろす。
「来る途中に事務所に寄ったら、誰もいなかったよ」
「オドロキ君とみぬきは、裁判のための調査に行ってるしね。今は電話番も必要ないし」
「そっか。……にしても」
 は少々顔をしかめて、とっちらかった病室を眺めている。
 少しは片付けろと言いたいのだろう。
 彼女は決して綺麗好きとは言えないが、かといって散らかり放題で済ませておく人間でもない。
 ちなみに、片付ける時には一気にいくが、基本的には成歩堂は後者だ。
「トランプまで病室に持ってきてるの? さすがポーカープレイヤー」
 机の上にきちんと揃えられている、一式のカードを見つめて言う
 それを手に取り、成歩堂は適当にシャッフルする。
「……勝負、するかい?」
 口端を上げて笑む。
 は顎下に手をやり、うぅんと唸った。
「…………うん、そうだね。ひと勝負お願いします」
「了解したよ」


 既に身体に馴染むほどになった、一連の行為。
 シャッフルしたカードから、手札になる5枚を引き抜く。
 成歩堂は自分の手札を見るより先に、の表情を盗み見た。
 普段の彼女は、表情をよくよく表に出す人間だが、今、この時は違う。
 真剣な瞳で手札を見る彼女の表情は、成歩堂がこれまで多く見てきた、勝負師の顔だ。
 緩みそうになる表情を引き締める。
 ――変わってないな。
 は昔から時折、物凄い集中力を見せることがあった。
 同時に、恐ろしく鋭い勘を発揮することもある。
 それはたいてい危機的状況になった時で、幾度となく成歩堂を助けたものだった。
 こちらの腹を探る彼女の視線が、成歩堂をぞくぞくさせる。
 今、は自分だけを見つめている。
 自分だけを想って、突き崩そうと集中している。
 ――妙に興奮するなあ。
 そんなことを口にしたら、変態だと怒られるだろうけれど。
 今の自分には、何より彼女を感じられる時間のような気がする。
「なるほど君は、7年間無敗なんだよね」
 カードに集中する素振りを見せながら、実はこちらを注視しているが、世間話のような軽いノリで口にした。
 成歩堂は手札から1枚引き抜き、伏せて場に出し、カードの山から取る。
「まあね。元々カードゲームは強い方だったし」
「でも、昔私に負けたことあるよね」
 も同じように、手札を2枚引き抜いた。新たなカードを取る。
「確かに。……まあ、ポーカーじゃなかったはずだけど」
 スピードとか、神経衰弱とか、ブラックジャックとかその辺だったはずだ。
 それはともかく、互いに手札を整え、ショーダウンを宣言する。
 同時に手札を開放。
 はツーペア。
 成歩堂はスリーカード。
「………僕の勝ち、だね」
「うぅ……駄目だったかあ」
 軽くうな垂れるに、成歩堂は笑う。
とのゲームは楽しくていいよ。変に神経を尖らせないで済むしね」
「それって、私が弱いってこと?」
 じろりと睨まれ、肩をすくめる。
「違うよ。……ボルハチで僕に勝負を挑んでくる奴らは、時に殺気をぶつけてくるからね」
「無敗の王者を蹴散らしたいっていう、願望があるからなのかな」
「だろうね。彼らにも、それまでのプライドがあるし……」
 あの暗い小部屋で、成歩堂の『無敗』を壊さんとし、多くが勝負を挑んできた。
 彼らのプライドのために。
 成歩堂には、カードゲームに対してのプライドなどない。
 を失って、甚だしく色彩を失っていた成歩堂の欠けを、勝負というもので埋めてきたに過ぎないからだ。
「お客が全員、だったらいいのになあ」
「気色悪い気がするんだけど……全員私って……」
「そう? 僕はハーレム気分で仕事に臨めるけど。……うん、でもまあ、やっぱり本人が一番だよ」
 カードをきんと整えてケースに戻しながら、そんなことを言っていると、彼女はふいと横を向いた。
 軽く頬が染まっている。
「……………なるほど君って」
「前はこんなこと言わなかった、って?」
 にっこり笑う成歩堂。
 はこくりと頷いた。
「大人になったんだよ」
 ――君を絶対に手放さないっていう、厄介な大人にね。





厄介な大人だという自覚のあるニット氏。
2008・8・29
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