笑顔の理由 その日もは、成歩堂法律――いや、なんでも事務所の掃除をしていた。 成歩堂親子は外出しており、この場にいるのはと王泥喜だけ。 片付ける先から散らかされながらも、日々のたゆまぬ努力――は言いすぎなきらいがあるが――のおかげで、事務所の内部は、かつての姿を取り戻しつつある。 雑巾を絞り、はみぬきのマジック道具をざかざかと拭く。 「ごめんねオドロキ君。……弁護士に掃除させて」 「いえっ、気にしないで下さい。――依頼もないですしね」 はは、と軽く泣き声交じりに言いながら雑巾をキチキチに絞る王泥喜に、は肩をすくめる。 「だいじょぶだよ。昔はなるほど君もトイレ掃除ばっかりしてたし……でもちゃんと依頼来てたし」 王泥喜は目を丸くして驚いている。 ああ、もしかして夢を壊してしまっただろうか。 もっとも、現状の成歩堂を知っているのだから、夢も何もないとは思うけれど。 「オレ、実は今の成歩堂さん、ちょっとだけ苦手なんです」 「そうなの?」 「なんていうか……嫌いじゃないんですよ!? でも人を呑んだような感じが……いや、過去のイメージに囚われてる自分がいけないんでしょうけど」 弁護士・成歩堂龍一を尊敬している彼にとって、現状の成歩堂はあまり好ましくないものなのかも知れない。 「まあ……確かにね。でも今のなるほど君、私はだいすきだけどなあ」 昔よりえっちい気がしてならないけど。 あの、退廃的な雰囲気がそう思わせるのだろうか。 気もそぞろに道具を拭いていると、突然、指に痛みが走った。 「っぅ」 「えっ、さん? どうしたんですか!?」 彼に向かって大丈夫だと言いながら、指の状態を見る。 みぬきの、壊れかけた魔術道具に指を引っ掛けてしまったらしい。 ゴチャゴチャしている所へ、適当に手を突っ込んで掃除をしていたせいだろう。 釘のようなものに引っ掛けてしまい、血が滲んでいる。 は持っていた雑巾を、慌てた王泥喜に奪い取られた。 「早く水洗いして下さい!」 「そんなに切羽詰らなくでも平気だって」 とりあえずキッチンに向かい、傷口を綺麗に水洗いした。 塗り薬が必要だとは思えないが、絆創膏ぐらいは張っておいた方がいいだろう。 ――あったっけ? 昔は救急箱があったが、今はどうだろうか。 あったとしても、それすら埃をかぶっていそう。 唸りつつキッチンの外へ出ると、丁度、帰ってきた成歩堂と出くわした。 「あ、お帰りなさい」 「うん、ただいま……」 言った成歩堂の視線が、軽く持ち上げられた状態のの指に固定される。 彼の眉根が寄った。 「、どうしたんだ」 「掃除してて、釘っぽいものに指を引っ掛けただけ。大したことじゃないし」 「ちゃんと見せて」 手を取られる。 間近で指を見続けていた成歩堂は、何を思ったのか、の指――傷口を口に含んだ。 予期していなかった行動。は息を詰める。 心臓がぎゅっと締め上げられた気がした。 不愉快さを感じているのではない。単純に緊張のために、だ。 恥ずかしくて指を引き戻したいのに、そうできない。 成歩堂の舌が、小さな痛みを訴える部分を幾度も這う。 できるかぎり普通の態度でいたいのに、顔は勝手に火照りを増していく。 指を舐める成歩堂の瞳が、こちらを見た。 「っ……な、なるほど君、もういいから」 「……消毒は、ちゃんとしないとね」 微かに口の端を上げる笑み。 消毒なら、消毒液でするべきでしょうという突っ込みも入れられず、ただ彼の行動を黙って見つめる。 自分の胸元を掴み、何かを堪えた。 次第に成歩堂の舌は、傷口から逸れていく。 指先を吸い、付け根を舐め、手のひらや甲に口付けを落とす。 当然、そうする必要は全くないのに、だ。 まるで愛撫のように繰り返されるそれは、の体から、どんどん力を抜けさせていく。 自分ばっかり妙な気分になっている気がして、悔しい。 「や、だっ……なるほど君ッ」 「……ん? どうしたんだい?」 咎めの台詞は、しれーっとした様子で流されてしまう。 「ど、どうも、こうもっ……指、いやだっ」 「……大人しくしていなさい」 笑いを含んだ軽い命令口調に、思い切りぐらついてしまう自分がいて、は頭を抱えたくなった。 ――なるほど君に妙な色気があるのがいけないんだっ。 命令されて喜ぶ性格ではないし、妙な性癖もない。 だったらやっぱり、彼が悪い! 完全なる言いがかりを思考の中だけで独白し、ふい、と横を向く。 成歩堂はクツクツ笑った。 「なに、考えてるんだい?」 「なん、でもないっ」 そうは見えない、と深い笑みを浮かべる成歩堂に、が口を開きかけたとき、 「さん! オレのバンソーコ使っ……あ」 王泥喜が勢いよく出てきた。 今まで絆創膏を探してくれていたのだろう。 彼は、と成歩堂の状態を見て動きを止め、一気に顔を赤らめた。 「ああああ、あの、オレっ、邪魔しましたか!?」 成歩堂は軽く息をついてを解放し、ニット帽を指先で摘んで、軽く引き下げた。 「………そうだね」 「スッ、スミマセン!!」 は、気付けば血の止まっている指を引き寄せて、王泥喜の後ろに身を隠した。 成歩堂の表情が険しくなる。 「。隠れる場所が違うんじゃないかな」 「間違ってません。お、オドロキ君はなるほど君みたいなことしないし!」 「あの、さん……成歩堂さんが怖いんですけど」 「気のせいだよ!」 絶対に気のせいではないが、あえてそんな風に言ってみる。 王泥喜から絆創膏を受け取り、指に巻いた。 成歩堂は肩をすくめ、距離を取っているに、瞳を細めた笑いを向けた。 「……。かわいいね」 「っ……し、知らない!」 王泥喜の後ろに引っ込む。 おろおろしている王泥喜を他所に、成歩堂は実に楽しそうだ。 「成歩堂さん、さんと一緒だと、よく笑いますね……」 「そうかな。……うん、そうかもね。だって僕、を愛してるから」 さらりと言う成歩堂。 王泥喜とだけが、顔を赤くした。 裏に突入してもおかしくない雰囲気だけど微えろで(笑) 2007・6・5 ブラウザback |