ファッションセンス




 数年かけて散らかされた事務所内は、そう簡単には片付かない。
 はため息をつきながら、部屋の隅で埃まみれになっている大量のスカーフを掴んだ。
 おそらく、みぬきがマジックショーに使っていた物だろう。
 スカーフに混じって、小さな国旗が連なったものなどもある。
 ……使うのかな。
 ずるずるとすべてを引きずり出し、洗濯物のかごに突っ込む。
 今では法律事務所だった頃の面影など、ほとんど見る影もない。
 六法全書をはじめとする法律関係の難しい本などは、以前からある棚に、綺麗に陳列されてはいる。が、別にそこだけを意図して綺麗にしたわけではないだろう。
 なにせ弁護士時代にも、そこは手付かずだったから。
 単純に言って、放置である。
「そもそもここって、所長室なんだよねえ……なんか家みたいになってるけど」
 部屋の惨状をぐるりと見回し、ため息をついた。
 もう少し放置していたら、片付けようという気力すら起きなかっただろう。
 それほどまでに室内は荒れている。
 誇張ではなく、足の踏み場がなかったのだから。
 片づけを進めるうち、衣装棚らしきものに当たった。
 ごちゃごちゃ物が置いてあるその奥にあるのだから、当然使われなくなって久しい。
 凝り固まった埃が、あちこち付属品のようにくっついている。
「……私がいた頃に使ってたヤツ、かな」
 見覚えのあるクローゼットというか、小さな衣装箱だ。
 あまり息を吸い込まないようにしつつ、濡れ雑巾でざっと表面を拭いた。
 さて、と開き戸に手を掛けて引く。
 ――う、中も凄い埃っぽい。
 顔をしかめながらも、ハンガーで吊られている服に手をかけた。
 服、というより衣装が多い。それも小さい。
 みぬきがまだ小さい頃の衣装ばかりだ。
 懐かしさを感じながら、もう使うことが出来ない衣装たちを次々手に取り、洗濯籠とは別の籠に放り込んだ。
 捨てる可能性が高いものは、こっち。
 数着、ゴミ行きの籠に服を突っ込んだ時、端のほうにある青色の服に目を留め、暫し動きを止めた。
 ――これは。
 は、そうする必要もないのに、おそるおそるその『青いもの』を手に取る。
 長いこと放置されていたから、当然埃っぽい。
 埃を払ってみるも、付け焼刃の状態だ。洗わないと、粉くささはなくならないだろう。
 けれど、それはにとって物凄く重要というか――懐かしいものだったから。
 思わずぎゅぅ、と抱き締めた。
「……、なに、してるんだい」
 背後から掛かった声に驚き、は抱き締めたものをそのままに振り向く。
 気だるそうな雰囲気の成歩堂が、そこにいた。
「お、お帰りなさい。なるほど君」
「うん、ただいま。……それで、なにしてるの、君は」
「掃除」
「手に持ってる……いや、抱き締めてるのは?」
 彼は明らかにの持つ『物』を理解していて、そしてあまり愉快ではない表情をしている。
 まずかったかなあと思いながら、はそれでも胸からそれを手放せない。
「君の服、汚れるよ」
「まあ、それは今更と言うか……」
「捨てなよ。……それ、僕のスーツだろ?」
 その通り。が持っているのは、かつて成歩堂が弁護士をしていた折に着ていた、青色のスーツだ。
 服に愛しさを感じるのはおかしいと思うけれど、愛着があるのには間違いがない。
 は軽く肩をすくめ、青いスーツを手にしたまま、まだ片付け切っていなくて床に散らばる物品をまたぎ、彼の方に寄る。
 成歩堂はパーカーのポケットに片手を突っ込んだまま、もう片方でゴミ袋を示す。
「捨てるんだろ」
「………やだ」
 彼の眉根が寄る。
「………僕、そんなの着ないよ」
 確かにそれは分かっているのだ。
 今の彼の基本ファッションは、パーカーとジーンズ。
 スーツを着て何かをする必要はない。なにせポーカープレイヤーだから。
 成歩堂にとって、弁護士時代の青スーツを見るのは、面白くないことなのかも知れない。
 でも。にとっては、大事なものだ。
 手放す気のまったくないに、成歩堂は呆れたように溜息をつく。
「どうするんだい、そんな物。……飾っておけとでも?」
「そんなつもりじゃないよ。ただ――」
 ただ、無残に捨てたくないだけで。
 捨てるにしても、きちんと綺麗にして、それから捨てたい。
 できれば、捨てたくはない。
 本音を言えば、もう1度、コレを着ている成歩堂に会いたい。
 だから、聞いてみた。
 彼が不機嫌になるのを覚悟で。
「なるほど君、これ、綺麗にするから……着てみない?」
「断るよ」
 ずばっと切り捨てられた。更に、予想していた通り不機嫌になってしまった。
 成歩堂は、かつてよりずっと表情を表に出さないが、今のようにと2人きりだと、常時よりは感情が読み取れる。
 しれっと横を向く成歩堂。
 は彼の服の裾を、軽く引いた。
「ご、ごめんね? でも、その」
「………は、今の僕より、弁護士の僕の方が好き……だろうね」
 呟かれた言葉に、はぎゅっと眉根を寄せる。
「……私は、『成歩堂龍一』が好きなの。弁護士だとかなんだとか、そんなのは関係ないよ」
「じゃあ、どうしてスーツに固執するんだ」
 別に固執しているわけではない。……いや、少しはしているかも知れないけれど。
 は俯き、気持ちを落ち着けてから彼を見つめた。
「…………だって。今のなるほど君がこれ着たら、前より絶対カッコイイよ」
 絶対だという力強さをこめて発言する。
 成歩堂は目を丸くして驚いていて、は急に恥ずかしくなり、俯いてしまう。
 ――だって。
 26歳の頃の成歩堂は、確かに弁護士として輝いていた。
 けれどまだ若くて、当人の性格だったのだろうが、子供っぽい所も多々あった。
 そういう所も、は大好きだったけれど。
「今のなるほど君、前よりずっと落ち着いてるし……退廃的とも言うけど……でも、カッコイイと思うの。なんていうか、大人な感じで」
 だから、ちょっと見てみたかった。
 無精ヒゲなし、ニット帽なしの、スーツな33歳、成歩堂龍一を。
 軽く火照った顔を持ち上げて、改めて彼を見やれば、
「そ、そんなにびっくりしなくても」
 まだ驚いていた。
 彼は軽く息を吸って吐く。
「いや……まさかそんな理由だと思わなかった」
「そんな理由でごめん」
 成歩堂に軽く髪を撫ぜられる。
 彼はの手にしたスーツを暫く見つめていたが、すぅ、と視線をどかした。
「………うん。………1度だけ……それも、だけになら、見せてもいいよ」
「じゃあ、着てくれるの……?」
「1度だけ、ならね」
 ぱっと喜びの表情を浮かべるの額に、成歩堂は軽く口付けた。
「その代わり、僕の言うこと、1つ聞いてもらうからね」
 口端を上げて笑む彼。
 の喜びの表情が、すうるりと消えて、少々の不安が表に表れる。
「な……なに……?」
「大丈夫。大したことじゃないよ。……僕のこと、好きだろう?」
 なんだか、物凄く不利な約束になる気がして、は埃っぽいスーツを握りしめる。
 先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、成歩堂は実に楽しそうだ。
「約束する?」
「…………………うぅ」
 彼の無言の圧力に負けて、頷く。
 成歩堂は笑みを深め、の耳元で囁いた。
「スーツは着るよ。だから――」
 は顔を真っ赤にする。
 ――ああ、やっぱり約束するんじゃなかったかも。

 成歩堂の交換条件は、かつて彼が弁護士だった頃におこなったコト、だ。
 時折暴走した成歩堂がを欲し、スーツをしわくちゃにしながら成した事柄が、それである。


「やっぱり、大人になって性質がより悪くなったよ!!」
「ははは、気のせいじゃないかな」

 絶対気のせいじゃない!





……こんな我が家のニット君ですが今後ともよろしく。ていうか、成歩堂家は事務所に住んでるわけですか…。
2007・5・18
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