道筋



 成歩堂から解雇を言い渡され、数日が経った。
 は、自分が何をしているのか、よく分からなかった。
 いつもと同じ時間に目を覚まし、身支度を整えた。
 けれど仕事に行く必要なんてなくて、途方にくれる。
 新しい仕事を探さねばならないのに、その気力がない。
 脳髄にこびりついたみたいに、成歩堂の言葉がリフレインしていて、そればかりに注意が向く。
 浮かんでくる顔といえば彼ばかりで、失笑すら起きない。
「……ばかみたい」
 自分がこんなに女々しいとは、思わなかった。
 何気なく携帯電話を取った瞬間、着音が鳴り響き、びくりと体を震わせる。
 表示を見て、したたか驚いた。
 ――御剣怜侍。
「もしもし……?」
『ム。その……御剣だ。今、いいだろうか』
 どことなく気遣わしげな御剣の言葉。
 彼は、今の自分の状況を知っているのだろうかと思いながら、言葉を返す。
「大丈夫です。時間なら有り余る程ありますよ。――解雇されましたから」
『――話は耳にしている。しかし……君はこれからどうするのだ?』
 これからの、こと。
 重石が体に沈んでいる今の状態で、今後のことを考えるのは苦痛だった。
 それは逃避で、現状を見つめきれない弱さで、そんな自分に憤ってすらいるのに、足は現状に縫い付けられたままで。
「私……なるほど君が探している何かを、探したいんです」
『偽造事件……その真実か』
 求めるものは濃い霧に閉ざされていて、振り払うには多くの時間を要するだろう。
 探し、何も得られないかも知れない。
 それでもは、成歩堂から弁護士の資格を奪ったその事件の、欠片でもいい、知りたかった。
 自己満足だとしてもだ。
 押し黙る
 御剣は軽く息をついた。
 呆れたというよりは、やはり、という感の強いそれ。
『――星影法律事務所は、分かるだろう?』
「はい。千尋さんのお師匠さまが居る事務所ですし……」
 成歩堂が弁護士資格を持っていた時は、よく行き来をしていた。
 忘れるはずもない。
『わたしが連絡をしておく。そこで、働かせてもらうといい』
「え……? で、でも……私、なるほど君に、その、知られたくないんです。関わるなって、言われてるし」
『……成歩堂め……。なんと酷いことを』
 苛立たしげな御剣は、ひとつ咳払いをする。
 とにかく、と続けた。
『その辺のことは、星影弁護士に言い含めておこう。内勤のみであれば、ヤツと会うことはまずないはずだ』
「……御剣さん。ありがとうございます……」
 知らず泣きそうな声でお礼を言えば、電話の向こう口で、彼が照れているのが分かった。


 彼は、道筋を作ってくれた。
 そこを歩くことは、きっと成歩堂が望むことではないはずで、でも歩かずにいられない。
 彼がどういう気持ちで、『関わるな』と言ってきたのか、本意は定かではないが、彼なりの優しさだったのだろうと思う。
 倒れるほど周囲の状況に圧迫された自分を想ってのことだと、そう信じたい。
 事実は、そうではないかも知れないけれど。

 は大きく息を吐き、吸う。
 自分の進むべき路を確認できたからか、今までの非現実感が急速に失せた。
 それでもやはり、明日からの毎日には成歩堂はいなくて、それはひどく空虚を思わせる。
 それはこの先、誰かと付き合ったとしても、きっとそっくりそのまま残るだろうとは思った。
 彼と一緒にいた時間は濃密で、決して拭えないに違いない。
「……しっかりしなくちゃね」
 言い聞かせ、キッチンに移動して、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。





2007・5・11
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