最優先 「こんにちはー」 声をかけながら、は『成歩堂なんでも事務所』の戸を開ける。 本来、受付であるはずの応接室には誰も居ない。 ならば奥の所長室だろうと足を向ける。 「あ、さん。こんにちはっ!」 中では王泥喜がソファに座っている成歩堂に、コーヒーを淹れているところだった。 ちなみにコーヒーはインスタント。 成歩堂はというとちらりとを見て、指先で『こっち』と彼女を呼ぶ。 彼女はそれに従い近寄って、くたびれたソファに座っている彼の隣に腰を下ろした。 「さんもコーヒー飲みますよね」 差し出されたカップを受け取り、 「うん。王泥喜くん、ありがとう」 言って、口をつけた。 買ってきたばかりらしいコーヒーカップは、まだ安っぽい光沢がある。 カップをテーブルに置き、ソファに背中を預けた。 「はー……やっとで気が抜けたって感じ」 成歩堂が微かに首を傾げる。 「忙しかったのか?」 「そういうことでもないんだろうけど。なんていうんだろ、やっぱりここに戻ってくると、自宅な感じがするのかな」 星影法律事務所も、既に自分の庭のようなものだ。 それでもやはり、成歩堂の事務所ほど気が抜ける訳ではないらしい。 にとってこの場所は、とても心地がいい所だから。 星影の配慮で、現在、は足掛け仕事をしている状態だった。 だからこうして日中に成歩堂の元へと来られる。 「にしても……」 王泥喜は唸り、周囲を見回す。 「この事務所、もう少し片付けたほうがいい気がしませんか? まさか昔からこうだったわけじゃないでしょう?」 も同じように見回した。 本来、依頼人との会談の場所である応接室はもとより、所長室まで、今やみぬきのマジックアイテムで埋め尽くされている。 最初に見たときは、正直、ここまで増えるものかと唖然とした。 「私が出て行く前は、そんなにひどくもなかったんだけど……」 「あの頃は君が片づけをしていてくれたからね。ここまで荒れなかったんだ」 成歩堂は肘掛にひじを乗せ、興味がなさそうにそっぽを向いている。 「……はー。暇を見つけて片付けるよ。それが私のここでの復帰第一の仕事だね。ある意味、最も早く着手しなきゃいけないことだし」 「悪いね」 物凄く悪くなさそうな顔で、そんなことを言う成歩堂。 は 「もちろん手伝ってもらうよ、なるほど君」 力いっぱい微笑んだ。 途端に面倒そうな顔になる成歩堂を見、王泥喜は軽く手を上げる。 「あの……オレも手伝いましょうか……?」 「うん、ありがとう。お願いします。……まあ、机の上ぐらいなら、簡単に片付けられるかな」 成歩堂が弁護士だった頃もあまり使われていなかったデスクは、部屋の端のほうへと移動していた。 他と同じくマジックの道具が乗っているが、さほど酷い状況でもない。 なんとか片付けられるだろう。 何気なくその机に目を向けた成歩堂は、何かを思い出したように顎下に手をやる。 彼が顎を何度も撫でるのは、何かを考えている時だ。はそれをよくよく知っている。 「どうかした?」 「……そういえば、あの机でエッチしたなあと」 「ブーーーーッ!」 王泥喜が吹き出す。 は唖然とした後、真っ赤になった。 「なっ、なんてことを言うんですか成歩堂さん!!」 騒ぐ王泥喜に、成歩堂は口端を上げて笑む。 「大袈裟だな。僕は確かな事実を口にしただけだよ」 「じっ、事実でも駄目でしょう、それは!!」 「そうかな。別に今この場でしてるんじゃないんだから、気にしなくていいと思うけど」 さらーっと言い放つ成歩堂。 呆れるより先に妙な諦めを感じて、は軽く瞳を閉じた。 再会を果たして以降、彼の変わりざまには時折驚かされるが、それでもやっぱり成歩堂は成歩堂だ。 「……なるほど君、ちょっと意地悪になったよね」 言うを見て彼は薄く笑むと、指先を彼女の腿にさり気なく触れさせる。 決して撫でられたりしていないのに、触れられた場所から落ち着かない感覚が広がって、は小さく身じろぎした。 じろりと睨めば、 「どうした?」 何事もないかのように返される。 自分ばかりが意識しているようで面白くなく、はそっぽを向いた。 妙に大人っぽい空気を感じて居心地が悪くなったのか、王泥喜が不必要なほどの大声でを呼ぶ。 「王泥喜くん?」 「あのっ……ええと……そ、そうだ。掃除! 掃除するなら、掃除道具が要りますよね、買いに行きましょう!!」 「え、あ、うん」 王泥喜に手をとられ、が腰を持ち上げたところで、成歩堂が逆手を掴んだ。 「……なるほど君?」 返答なし。 目深にかぶったニット帽せいで、彼の表情を読むのは以前ほど簡単ではない。 少々困惑していると、彼は力を抜いた。 「グレープジュース、頼むよ」 「みぬきちゃんに、飲むなって言われてなかったっけ」 「まあ、それはそれで」 は苦笑する。 「じゃあ小さいの買ってくるよ。行こうか、王泥喜くん」 「は、はいっ!」 部屋を出て行く2人の後姿を見送り、成歩堂は非常につまらなさそうな顔で、かつて自分の仕事机だったものを見た。 ごちゃごちゃと物が乗っかっている。 「……まあ、僕も少しは片付け手伝うかな」 と、まるでやる気がなさそうに呟いた。 2010・5・29 最優先ってタイトルで、掃除が一番っていうのが微妙な感じ。甘くない。 ブラウザback |