おかえりなさい



「あっ! ママーー! 会いたかったよーー!」
 病院にやってきた成歩堂の娘、みぬきは、目的の人物――成歩堂を病室の中に見つけると、恐ろしい勢いで突貫した。
 王泥喜が見ている目の前で、は、突貫してくる『自称ムスメ』の女の子を、なんとか受け止めていた。
 勢いが良すぎて、みぬきが身に付けているシルクハットが、思い切りずり落ちている。
 ひとしきりの抱擁の後、少女は帽子を直した。
 楽しそうに笑う成歩堂に、王泥喜は少々目を瞬き、次いで理解する。
 ――さんと成歩堂さん、上手くいったんだ。


「にしても、みぬきちゃん。さんのことを知ってたんだ」
 病室のパイプ椅子に座りながら、王泥喜が問うと、みぬきは胸を張って、
「ママだもん! 当たり前じゃない!」
 返事をした。
 王泥喜は、この成歩堂家の親子関係は、非情に怪しいと思っている。
 どこまで本当か分からないが、とりあえず、とみぬきが、互いを知っていることに間違いはない。
 ついでに言えば、が独身であり(今は成歩堂さんの恋人に戻っちゃったけどさ……)子供を生んだことがないと知っている。
 だからみぬきが、本当の子であるはずがない。
 知人であると考える。
「いや……養子縁組みっていうセンもあるなあ」
「王泥喜くん?」
 が首を傾げてこちらを見、王泥喜は慌てて手を振った。
 やましいことはないので、慌てる必要などなかったのだが。
 成歩堂が笑み、みゆきに声をかける。
「よかったなあ、みぬき。ママが帰ってきてくれて」
「パパの方が嬉しい癖にー」
 わははと笑いあう親子の前で、は微妙な表情を浮かべている。
 少々、状況を持て余しているようだ。
 彼女はふいに何かに気づいて、ポケットから携帯を取り出す。
 何やら手元で操作して、ため息を吐いた。
「ごめん、なるほど君、みぬきちゃん。仕事を途中で抜けてきたもんだから……行かなくちゃ」
「呼び出しかい?」
 成歩堂の言葉に、彼女は頷いた。
「ママ、お仕事が終わったらみぬき達の事務所に来て! 王泥喜くんとわたしとママで、水入らずのお食事しようよ!」
 ……関係性が全く分からない『水入らず』だ。
「おいおいみぬき。パパは?」
「だってパパ、入院してるもの。病人は大人しくしてなきゃね!」
 全く病人に見えない病人に、爽やかに言い放った。
 成歩堂は明らかにがっくりしている。
「えっと……なるほど君。あの、また明日来るから」
「うん、分かったよ」
 の、ある種の慰めじみた言葉に、成歩堂は微笑んだ。
 ……嬉しそうだ。


「パパはねえ、ママが本当に好きなんだよ」
 病院からの帰りがてら、みぬきが唐突に言い出した。
 王泥喜は顎下に手をやる。
「……でも、ずっと離れてた、よな?」
 王泥喜の知るは、星影法律事務所の所員。
 成歩堂の事務所を解雇されて以来、ずっとそこに居続けた。
 自分が知る限り、今日まで、彼と彼女が実際に接触することはなかったと認識している。
 成歩堂が本当にを好きだったら、こんなに長い時間、離れていられるものだろうか。
 みぬきは溜め息をつき、王泥喜に指を突きつける。
「王泥喜くん、わかってないなあ」
「へ……?」
「パパはねえ、ママが凄く大事だったから、遠ざけたんだよ。苦労ばっかりかけるからって」
「それじゃあつまり、さんを手放すのは、成歩堂さんとしても本意じゃなかったってこと……か?」
 深々と頷いた後、みぬきはその当時を思い出しているのか、肩を落とした。
「ママは凄く優しくて、明るくて、みぬき、大好きだったから。急にいなくなっちゃって、寂しかった」
「………みぬきちゃん」
「でも、わたしより、パパの方がずっと寂しそうだったの。ほんと、ダメになっちゃってたから」
 ――だ、ダメ?
 何気なくも容赦のない言葉だ。
 ついでに、王泥喜には駄目になった成歩堂が想像できない。
 今も、ダメといえばダメな感じかも知れないが、それは王泥喜の目から見てのことだ。
 弁護士時代の彼を知っているからこそ、今が駄目っぽく見える……というか、少々苦手なだけであって。
 みぬきの言っていることは、それとは種が違うように思える。
 王泥喜の内心になど全く気づかず、みぬきはシルクハットの位置を直した。
「凄かったんだよ。コーヒーに砂糖を死ぬほど入れてることに気づかなかったり、忙しなく携帯見たり、みぬきの声をママのと間違えたり」
「……そ、それは凄いね」
「『ぼうしクン』の姿を、ママそっくりにできないかって本気で考えたり。いっそ、大魔術でママを呼び戻せないかとか」
 そこまで考えるなら、さっさと呼び戻せばよかったのではないかと、王泥喜は思う。
 彼らにも事情があるのだろうが……しかし。
「本当に凄かったんだね」
「……みぬきね、びっくりしたことがあるの」
 今聞いた以上にビックリすることがあるのか。
 少女は瞳を伏せて、
「パパ……ママの名前を、一生懸命呼んでることがあったの。凄くうなされてた」
 頭を振った。
 数瞬の後、彼女は顔を上げてにっこり笑む。
「でもママ、戻ってきてくれたから、もう大丈夫」
「……うん、そうだね」
 それにしても。彼女は――は今後、どうするつもりなのだろうかと、王泥喜は上向く。
 星影法律事務所を辞めて、成歩堂法律事務所――今はなんでも事務所――に戻るのだろうか。
 なんとなく自分も所属している状態だから、法律事務所としての機能は、ある程度果たせるだろう。
 だが、あちらの事務所とは比べ物にならない。
 事務所内部は、マジック道具で溢れかえっているし、依頼人が頻繁に頼みに入れる状態じゃない。
 そもそも、法律事務所と銘打っていない。
 は司法書士の免許を取得して持っているが、成歩堂なんでも事務所では、その力は発揮できないかも知れない。
「みぬきね、ママとお仕事してみたいなあって、ずっと思ってたんだよ」
「いや……それはちょっと無理があるんじゃないかな。さん、マジシャンじゃないし」
「えーっ、そんな! ――そういえば、事務所にある箱あるでしょ?」
 事務所にある箱。
 マジックの道具で、確か、人を中に入れて、切ったり突いたりしても、中の人物は全く無傷――とかいう類のマジックボックスだったか。
 思い返し、頷く。
「あるね」
「前、それにママを入れて、一緒に舞台に出ようと思ってたの。そしたらパパが、物凄い勢いで反対した。指まで突きつけて、『ママが怪我したらどうするんだ!』って」
 だからまだ一緒に舞台に立てていないのだと、残念そうな顔で言う。
「……成歩堂さん、本当にさんを大事にしてるんだなあ」
「だから、王泥喜くん。ママに手を出したら、駄目だよ? パパの攻撃が飛んでくるかも」
「手っ……手なんて出さないよ!!」
「そうなの?」
 至極不思議そうに言われた。
 手を出しそうな誰かに、思い当たることでもあるんだろうか……。



2007・4・27
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