無気力な言葉





 成歩堂龍一。
 かつて、自分の雇用者だった男であり、笑えるぐらい遠い親戚の男でもある。
 7年前。彼は法廷で事件を起こした。
 『証拠品の捏造』という事件――否、罪。
 そのせいで彼の弁護士バッジは剥奪され、成歩堂法律事務所は、蜂の巣を突かれたような状態に陥った。
 は今、その『法律事務所』の前に立っている。
 かつて法律事務所と書かれていたそこに、今は『成歩堂なんでも事務所』と書かれていた。
 5年ほど前には、『成歩堂芸能事務所』だったが、最近変更されたらしい。
 の手は、扉のノブにはかからない。
 足も、前へ進もうとはしない。
 軽く息を吐き、くるりと反転。
 ビルの出口へと向かった。


 成歩堂が7年ぶりに法廷に出て、王泥喜という弁護士を助け、牙琉霧人――元弁護士――を有罪にした。
 はその時、自分の今の雇用者である星影弁護士と共に、裁判の傍聴をしていた。
 久しぶりに見る彼の姿に、少々泣けてきたりもした。
 声をかけることは、出来なかった。
 5年前、彼に言われたからだ。
 ――もう、僕に関わらないでくれ。2度と君の顔を見たくない、と。
 発言の原因が何かなど、当時はさっぱり分からなかった。
 たぶん今でも、全部を理解してはいないだろう。
 けれど、それが彼の優しさだということは、今はなんとなく分かっている。
 彼が、何かから自分を守ろうとしてくれたことは、分かる。

 大きく息をつき、は事務所の入っているビルを見上げた。
 振り切るようにして目を逸らし、雑踏の中に溶け込んでいく。
 会いたいなんて、思っちゃ駄目だと言い聞かせながら。


 電話がかかってきたのは、夜9時を越えてからのことだ。
 入浴しようと思っていた矢先のことで、少々疲れた気分になりながら、携帯を取り出す。
 記された名を見て、慌てて通話を押した。
「もっ、もしもし!」
『……夜分に済まない。久しぶりだな、君』
「お久しぶりです、御剣さん」
 電話の相手は、御剣怜侍。成歩堂龍一の小学生の頃の学友であり、現在進行形の親友だ。
 彼は時折、こうして、を気にかけて電話してきてくれていた。
 5年前、成歩堂に解雇され、どうしていいのか分からなかったに、星影法律事務所はどうかと進言してくれたのが彼だった。
「今日はどうしたんですか? 私に何か、手伝えることでも」
『いや、そうではない。……まだ、奴の所に戻らないのかと、思ってだな……その』
「……なるほど君が法廷に立ったって、聞きました?」
『う、うム。耳にした。それに今は、弁護士が1人、あの事務所に居ることも』
 彼は、かつての自分たちの関係を、よく知っている。
 だからこそ、成歩堂が法廷に立ったと聞いて電話してきたのだろう。
 御剣は少しの間を開け、言葉を続ける。
『あいつは、君を必要としている。……その、戻ってやったら、どうか』
「……なんか、怖くて。『何しに来た』なんて言われたら、立ち直れなさそーですし」
『う……ム。今のヤツなら言いかねんな』
「あれから……もう7年。私が事務所を解雇されてから、5年です。なるほど君に彼女ができて……ううん、結婚してたっておかしくないし」
『それはなかろう。あいつは君を』
 は失笑する。
 それを信じられたのは、過去のことだ。
「……きっと、忘れてますよ。私のことなんて」
 御剣は、暫しの間を置く。
 何を言うべきか、考えているみたいだった。
『君らしくもない、力のない言葉だな』
「そう、ですね。…でも、きっとこんなものなんですよ。なるほど君が隣にいない私は」



 その翌日だった。
 5年ぶりに、彼の声を聞いたのは。




2007・4・17
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