憂鬱な恋愛色




 成歩堂が入院している病室に王泥喜が入った時、この病室の住人はアニメDVDのとっちらかったベッドに座りながら、何やら手帳を見つめていた。
「成歩堂さん」
「っ……! あ、ああ、王泥喜君か。いらっしゃい」
 彼は言って、さりげなく手帳を閉じて、王泥喜から隠すように自分の横に置いた。
 王泥喜は首を傾げる。
 ――なんだ、今の反応。
 普段の彼なら、誰かが部屋に入ってきたことに気づかないなんて、ありえない。
 しかも妙に慌てているし。
 訊いて答えが返ってくるでもないだろう。のらりくらりと誤魔化されるに決まっている。
 用件はと問われ、王泥喜は後頭部を掻いた。
「あ……いや、別にこれといって。近くを通ったので」
「そういえば、みぬきは?」
「彼女ならまだ学校ですよ」
 それで初めて時間に気づいたように、成歩堂は時計を見た。
 まだ午前中。
 成歩堂の娘は、当然学校で義務を全うしているはずだ。……裁判の時は、その限りでなかったりするが。
「……結構、時間経ってたんだな」
 呟き、ため息をつきながら、成歩堂は左手で、先ほどの手帳の表紙に触れている。
 愛しいもののように指先でそれを撫でている彼に、王泥喜は、なんだか声をかけ辛い気分になる。
 気になるなら、訊いてしまえ。どうせマトモな答えは返ってきやしないんだ。
 自分に言い聞かせる。
「あの、成歩堂さん」
「なんだい?」
「その手帳ですけど……大事なものみたいですね」
 成歩堂は軽く笑った。
「ああ、大事だよ」
「過去の裁判記録が書かれてる、重要な手帳だとか?」
「……まあ、重要な記録があるって意味では、間違ってないけどね」
 重要な記録。
 王泥喜の好奇心がむずむずしだす。
 成歩堂は、多くを語らない。
 弁護士を辞めて以来ずっとそうなのだろう。
 ある種の退廃的な空気は、1年や2年で培われたものではないはずだ。
 その原因が、そこに挟まっているのかも知れない。
 嫌がおうにも興味が惹かれる。
 成歩堂は、食い入るように見つめる王泥喜に失笑した。
「見たい?」
「はい!」
 大げさに頷くと、成歩堂は軽く肩をすくめた。
「君にとって、有益なことは何一つないよ。……写真をね、見てたんだ」
「みぬきちゃんの、ですか?」
「違うよ。ほら」
 手帳の中にしまわれていたらしいそれを、手渡される。
 普通の写真だ。
 場所は、成歩堂法律事務所。まだそこが、今のように手品道具で溢れていない頃だ。
 髪を頭の上で丸く結んだ、奇妙な装束の少女が元気にピースサインをしている。
 そして、もうひとり。
 少女の横で笑っている女性がある。
 綺麗な茶の髪。これといった特徴はない。
 けれど王泥喜はその女性に、見覚えがあった。
 思わず、あっと声を上げる。
 ――さんじゃないか!
 写真から目をはずし、病院のベッドに座っている男を見る。
 彼は元弁護士であり、成歩堂法律事務所の所長だった。
「……そういえば、さんは成歩堂さんの事務所にいたんですよね」
「知ってるのかい? まあ……昔散々騒がれたから、無理もないか」
 成歩堂は苦笑する。
「今頃、誰かいい奴と結婚して、幸せになってるよ」
 ……?
 王泥喜は目を瞬いた。
 彼は、知らないのだろうか。
 成歩堂との関係を、王泥喜はある程度知っていた。
 彼らは遠い遠い親戚で、一時はそれ以上の仲だった。
 7年前の事件で、破綻したらしいことも。
 その事件の内情を、王泥喜は知らない。ただ、今はっきり分かることがある。
 がどこにいて、何をしているか、だ。
「成歩堂さん、知らないんですか? 最近連絡とってます?」
「知らないよ。連絡も……してない。5年ばかり」
「…………さん、星影法律事務所にいますよ。独身で」
 成歩堂は目を大きく見開き、王泥喜を見つめている。
 普段は人を呑んだような、意味深なことばかり言う彼が見せる、ハッキリした驚愕に、こちらのほうが驚いてしまう。
「星影さんの事務所に……?」
「ええ。詳しくは知りませんが、どうしても法律事務所に居ないといけないんだって言ってました」
 彼女は何かを探していて、それがなんなのか、それは知らない。
 物なのか。或いは『者』か。
 は決して口を開かなかった。
 王泥喜が独房送りにした、牙琉法律事務所の主、牙琉霧人。
 彼を通して仲良くなり、たまには一緒に食事に行ったりする仲になっても、それらのことを教えてはくれなかった。
 写真を成歩堂に返しながら、そんなことを思い返す。
「牙琉先生は、さんを手元に置いておきたかったみたいで、凄く欲してましたけど……」
「あいつが……彼女を」
 成歩堂の拳にした手に、薄く筋が浮いた。
 力を込めている。
「あの、よかったら……オレの携帯貸しますから、電話してあげてくださいよ」
 ポケットに入れていた携帯を取り出し、通話を押すだけの状態にして、彼に手渡す。
 だが、受け取った本人は動かない。
 液晶に表示された『成歩堂』という名に、釘付けになっているみたいに。
 後、彼は首を振った。
「……彼女は……は僕の声なんて、聞きたくないと……思うよ。昔、酷いことをしたからね」
さんは、成歩堂さんのことを話す時、凄く嬉しそうでした。……寂しそうでもありました。だから、電話してあげてください」
 成歩堂はため息をつき、立ち上がる。
「外で電話してくるよ」
 声には、明らかな不安が混じっていた。


ちょろりと続きます。…ちなみに。お題のタイトルはニュアンスというか、かなり適当に引っ張ってきてます(汗)
2007・4・17
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