お祭り騒ぎ 地方裁判所。 私はその日、父親に連れられて、初めて裁判所というものに足を踏み入れていた。 斜め先を歩く私の父の、『明日裁判所に行くから、学校を休みなさい』という、問答無用のひと言で、今日の予定は決まった。 学校を休んで裁判傍聴。ある種、親らしからぬ発言だ。 「お父さん。……来たのはいいけど、何を見るの?」 父さんは整えた自分の髪を撫でつけ、張り出されている紙を見て頷く。 そして、紙に書かれている一箇所を私に示した。 その裁判を見るんだなと納得し、字面を追う。 刑事。地方裁判所第2法廷。 罪状は殺人。 「……ちょ、ちょっとお父さん。殺人事件の傍聴するの!?」 「そうだ」 傍聴初心者には、ちょっとヘビーな内容じゃないか? 確かにミステリー漫画や小説を読んだりはするが、これから見るのは、『本物』だ。フィクションじゃない。 わざわざ見に来たには理由があるのだろうと、軽く肩をすくめる。 「えーと……被害者は……」 大学生か。呑田菊三、22歳。 名前だけでは人となりは分からない。被害者ということは、彼は死んでいるわけで。 殺されるに足る理由があったのだろうか……。 思いながら、被告人の欄に視線を移動する。 私は思わず声を上げそうになった。 「…………おっ、おとう、さん」 「……なんだ」 「ひ、被告人の苗字がっ、苗字が」 これが、父親がここに自分を連れてきた理由なのだろう。 私に面識は全くないんだけど、でも。 ――成歩堂龍一。 私と同じ、成歩堂の苗字を持っている。 偶然の一致だとは思い辛いが、父が何も言わないのだから、偶然……? しかし世の中に成歩堂などという無茶な苗字が、そうおいそれとあるとは思えない。 今まで生きてきて、こんな面白い苗字は他に見たことがないし。 「そろそろ時間だ。行くぞ」 歩き出した父の後を追って、私も移動する。 エレベータに乗り込み、下りた先には既に人が大勢いた。 全員が傍聴人なのだろうか。 傍聴人の扉から入り、適当な椅子に座る。 場の空気は、当然ながら重たい。 静謐なそれは、今までの人生で感じたことのない類のもので、自分が裁かれるわけではないのに、変に緊張してしまう。 2、3度深く息を吸って吐くと、少し楽になった。 裁判官、被告人、弁護人、検事が入廷し、準備が整った。 裁判官の木槌が打ち鳴らされ、 「それではこれより、成歩堂龍一の審議を開廷します」 法廷が始まった。 正直、目の前で見ている『被告人・成歩堂龍一』が誰かを殺すとは、私にはとても思えなかった。 大学生だという話だったが、どう見ても自分の方が年上に感られるその人は、殺気を発することができないような人種に思えたからだ。 痛々しいピンク色のセーターには、RYU、とでかでかした刺繍。 ……やっぱり年上に見えない。 裁判中も、とにかく恋人を褒めちぎりまくる彼。 フィーバーしすぎなその姿は、恋人を持つ同級生の男子の中にもいない気がする。 ――もっとキリっと顔を引き締めたらカッコイイ……と思うんだけどなあ。 成歩堂龍一の弁護人は、綾里千尋という女性だ。 検事は亜内という男性。 この2人と裁判官によって、審議はどんどんと進められていく。 おそらく私と関係があるはずの被告人は、自分の人生が左右される場だというのに、緊迫感が少々足りない。 彼の将来を心配してしまう。余計なお世話だろうけど。 証言台にいる彼からは、次々と証言が引きずり出されていく。 弁護人が成歩堂龍一の証言にある矛盾を、的確にツッコんで行くさまは、なんだかドラマでも見ているような気分になった。 様々な事実が明るみに出て、次の証人が必要だと判断された。 裁判官が10分の休廷を言い渡し、木槌を振り下ろす。 被告が係員に手錠を掛けられるのを見て、なんだか少しだけ嫌な気分になる。 確かに彼が犯罪者なら、そうすることは正しいし、当然のことだったけど。 ……なんでだろうと考え、気付く。 私は、彼が犯人だなんて、これっぽっちも思ってないんだ。 名探偵じゃあるまいし、誰が犯人で、誰がそうでないかなんて、私に分かるはずがないのに。 溜息をつき、席を立とうとしたとき、ふいに、被告人が傍聴席を見上げた。 「……?」 どうしたのかと、私は目を瞬く。 次の瞬間、私は彼と、ばっちり目を合わせていた。 目線を引き剥がすことが難しくて、私は彼をじっと見つめる。 ふうわりと、彼が笑った。優しい笑み。 私は自分が、彼に微笑を返していることに気付いていなかった。 「」 「っ、あ……お父さん。今、いく」 父に声を掛けられ、視線を外して傍聴席側の扉から表へと出た。 「彼を犯人だと思うか?」 紙コップに入ったコーヒーを手渡されながら、父に問われる。 私はコップに口をつけ、ひと口飲んでから首を横に振った。 「ううん」 きっぱり答える。 「あの人、凄く真っ直ぐな人だと思う。殺人なんて無理だよ、きっと」 父は深く頷いた。 ――お父さんは、何かを知ってるんだろうか。 「ねえ、どうして私を連れてきたの?」 純粋な疑問だった。今日、ここへ来る前からの。 母も自分が学校を休んでまで傍聴しに来ることを、反対しなかった。 普段なら怒りそうなものなのに。 「……理由は、大したことじゃない。予感があっただけだ」 「よ、予感……ねえ」 頷く父を見て、は軽く息をつく。 それは非常にばかばかしい理由だが、ぽいっと放り投げることもできない。 なぜなら、私は知っている。 両親の『カン』のよさを。 特に父親の『予感』はバカにならない。 卓越したそれがあるからこそ、株取引で生計を立てている面もあるし……何より、彼の嫌な予感はたいてい当たるのだ、これが。 父は何か物思いにふけるように、天井を見上げる。 私は口を挟まず、ただ待った。 「……わたしはな、今日の弁護士とはっきりした面識はない。しかし……彼の先輩に当たる男とは、面識がある」 「その人、今日はいないの?」 「…………、もし大変なことがあったら、弁護士を頼りなさい」 「弁護士……?」 「神乃木という弁護士を探しなさい。協力を仰げない場合は、自分で頑張るしかない……」 父はそれ以上の言葉を控え、私の質問に答えてはくれなかった。 休憩が終わり、法廷に戻った私は、そこから『美柳ちなみ』……成歩堂龍一の彼女の証言にうつった。 最終的なことを言うならば、その美柳ちなみこそが、被害者を殺した真犯人だったのだけれど、それは私にとって、大きな問題ではなかった――その当時は。 美柳ちなみという問題に直面したのは、私が成歩堂龍一と恋人関係になった、後のことになる。 2008・4・25 後付けの設定なので、あちこちひずみがあること請け合い。 |