恋愛レベル 成歩堂から告白されて、約1週間が過ぎた。 はまだ、彼に返事を返していない。 いつものように仕事をして、いつものように会話して、いつものように帰宅する。 告白した側には全く変化がなく、あれは夢だったのではないか、勘違いだったのではないかと、時折考えてみる。 けれど、『好きだ』と言われた事実は、自分の中に浸透していて、だから勘違いだったと切り捨てることは、まず不可能。 早く答えを返さなくてはいけない。 待たせすぎは失礼にあたる。 分かっているのだけれど、余りに普通にしている成歩堂と違い、の方には全くと言っていいほど余裕がなかった。 呼ばれれば微かに身体をびくつかせ、顔を見れば視線を逸らす。 嫌われたいなどと微塵も思っていないのだが、どうしていいのか分からない。 過去に彼氏がいなかった訳ではないが、こんな気持ちになったことはなかった。 溜息をつき、整理した書類をしまいこむと、主のいない所長室を出た。 普段の応接室では、たいてい真宵と春美がお茶菓子を食べながら、ヒーロー物の番組を見ていたりするのだが、今日はいない。 先日受けた事件の調査のため、所長である成歩堂と共に不在なのだった。 は自分のデスクに戻って財布を手に取り、電話を転送モードにする。 時刻は既に2時を回っているが、は昼食を済ませていなかった。 依頼の電話やら、調書の整理やらと仕事をしている間に、昼を食いっぱぐれた。 軽くお茶でもしようと、遅い昼のつもりで外に出る。 その途端、声をかけられて足を止めた。 「くん」 「あ……れ? 御剣検事」 目の前に現れたのは、御剣怜侍その人だった。 赤色系のスーツに、胸元のヒラヒラは健在で、それが妙に似合う美形なのだから周りの注目を浴びること請け合い。 今も、通り過ぎるオネーサンたちが、熱視線を向けていたりするのだが、彼自身は全く気づいていない様子だ。 「なるほど君なら、調査に出かけてて不在なんですけど……」 「む。そうか……。君はこれからどこへ? 事務所はもう閉めたのだろうか」 「いえ。これから昼食……というかお茶を」 もし時間があるのなら、一緒にどうですかと流れで誘ってみると、色好い返事が返ってきた。 成歩堂の親友である彼とは、もよく――でもないが、話もするし、色々お世話にもなっている。 緊急の時のために、携帯電話も知っているぐらいで、だから2人でどうこうということに余り違和感も感じない。 2人で連れ添って歩き、適当なコーヒーショップに入った。 昼食代わりにスコーンとカフェラテを頼む。 御剣はエスプレッソを頼んだ。 空いている席に腰を落ち着け、はカップに口をつける。 他愛もない話をしながら、スコーンをすっかり意の中に収めた。 「……ところで、くん。……その、先ほどから気になっていたのだが」 「はい?」 「…………何か、元気がないように思えるのだが」 は目を瞬く。 確かに元気がある状態だとは言い難いが、まさか彼に良い当てられると思っていなかった。 「そ、そんなに分かり易いですかね」 思わず失笑しながら言うと、御剣は難しい顔をした。 「ム。いや、そういうアレではないのだが……。わたしでは、成歩堂のようには君の力になれないかも知れないが、口にすれば楽になるということもあるだろう」 話す気があるのならと、視線で先を促す御剣。 はというと、『成歩堂』の名に少々――いや、かなりの反応を示していた。 自分の苗字でもあるというのに。 その名前がひどく己を戸惑わせる。 名検事と名高い御剣だけに、の小さな反応に直ぐ気付いた。 「成歩堂と喧嘩でもしたのだろうか」 「喧嘩……じゃないんです」 ぽつり、呟く。 胸につかえていた不安や、ぐちゃぐちゃした気持ちを、今まで誰にも言えずにしまいこんでいた。 真宵に言えば、そのまま成歩堂に伝わってしまう気がしたし、春美に相談などしたら大問題になりそうだ。 何しろ彼女は真宵命で、成歩堂と真宵は恋人だと認識しているから。 成歩堂本人に言うのは、当然ながら論外。 御剣は、相談をするには絶好の人物に思えた。 「……御剣さん、私、どうしよう」 「どうしよう、とは?」 はちょっとした照れくささから、コーヒーカップを見つめ続ける。 「今までは平気だったんです。なのに今は……かっ……顔見るだけで心臓うるさくなるし、挙動不審になるし」 彼は腕を組む。 「成歩堂のことを見て、か?」 はこっくりと頷いた。 御剣は続ける。 「ヤツに何かを言われたのだろうか」 これまた、こっくりと頷く。 この先の言葉を言うにあたり、躊躇いがあった。 状況に手詰まりを感じているに、手持ちのカードはひどく少ない。 だが彼の気持ちを――例え相手が親友だとしても――勝手に言うなんてことは、すべきではないだろう。 口を噤むの内情を察したのか、御剣は軽く肩で息をついた。 「……おおかた、大切にしたい、とでも言われたのだろう?」 「そっ……それはそのっ」 どうして知っているんだと、如実に顔に出たを見て、彼は失笑する。 「君の態度や、これまでの状況からすれば、簡単に予測できることだ」 「さ、さすが御剣検事。でもほら、私が勝手に先走ってるだけかも知れませんし……多分そうだと思うんだけど……でも、私、どうしたらいいですか……?」 他人に聞くべきことではない。 重々承知の上で聞く。 「君は、成歩堂をどのように……その、思っているのだろうか」 どのように、とは? すさまじく遠い、関係の上では親戚で、雇用者で、暖かくて優しくて、ハッタリをかますのが得意で。 柔らかく笑うのも、ちょっと意地悪く笑うのも、情けない顔で報告書を読んでいるのもお気に入りで。 彼が一緒にいるだけで、不思議と守られている感じがしたりして。 つらつらと考えていて、唐突に気付く。 ――なんてこった。 「君?」 「私……考えてみたら、なるほど君中心に生活してますね」 それが当たり前のようになっていて、そのことが何を意味するのかなんて、考えたこともなくて。 でも。 「でも私……」 気持ちを口にしようとして、御剣の視線に止められた。 「その先は、ヤツ自身に言ってやるといい」 彼は、ファンがつくのが分かるような気がする、柔らかな笑顔を向けてきた。 少しびっくりして、目を瞬く。 「成歩堂は真っ直ぐな男だ。中途半端な気持ちで、君に想いを告げたわけではないだろう」 は押し黙ったまま、彼の言葉の続きを促す。 「その言葉は、彼のためのものだ。今ここで、わたしに聞かせてはいけない」 「御剣さん……ありがとうございます。優しいですね」 検事と弁護士助手という、ある意味対極の立ち位置にいるのに。 いつだって彼は、助け手を求めれば、その手をとってくれる。 成歩堂の親友の彼が、自分のことも、友達のように気にしてくれているのが、ひどく嬉しい。 御剣は横を向く。 「ム。……そのようなアレではないだろう。普通だ」 どのようなアレか分からないが、照れている事だけは分かる。 くすくす笑うの背後から――それはもう突然――声がかかった。 「――2人で、何、してるんだ?」 誰の声かなんて、考える必要もなかった。 2007・7・24 |