法律事務所の日曜日



「おはよーございまーす」
 眠気のあまり、微妙に間延びした……というかたるんだ声で誰にともなく挨拶しながら、は『成歩堂法律事務所』という表札の掛かったドアを開く。
 この名を普通に読めたら凄いと、は常々思う。
 同じ苗字を持つは、学校で初見の教師にきちんと名前を呼んでもらった覚えが、あまりない。
 ナルホドウ、と読むのだが、ナリフドウ、とか、ナルフドウとか……。
 偶然当たる場合もあるけれど、たいてい間違った名前を呼ぶ。
 そもそも読めない人もいたりする。
「あっ、ちゃんオハヨー! 日曜日なのにご苦労様だね!」
「真宵(マヨイ)ちゃんこそ、ご苦労様だねー」
 元気のいい声に苦笑し、中へ入ってドアを閉める。
 真宵は和服(というより、装束……彼女は霊媒師なので)の上掛けをソファに掛け、座ってテレビを見ていた。
 はバッグをソファに置いて中から書類を取り出し――それからふと疑問に思う。
「真宵ちゃん……なんでここに?」
 今日は日曜日。
 事務所は休みである。
 家に書類を持って帰ってきてしまったために事務所の主、成歩堂龍一に呼び出されたと違って、真宵は普通に休みなはずだ。
 そもそも、彼女は正式な所員ではないので、助っ人さんのようなものなのだが。
「うん、あたし昨日、ここのビデオにヒメサマンのテープを置いてっちゃって、取りに来たんだけど……ご覧の通り、見始めちゃって」
 確かによくよく見れば、テレビモニタには『ヒメサマン』が映っている。
 冗談みたいなタイトルだが、この監督、少し前までは『トノサマン』を作っていた。
 とある事件で、成歩堂が被告人の弁護をした際、真宵をモチーフにアイディアが出されたのがヒメサマン。
 ……なんにせよ、タイトルセンスは果てしなく微妙だ。
 そんな事を真宵に言うと(トノサマン大好きっ子であるので)怒られそうなので言わないのだが。
「そっか。……って、別にこんな早くから取りに来なくても」
「だって、なるほど君にビデオ上塗りされたら嫌だったから。でもあたし鍵持ってないから、なるほど君を呼んだんだけどね」
 すらりと答える真宵。
 しかし、弁護士事務所でヒメサマン……。
 いや、いいんだけども。
「あれ? じゃあもしかして、なるほど君来てるんだ」
 もしかしなくても来ている。
 しかし、この場所に彼の姿は見えない。
 奥の事務所だろうか。
 ヒメサマンを見に入ってしまっている真宵を置いて、は主に業務をこなす場所である、奥の部屋へと入る。
 中ではつんつん尖った髪型の青年が、何やらファイルを片手に難しい顔をしていた。
 常々こういう真面目な表情をしていれば、しっかりした弁護士に見えるんだけど……。
 独白し、は彼に声をかけた。
「なるほど君、おはよ」
「あ、ああ、ちゃん。おはよう。悪いね、日曜なのに」
「まぁ……私が書類持って帰っちゃったのが悪いから、その辺はしょうがないとして。はい、これ」
「ありがとう」
 成歩堂に、数枚の紙が挟まったファイルを手渡す。
 彼はそれをざっと確認すると、数枚の紙を取り出し、なにやら書き込みをしてからファイルに戻した。
「うん、助かったよ」
「明日法廷だったっけ?」
「いや、明後日。資料は揃ってるし、そう難しい案件でもないから……油断しなければ大丈夫だろうと思う」
 は苦笑する。
「その、『思う』っていう部分は外した方がいいような気がするけど。さすがに依頼人には言ってないよね、『多分平気です』とか」
「……い、言ってない」
 自信なさ気に言う。怖いなぁ……。
「私もちゃんとお手伝いするから、頑張ろう!」
 成歩堂ははにかむように笑み、頷いた。

 つんつん頭の彼の名は、成歩堂龍一。
 略してなるほど君。
 一部で『恐怖の突っ込み男』と言われる若手弁護士。
 は今、彼の下――成歩堂法律事務所で仕事をしている。
 両親を亡くしたは、大学を辞め、生計を立てるために仕事を探し始めた。
 そうそう都合のいい中途採用などはなく、職探しは難航していたのだが、流れ流れて成歩堂の事務所へやって来た。
 当初、成歩堂と親戚だなんて全く知らなかった。
 苗字が同じなのは、物凄い偶然の一致だと思っていたのだ。
 だが『成歩堂』だなんて苗字、そうそうない。
 まさかと思いながら適当にアルバムを調べた結果、の親と成歩堂の親が、誰だかの結婚式の写真に、一緒に写っている写真を発見した。
 は彼の遠い遠い遠い……ともかく激しく遠い親類にあたるのだった。
 家計図でいったら、端っこと端っこぐらい遠い。
 発覚して以降、成歩堂とは『他人』から『親戚』関係になり、元々さほどではなかった堅苦しい態度を更に軟化させた。
 は単なるバイトから社員になり、以後、パソコンなどで事務を務めている。
 19歳のが歳の離れた男性を、くん付けで呼ぶのは、完全に真宵の影響だ。
 彼からは、気兼ねなく名前で呼んでくれと言われるものの、最初の『なるほど君』というあだ名の印象が強烈で、今もくん付けで彼を呼ぶ。
 ……はなるほどちゃんとは呼ばれない。

「ああ、そうだ。ちゃん、折角日曜に出てきたんだから、どこか一緒に行こうか」
 突然の提案に、は成歩堂の顔をまじまじと見てしまう。
「デート?」
「っぅ、……そ、そういうつもりでもないんだけど、そうでもないというか……なんというか」
 微妙にまごつきつつ、言葉を濁しつつ、でも言葉を引っ込めるつもりはないようだ。
「その、いつも仕事で頼ってるから……さ」
 言い訳染みた発言。
 ゆさぶりを掛けてみたい気分ではあるが――。
「うん、じゃあなるほど君に任せる」
「そ、そっか! えっと……じゃあまずは喫茶店にでも行こうか」
「そうだね。真宵ちゃんはどうしようか。ヒメサマン必死に見てるんだけど」
 タイミングよく隣の部屋から、高らかにヒメサマンの必殺技名が聞こえてきたりする。
 成歩堂は苦笑し、
「デートだから、真宵ちゃんにはヒミツってことで」
 結構ひどいことを言う。
「後で懇々と文句を言われないといいね……なるほど君が」
「ぼく限定かよ……ちゃんは文句言われないのか?」
「なるほど君が、付き合わないとバイト代を出さないと言って脅したと言う」
「い、異議あり……」



あまりにもアレなので、ちょっと修正。
2005・5・3
(改訂・2005・5・10)
(再改訂・2007・5・12)
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