Sweet Inganity 2


 広く敷き詰められた畳は、まるで風情のある、大きな茶室のように見えた。
 実際は、茶室ではなく、謁見室――要するに広間だったのだが。
 部屋は大きく、障子を開けば、直ぐに廊下に面している。
 障子は現在開けられており、そこからは秋を思わせる風と、落ち葉、庭師が苦心しているであろう、まるで日本庭園のような庭が見て取れた。
 夕暮れ時の、オレンジの光が庭園を更に美しく見せている。
 その広間に、ただ一人――、女性が座っていた。
 初老の女性は、自分だけの和やかな世界――空気を感じながら、自らが点てた茶を、ゆっくり口に運ぶ。
 ――これからです。
 ―――これからが、大事なのです。
 そう、何度も自分に言った。
 それは彼女の、確認作業のようなものでもあった。


「失礼します」
 彼女の静寂を破ったのは、きちっとした身なりをした、ボディーガード風の男だった。
 女性はお茶を置くことも、その人物に視線を向けることもせず、「何用です」とだけ言い放つ。
 彼女の目には、上に立つ者としての、厳しさがあった。
 男は正座をし、膝の前に手をついて下を向いたまま、静かに発言する。
「もう、部屋のみにとどめておくのは限界かと存じます。なにしろ、何のご説明も差し上げてはおりませんし…」
「……例の方の準備は、どうなっています?」
 女性は男の方に、視線を向けた。
 その目は、やはり酷く厳しい。
「は。各関係者様方には、前々から書面で知らせておりますし、準備の方も滞りなく…。明日には、何ら問題ないかと」
 男の報告に、女性は始めて微笑んだ。
 その微笑みは、初老の女がするような微笑みという訳では、決してなかったが、至極、満足そうではあった。
「そう。それならばいいのです。明日まで、彼女を外に出してはなりません。…説明を欲っしたなら、貴方が説明してやりなさい」
「……ですが…」
「いいですね」
 ピシャリ、言い放つと、目を閉じた。
 それ以上の発言は意味を成さず、無用で、許されない。そういう意味を含む態度。
 この家に携わって短くはない時間をすごした男は、即座にその意味を理解し、深く一礼すると、静かに立ち去った。
 初老の女は軽くため息をつくと、また、整った庭園を見やる。
 音はなく、静かな家。
 女性の口唇が、ゆっくりと弧を描いた。


「…………疲れた」
 散々文句を言って、それでも開けてもらえないドアにいい加減嫌気がさし、仕方なく部屋にある床敷きの寝床にころんと寝転ぶ。
 ずっとベッドでの生活だったから、床――畳に寝るというのも久しぶりで、なんだか肩がこってきたような気がする。
 ころころと畳の上を転がり、ふぅ、とため息をつく。
 まるで、軟禁されているみたいだ。
 部屋の主であるは、そんな事を思いながら、再度ため息をつく。
 来た当初の時差ぼけは、完全に回復していた。

 日本。
 の母国。
 慣れ親しんだ郷土であるにも関わらず、今回の帰国は、必ずしも彼女が望んだものではなかった。
 勝手に――というか、成り行きで、日本に帰国してしまった。
 しかも、今まで自分が住んでいた家に届けらもせず、突然あてがわれた部屋に、なんの説明もなく、押し込められている。
 驚いたことに、今まで住んでいたマンションはすでに引き払われているようで、彼女の家にあった、自分宅の一切の家具――といっても分しかないのだが、それらは全て、この家の、今いる部屋にきちんと整理整頓され、まるで今まで使っていた部屋と同じような状態だった。
 アルバムも、本も、全部が全部、ここにある。
 要するに、ここが――本家が、の家になる、という事だろう。

 は立ち上がり、外にいるであろうガードに向かって話しかけた。
「あのぉ…」
「はい、なんでしょう」
「……お腹すいたんですケド」
「もう暫くお待ちください。今日は、紫さまが食事をご一緒されたいそうです」
「………あ、そ、ですか」
 ここの家のガードマンは、必要最小限いや、最低限の事しか話さない。
 こと、なにか秘密がある場合には。
 記憶の中にぼんやりとしかなかったが、の覚えているこの家のイメージは、<酷く刺々しいもの>だった。

 ――の部屋のドア前にいたガードマンは、一人の男の姿を見て、一日立ちっぱなしの疲れで丸め気味だった背中を、ピシッとまっすぐにした。
 少々腰を折り、礼をする。
「桐生さま、どうかなさいましたか?」
「いや、お嬢の様子はどうだ?」
「はい、異常はありません。ただ、お食事をされたいようですが」
「…そうか」
 桐生と呼ばれた男は、初老の女性と話をしていた、あの男である。
「疲れただろうが、もう少しだけ頑張ってくれ。もう暫くすれば、食事の時間になる。そうすれば、お前も休憩できるからな」
「お心、痛み入ります」
 礼儀正しく上司に礼をするガードは、顔を上げると、気合を入れなおした。
 桐生はそれを確認すると、自分達にあてがわれている休憩室へと、歩みを進めた。

 桐生が部屋に入ると、一人のガードが丁度、お茶を入れるところだった。
 俺にも一杯くれ、と静かに言うと、ガードは親しげに「ああ」と返事を返す。
 ソファ腰を下ろす前に、桐生に熱いお茶を渡した。
「俺は猫舌だと言ったろうが…」
「桐生、少しは大人になるんだな」
「言うなぁ…」
 にこやかに微笑むと、緊張しっぱなしだった神経が、緩んだ。
 少しだけ乱れてしまった黒髪を、ゆるりと撫で付けながら、桐生は目の前で、音を立てながら茶を飲んでいる男を見やった。
「桂」
「あん?」
 桐生が桂と呼んだ男は、茶を飲むのをやめて、神妙な顔をしている彼を見た。
 ガードの中で唯一、濃茶の髪をしている男だ。
「……いや、お嬢を迎えにいったのはお前だったよな?」
「ああ、か? そうだが、それがどうした」
「よく、了解したと思ってな」
「連れてきた事自体は、後悔してるけどな」
 桂は、苦笑いをこぼした。
 桐生は驚いたように、目を丸くする。
「後悔?」
「だって、そうだろ? 彼女をここに連れてきたって事は……」
「言うなよ。…仕方ないだろう」
 咎めるように、口を挟む。そう、仕方がないのだ。
 自分達は、<選べる>立場ではない。
 それでも、桂は不満気に口を開いた。

「俺はさぁ、を良く知ってるんだよ。どういう状況下で生まれて来て、どんな生活してたか。よく、一緒に遊んだりしたもんでな。彼女の父親だってそうさ。間違っても紫のババァの前では言わないし、娘に関心がないように装っていたが、実の所、無茶苦茶心配してた」
「確かに、そうだったとは聞いているが」
「桐生、お前は、をどう思うんだよ」
 桐生は、桂の言葉にしばし押し黙った。
 どう思うか…なんて、一介の、しかも家直属のガードが考える事じゃない。
 桂のように、の血を引く人間ならまだしも。
「お前は、の長男だから、色々考えられるんだろうが、俺には土台無理な話だ」
「…チェ、相変わらず固いな」
 桂は苦笑いしながら、濃茶の髪を手で撫で付けた。


 夕食の準備が出来たらしく、今まで固く閉ざされていたドアが開かれる。
 は、旅館で言うなら仲居さんのような姿をした人に連れられ、大広間に連れ出された。
 そこには、純和風の御膳が並んでいた。
様、こちらで少々お待ちください」
「はぁ…」
 では、とお辞儀をすると、仲居さんは立ち去ってしまった。
 料理の前に座り、しん、とした部屋の中でしばし待つ。
 目の前の料理に、お腹の虫がいい加減なりそうになった頃、が入ってきたのとは逆側のふすまが開き、初老の女性が静かに入ってきた。
 は姿勢をただし、静かに座る彼女を見やる。
、待たせましたね。さ、食事にしましょう」
「あ、あの…」
「質問は後になさい。まずは、食事です」
 ピシャリ、言われ、は素直に頷いた。

 初老の女性は、自分の祖母――『 紫(むらさき)』である。
 本家に強制的に連れてこられてから、初めて目にした。
 昔と変わらず――歳は確実にとってはいるが、あの厳しさというか、近寄りがたさは変わっていない。
 会うといつも、含みのある視線を向けられていたので、一緒に食事している今でも、なんとなく緊張が抜けない気がする。

 食事を終え、をこの場に連れてきた仲居さんが、お茶を入れる。
 受け取り、一つ息をついた。
「…、今まで大変だったでしょう。ですが、これからは心配要りません。私と、この家で一緒に暮らしましょう」
 笑顔だけれど、どこかしら――威圧感を感じる。
 けれど、それに『YES』と答えられるはずはなかった。
 アメリカに旅立った直後だったのなら、それも了解しただろうが……。
 紫の意見に口を出せるのは、ごく一部の人間。
 が、ここで意見しなくては、は日本で暮らす事になりかねない。
「お祖母ちゃん…」
「様です。『おばあ様』」
「…おばあ様、今の私には仕事があります。力になりたいと思う人がいます。だから、ここで…日本で、この家で暮らす事は出来ません」
 の言葉に、紫は口唇を引き締めた。
 目線が――厳しくなる。
「…やはり、間違いだったのですね」
「?」
「そもそも、あんな男の所へ、娘をやるべきではなった…」
 あんな男――きっと、父親の事だろう。
 は思わず、眉根を寄せてしまった。
 父を悪く言われるのは、好ましいと思えない。
「私、アメリカに帰ります」
「ともかく。今日はゆっくりお休みなさい。明日には、ご挨拶をしなくてはね」
「……??」
 人の話を全く無視している紫に、はどうしていいのか良く分からない。
 紫は、憮然としている彼女の顔を見て、にこり、微笑んだ。
「皆、貴方の帰りを待っていたのですよ」
 意味が分からないと言うが、紫は答えずに微笑んでいるだけ。

 祖母――紫との食事と会話は、それで終わりを告げた。


 足を伸ばしてもまだ余裕のある桧の風呂に入り、仲居さんに連れられてまた部屋に戻る。
 直ぐにガードがドアを見張り始めた。
 はきっちりと敷かれた布団の上でゴロゴロ転がりながら、ポツリと呟いた。
「フィランソロピーの皆……怒ってるかなぁ……」
 特に、なにも言わずに出てきてしまったスネークが、一番怖い。
 一番怖くて、一番……逢いたい。
「……どうなってのよ…ホントに…」





き、気力でアップ…。インフルエンザも愛情には敵わず(逆かも)

2003・1・25

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