最終審理まで持ち込んだ、今回の裁判。 時効の迫った15年前の“DL6号事件”が事の発端だなんて、誰が思っただろう。 審理が進んでいくほど、その事件があまりにも色濃く、なにか怨念のようなものさえ感じるまでに纏わりついているように感じる。 こうして傍聴席で見ているだけでも、こんなにも手に汗を握るのに。 わたしは、ちらりと検事席を見た。 初老の男性が腕を組んで厳つい顔をしている。 狩魔、豪―――――――。 40年もの間負け知らずの、奇跡を生きる男。 御剣くんの、師事した人。 彼をこうして見るのは初めてだけど、苦手だ。 証人の証言や新たな証拠が出てきて裁判長だけじゃない、傍聴人でさえ疑問が出てくるばかりだというのに、彼はまるでそれが存在しないかのように見向きもしない。 御剣くんと並ぶ、いや、それ以上混沌とした黒い噂は司法監察医のわたしでさえ耳にする。 “有罪にするためならなんでもする男”だと。 いままで単なる噂でしかなかったそれが、今回の法廷で改めてその噂が真実に変わった。 わたしは昨日、最終調査の途中で貸しボート屋の管理人の家から発見されたという殺人計画書のコピーを龍一くんから預かった。 これが、今回の事件の大きな手がかりになるとどこかで確信していて。 どこかで見たような筆跡、流暢に書かれた模範的な字。 龍一くんは星影先生にも確認をしてみると星影事務所に行った。 わたしは資料室に足を運んで、心辺りのありそうな資料を端から貪るように調べはじめた。 「これは、」 どのくらい経ったのか、ちょうど未解決事件の証拠物件に手をかけたときだった。 これが、思わず息を飲む、ということなのだろう。 あるはずのDL6号事件に関する証拠がごっそりと抜けて、無い。 「もしかして証拠、隠滅…?」 証拠物件を調べる前に、わたしはひとつの真実に辿りついた。 ある書類の字と、殺人計画書の字が一致したのだ。 流暢で、字体までを完璧とするかのごとく。 そこに―――――狩魔豪、その名が確かに書かれていた。 嫌な予感が当たった、か―――――。 「そこで何をしている。―――、」 突然、一番聞きたくもない声が背後から聞こえてきた。 ここで焦るような素振りを見せれば、悟られる。 そう思って、冷静さを装い振り返った。 なぜ、いち監察医でしかないわたしの名を知っている。 いや、彼女と交流があるのだから知っていてもおかしくはないのか。あるいは。 「ちょっと、調べものです」 「…………」 嫌な男だ。なにも反応を示すわけでもなく、わたしの顔をまじまじを見るだけ。 溜め息をひとつ吐いて、わたしは狩魔検事の横を通り抜けようとした――――が、ぐっと腕を力強く掴まれた。 「…なんですか」 「その手にあるものは何だね」 「書類、ですが」 極めて冷静に、しかしわたしは冷や汗を感じずにはいられなかった。 背中に悪寒が走る感覚がする。 このまま長引かせては、危険だ。 そうわたしの中で危険信号が鳴り響く。 「見せてみろ」 「検事にはまったく関係のない書類だと思います」 「それは、どうかな」 バチバチと激しい電流が通るような音がした瞬間、わたしの視界が真っ白になった。 遅れて腹部に違和感を感じたまま、わたしは後ろの壁に放り出された。 突然の出来事に、事態を理解できなかった。 「…ふん。やはりこれか。役立たずめ」 狩魔検事は、衝撃で壁に激突したわたしを気にする素振りもなく手の中から書類を奪って確かにそう言った。 「あんな青臭いロマンチストのために、ご苦労だったな」 わたしの髪の毛を乱暴に掴んで見下すと、ふたたび乱暴にわたしの頭を放る。 ごつりと鈍い音がして、わたしはそこで意識を手放した――――。 わたしが龍一くんに起こされたのはその数時間後。 目を開けると、目の前にやたら心配そうな顔があって驚いたけど。 どうやら彼の方でも狩魔検事の字に見覚えのあった星影先生からの助言で資料室にきたらしい。 事の顛末を聞くと、彼らも計画書を奪われてしまったとのことで。 だけど、真宵ちゃんの決死の覚悟で狩魔検事に飛び込んだときにたったひとつだけ証拠品を?ぎ取ったらしかった。 それは御剣信の体内から発見された銃弾だった。 これが、どんなふうに生きるのだろうか。そもそも証拠として生きるのだろうか。 そんな疑問がわたしの胸を過ぎって仕方なかった。 審理が進む中、貸しボート屋の管理人がDL6号事件の関係者、灰音高太郎であることが立証された。 というよりも、灰音本人が自供し出したのだ。 もう目的は果たした、と少し虚ろ気な目を伏せ気味に。 15年前に被告席に立たされたときから長い長い日々がはじまったのだと、そう言って。 淡々と灰音の口から語られていく真実に、法廷中の誰もが驚きを隠せなかった。 弁護を担当した生倉弁護士は無実だった彼を決して信じようとせず、事件時の灰音の精神状態を問題にして心神喪失の芝居をさせたのだという。 無罪にはなったものの、彼は裁判が終わったあとすべてを失った。 仕事も、婚約者も、社会的な立場も、―――――――すべて。 そして、今年になって灰音のもとに一通の封書とピストルが届いた。 それには、今回の計画が綿密に書かれていた。龍一くんが見つけた計画書のことだ。 差出人が誰なのかなどということは問題ではなくて。 15年経ったいまになって、生倉雪夫と御剣怜侍に復讐できるチャンスを得たのだ。 「もう、思い残すことはありません」 そう言って、弱弱しいながらも笑った。 長年の苦しみから解放されたとでも言うように。 彼の最後の言葉を拾って、裁判長が口を開く。 「御剣怜侍への、復讐…ですか?」 「それは私の口から言うべきものではありません。御剣怜侍本人に聞いてください。とにかく、生倉弁護士を殺害したのは…私です」 静かにそう言って、彼は係官に連れられて法廷から姿を消した。 迷宮入りだと言われ、マスコミも騒がせた大事件が時効目前にして幕を閉じた。 ―――――はずだった。 「意義あり!」 響き渡るその声は、聞きなれた声で。 裁判長も龍一くんも、法廷中の誰もが意義を唱えた人物―――御剣怜侍を見た。 狩魔は…まるで予想でもしていたかのように落ち着き払った様子だ。 「ただいまの判決に意義を申し上げる!」 「み、御剣君…どういうことですか」 「私は無罪などではない。聞いてのとおり灰音高太郎は復讐のため、殺人の罪を犯した。なんのための復讐だったのか。…それは、」 苦し気に呟くように言った彼の顔は、いままでに見たことがなかった。 そして彼は、ぽつりぽつりと語りはじめる。 彼を蝕んできた、“悪夢”を―――――――――。 「“ただいまの判決に意義を申し上げる!”だもんねー。びっくりして目が落っこちるかと思ったもん!」 あははと呑気に笑っていうのは真宵ちゃんだ。 「ほんとだよ…弁護するぼくの身にもなってくれ…」 「まったくッス!」 「む。す、すまない…」 それぞれに反応の仕方は違うけど、みんなの顔は喜びで満ちていた。 もちろん、わたしも。 みんなの手にはそれぞれにアルコールが握られていて。 未成年の真宵ちゃんはオレンジジュースだけど。 御剣くんの無罪判決をお祝いして、龍一くんの事務所で祝賀会の真っ最中だ。 『私は、ここに罪を告白する!』 『犯人はこの私なのだ!』 注がれたアルコールに口をつけながら、私は法廷を思い出していた。 灰音が去ったあとの、彼の“告白”を。 9歳の少年がそんな重すぎる荷物を背負って、どれほど、つらかっただろう。 誰にも言わないで、自分だけで抱えて。 彼は、どういう顔をして生きてきたんだろう。 「おい、!お前ももっと飲めよ!」 「はいはい。いただきます」 すっかり出来上がった政志くんが絡んで、わたしの空いたグラスにお酒を注ぐ。 笑えないくらいその手が危なっかしくて仕方ない。 ふと、周囲を見渡すと人数が足りないことに気付いた。 わたしもいい加減お酒が回ってきているから、ひとりずつ顔を確かめる。 龍一くんは政志くんとまさに酔っ払いの絡み。 それにイトノコさんも混ざって本当に酔っ払いの極みだ。 真宵ちゃんは幸せそうな顔をして眠っている。 ――――御剣くん、か。 鞄も上着もあるから、外に涼みにでもいったのだろうか。 アルコールで身体が熱くなっているとはいえ、12月の寒空なのに。 やかましい幼馴染みたちを横目に事務所の外に出てみる。 頬にあたる風が、火照った身体に冷たくて気持ちいい。 フロアの先に、鍛えられているようながっしりとした背中があった。 「どうか、した?」 「…君か」 振り返らず、目の前に広がる暗闇を見つめたままだ。 わたしは彼の隣に立ち、はあと息を吐いた。 寒さを示すかのように吐いた息は色濃く、音もなく暗闇に溶けていく。 「風邪、引くよ」 「ああ。もう戻る」 「そう」 特に話題もなく話しかけたから、当然のように会話が途絶えた。 そもそも御剣くんって口数多いほうではないし。 どうしたものかとさして回らない頭で考えていると、ふと御剣くんが口を開いた。 「…色々と、迷惑をかけたようだな」 「なにも、してないよ。わたしは」 迷惑なんてものじゃない。 第一わたしは御剣くんになにもしていないのだから。 そんなふうに言ってもらえる立場には、いない。 「成歩堂が言っていた。証拠を集めるために走り回ってくれたと」 「買い被りすぎ。龍一くんや真宵ちゃんみたいに…なにかしたわけじゃない」 「そんなことはない」 「そんなことある!」 堰き切ったわたしの額の傷に、御剣くんはふわりとやさしく触れる。 これはわたしが狩魔検事と対峙したときに負ったものだ。 なにも出来なかった上に傷を負うなんて、なんて情けない。 触れられている手のあたたかさがつらくて、わたしはふいと顔を背けた。 「狩魔豪が黒幕だって証拠を掴んだのはいい。だけど、結局それも取り上げられて結果が、これ」 世話ないわ、と自分の無力さに嗤った。 何か力になりたかったのに結局わたしは足手まといにしかならなかったのだ。 本当に、無力な自分に嫌気が差す。 「なにもできなくて、…ごめん」 「私のために走り回ってくれたじゃないか」 「でもっ、」 御剣くんの方を睨むように見た。 そこには、いままで見せたことのないようなやさしい笑顔が在った。 「無事で、よかった」 額の傷を撫でながら、そうやさしく言った。 そんな顔でやさしく言われたら、まるでわたしが駄々をこねる子供のようじゃない。 「…ずるい…っ」 そんなやさしさ。 泣き出してしまいそうな気持ちを堪えるように、下唇を噛み締めた。 ここで泣いてしまえばわたしは可愛い女になれるかもしれない。 だけど、わたしが泣いてしまうのは違う気がして。 「。」 そう、名前を呼んでありがとう、と笑った。もう、呼ぶことはなかった名前を。 ありがとうなんて言いたいのはわたしの方なのに。 どうして笑えるの。どうしてありがとうなんて、言うの。 「ばか…っ」 「そう、だな。私は馬鹿かもしれない」 「ほん、とだよ…ばかっ」 こんなことが言いたいんじゃない。 可愛いことのひとつも言えないこの口は止まらなくて。 だけど彼は嗚咽の止まらないわたしの背中をとんとんと叩いて、困ったように笑うだけ。 今までのように自嘲するものじゃない、あの頃に近いようなそれに涙は止まりそうになんてない。 再会した当時は、それこそ一線を引かれていた。 いまの自分の姿を見られたくなかった、とでもいうようなそんな顔をして。 少しだけ打ち解けてもそれは変わらなくて、拒まれているような気がして寂しかった。 ずっと好きだったからだとか、そんな浮ついた気持ちだけではなくて。 古い友人としても、寂しくて仕方なかったんだ。 お酒の力を借りて、このまま自分の長年の気持ちをぶちまけてしまいたい。 彼の気持ちがどこに向いていたとしても、困るのは目に見えているけど。それでも。 でも、それはまだ言ってはいけないような気がして。 いまはただ、背中から伝わる大きな手のぬくもりに浸っていたい。 龍一くんも政志くんも、わたしも…御剣くんも。 それぞれがそれぞれに成長して外見こそ大人っぽくなったけど、変わらないものが確かにそこにはあって。 あの頃の4人が、あれから十何年経ったいまでも在ること。それが、嬉しい。 わたしは、それをずっと願っていたのかもしれない。 だからせめて、いまだけはこのまま。 『 また、こうして共に笑いあえる日が 』 2007/06/04/MON Written by chiaki ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ※くっつかなかったと仰っていた千愛さんですが、これはこれで非常に萌えでございました! ありがとうございましたー。 2008・5・5 |