『 声さえもかき消して -閑話- 』


それは成歩堂が私の収容されている拘置所に赴いたときだ。
奴は短時間の間に次々と情報を集めて、どんどん真実へと近づいていく。
敵とはいえ、その執念は尊敬に値すると思う。
味方となっている今だからこそ、奴がここに来る度にどれだけ有望な弁護士か思い知らされる。

いや、今はそういう話ではなくて。
とにかく、事件のことを話していたかと思えば急に成歩堂が黙り込んだ。
そして突然、こう切り出してきたのだ。

が、さ」


成歩堂と矢張と、そして私の幼馴染みである女性だ。
思いもよらなかった名に、ぴくりと眉が轢きつくのを感じる。
しかし私は何事もなかったように、極めて冷静に答えた。

「…彼女がどうかしたのか」
「証拠を見つけるために走り回ってるんだよ」
「なんだと?」

思わず私は聞き返した。あくまで、冷静に聞いたつもりだ。
だが、腹が立つほど目の前の成歩堂は飄々としている。
…まるで誰かを思わせるような態度だ。

「彼女が駆けずり回ってくれたおかげで、解ったことも沢山あるんだ」
「なぜ彼女が、」
「なぜって、お前のために決まってるじゃないか」

馬鹿だなあ、と呆れたように溜め息を吐いた。馬鹿は余計だ。
彼女が私のために駆けずり回っているだと?
頭を捻くり回して考えてみるが、いつものように簡単に答えが導き出されない。

「それこそ寝る間も惜しむくらいだ。ぼくよりも寝てないんだろうね、たぶん」

相も変わらず態度を変えない成歩堂にだんだん苛立ちを覚えてくる。
いや、それよりも彼女が寝る間も惜しんでいる?

次々と思いもよらない彼女の話に、私はただその言葉を一つ一つ理解していくだけしか出来ない。

「お前さ、ぼくと再会するずいぶん前に前にと会ったんだろ?」
「それが、どうした」
「ぼくさ、お前の変わりようにビックリしたもんだよ」

私は思わず閉口する。あまり、触れられたくないところだ。
それに関して私には、何も言えない。
確かにあの頃は偉大な父の姿を見て、自分も弁護士になるのだと夢を見ていたものだが。
あの頃の私を知る者にとって、いま現在の私は信じられない存在そのものだろうな。

「彼女はそれを前から見てるわけだろ?変わったお前をずっと見てきてるんだよ」
「そう、だろうな…」
「ずっと、おまえに何があったのかって気にかかっていただろうな」
「……………」

彼女は昔から他人の気持ちに敏感なところがある。
大人になって再会したときもそうだった。
あれは、確か私が検事なってちょうど3年目の春だ。
私の…変わりように何かを察知したかのように、しかし接し方は昔となんら変わりはなかったのだが。
それが、私にとってはありがたかったのを覚えている。

「確かに彼女は昔からおてんばだったけどさ、だけど弱い者にはいつだって味方だった」

そう、いわゆるいじめっ子と言われるガキ大将のようなやつに彼女は立ち向かっていった。
自分がどれだけ傷だらけになろうとも、敵いそうにならない相手にでも。
誰よりも友人を思いやれる、そんな子だ。
間違っていることを見過ごせない、そんな――――。

「おまえさ、のこと好きだろ?」
「な、な、なにを、」
「やっぱり!」

いきなりのことに私は動揺せずにはいられず、成歩堂を睨み上げる。
だが、わかりやすいんだよ、お前は、と憎らしいまでの笑顔で笑われてしまった。
一体私のどこがわかり易いというのだ。
しかし、成歩堂はにやにやと笑ってなんだ、厭らしい。
どさくさに紛れて真宵くんまで笑っている始末だ。

「さっさと言っちゃえばよかったのに」

出来るものならおまえと会う前に言っているさ。
父のこともあり、自分が変わったことに己自身で疑問を持ってこなかったわけじゃない。
少なからずとも漠然とした罪悪感はあったと思う。
だが、醜いまでの憎悪も確かにそこにはあった。
そんな気持ちで、どうして彼女に何かを言えるというのだ。

「意地っ張りだなあ、おまえ」
「何か言ったか?」
「いや、なにも」

呆れ顔で溜め息までつく始末。
これではいつもと立場が逆転しているではないか。
何となく、癪だ。

「彼女、ここに来たか?」
「…いや、一度も来ていないが」
ちゃん、『自分が言ったらきっとなるほどくん以上に拒まれる』って言ってました」
「な、なぜ私が彼女を拒むのだ!」
「そんなの、ぼくが最初にここに来たときのこと知ってるからね。彼女」
「君が、ここに最初に来たとき…」

私はここ数日のことを思い返してみた。
成歩堂がこの拘置所の面会室に初めて来たとき、私は―――――。

「おまえは『関わらないで欲しい』って言ったな」

確かに私は成歩堂と真宵くんにそう言った。
あのとき、確かに私は君たちにあれ以上この事件に関わって欲しくなかった。
もちろん、彼女にも。
もし彼女が私のところに顔を出せば、同じことを言うつもりだった。

「彼女はきっとそれをわかっていたんだ。自分も言われるだろうって」

そう言う成歩堂の顔は、本当に法廷でハッタリを噛ましている奴と同一人物だろうかと疑いたくなるくらい淡白で無表情だ。
私は何も言わず、成歩堂の言葉を待った。

「そんなことないんじゃないかって言ったさ。でも彼女はこう言った。『自分が行っても、龍一くんほど力になれるわけじゃない。そんなわたしが行っても仕方ない』ってね」
「なぜ、」
「今までのおまえの態度しかないだろう、そんなの」

私の言葉を遮った奴の顔は、今まで以上に無表情だった。
しかし、その中に呆れや敵意といった感情が確かに感じられる。

「ぼくでさえ何があったんだって気にしてたっていうのに、ぼく以上今のおまえのことを見てきたが気にしないわけない。でもおまえは幼馴染みのぼくたちにでさえどこか拒絶的だったんだ。…がそう退いても仕方ないと思うけどね、ぼくは」

淡々と告げていく成歩堂の言葉に、私は何も言えなかった。
いや、もとより私が何かを言えるはずがない。

「まあ、どっちにしろ明日の公判も彼女はいるよ」
「…ずっと、いたのか?」
「昨日もおとといも来てましたよ」
「おまえのこと、いつも心配そうに見守ってるよ。傍聴席で」

見守ってくれていたというのか。――――私を。
胸の奥がきりきりと締め付けられる気がした。

「ま、おまえじゃなくても、ぼくでも同じようにしてるだろうけどね」

彼女はやさしいからね、と成歩堂はそう意地が悪そうに笑った。
まるで審議中のような鋭い目で厭らしく。
なぜかその間抜けな顔を殴ってやりたい衝動に駆られた気がするが、気のせいではないだろう。
もっとも、殴ってやりたくともガラスで仕切られているのだから無理な話ではあるが。

それよりも、すっかり成歩堂に知られてしまったことが何よりの汚点だ。
これではまるで、私が気持ちも告げられずに女々しい奴みたいではないか。
いや、それでも一応は感謝するべき、なのだろうか。
成歩堂から話を聞かなければ彼女が今頃何をしているのかなど、拘留されている身の私には知る由もなかったのだから。
イトノコギリ刑事はあてにならなさそうだしな。

「成歩堂」
「なんだよ」
「…その、か、彼女に…無理をしないよう、」
「もっとも、そのつもりだよ」

悪戯を思いついた子供のような顔に、私はまるで掌で転がされたような感覚に陥った。
いや、実際そうなのだと思う。本当にいちいち癪に触る奴だ。




成歩堂と真宵くんがいなくなった面会室から、私はしばらく動けなかった。
彼女の話を聞く前に、私自身の悪夢の話をしたからでもあると思う。

「拒絶、か――――」

呟いたそれは、狭い面会室にやけに響く。
その言葉の意味を自分で耳にすると、胸の奥がやけにざわついて止まらない。
もし逆に、彼女に拒絶されたとしたら―――?

思わず胸に手をあてる。己を護るように。
何て卑しい奴なのだろうな、私は。
君を酷く心配させておいて、自分は護るなど―――。

此処に残る痛みの意味を、改めて噛み締めることなどないと思っていた。
隠して…いや、伝えるつもりではなかったのだから。
まして他の誰かに知られることなど思いもしなかった。
まさか、こんな形で見えるなど。

馬鹿馬鹿しい。単なる、空想でしかないと言うのに。

「私は本当に、馬鹿者なのかもしれんな…」

看守しかいない面接室で、私はひとり嗤う。
先程よりも酷く響いて、それが私の胸をさらにきつく締め付けた。
いつか、耳障りな周囲の声さえもかき消して、君を抱きしめたい――――。

そう、願うのは、私が浅ましくて欲深い人間だからなのだろうか。





2007/06/02/SAT
written by chiaki