小休止



「もう戻ってきてたのか」
 仲間である黒髪の青年に声をかけられ、窓際で本を読んでいたは顔を上げました。
「お帰りなさい、ユーリ」
「ただいま。飲みもんある?」
「飲みかけでいいなら」
 読書の供にと用意していた、サイドテーブルの上にあるお茶を示すと、彼はなんの厭いもなく礼を言ってそれを口にしました。
「洗い物は先に出して下さいね。明日までに乾かさないと」
「へいへい」
 夫婦のようなやり取りにも見えますが、決してそのような関係ではありません。宿の部屋が一緒なだけです。
 今はユーリしかいませんが、そのうち同室のジュディスとレイヴンも戻ってくるでしょう。
 旅の仲間たちは、外にあれば常頃一緒に行動していますが、街の中ではおおむね別行動ですから、食事時まで顔をあわせないこともあります。
 は読みかけの本を消化するために、夕刻より早い時間に戻って来ただけのことで、ユーリが戻ってくるのは予想外でした。
 そこで初めて、彼女はユーリの服が濡れていることに気がつきます。
 窓の外を見てみると、ぱらぱらと小雨が降っていました。なるほど、雨のせいで帰宿が早かったようです。
「この分だと、みんな早く帰ってきますね。洗濯が早く済みます」
「魔導器があるから、そう苦労はないだろ?」
「はい。こちらは便利ですね」
 ユーリはおもむろに服を脱ぐと、別の服に着替えました。
 黒髪の青年は、少女が自分の裸になにかしら面白い反応をすると思っていたのでしょうか、意外そうな眼を彼女に向けます。
「野郎の裸見ても反応ないんだな。エステルとかリタとか、周囲を見て着換えろって言うのに」
 そこにジュディスは含まれていませんでしたが、普段の彼女を考えれば当然のことかも知れません。
 は横髪を耳の後ろにかけながら、ユーリの問いに答えます。
「あちらの世界で色々経験したので」
「そういや、男ばっかの所で生活したことがあるって言ってたな」
「当時は少女らしい態度をとっていた気もしますが、慣れるんですよね……風景の一部と化す、というか」
「俺の裸は風景かよ」
 苦笑いを浮かべるユーリは、けれどもすぐに面白さが勝ったのか口端を上げます。
 ちょっとだけ意地悪な笑い顔だと思うのは、の気のせいだったのでしょうか。
「じゃ、今度は上半身裸でお前にひっついてやる。風景だと思えないように」
 気のせいではなかったようです。
 は首を振ります。黒髪が挙動に会わせて大きく揺れました。
「ははっ……あ」
 笑っていた青年が、ふと、思い出したみたいに動きを止めます。
 彼の視線は、の身にしている青味の強い若草色の羽織に向けられていました。
「そういや……なんでお前、おっさんをお兄さんって呼ぶんだ? 前から気になってたんだが」
「え、だってお兄さんですし」
「自称ですらおっさんであって、お兄さんではないだろ」
 ベッドに腰掛けて訊ねてくるユーリに、はどう答えていいのか分かりません。
 彼女にとってレイヴンは『お兄さん』なのです。年齢的にどうのという感覚はありません。
「すり込みに近いものがあるかも知れません。会った時に『お兄さん』呼びが定着してしまって……」
「今更、おっさんとは呼べないってか」
「呼ぶつもりもないですしね」
「も一個、いいか?」
 はどうぞという意味で頷きます。
 すると彼はベッドを下りてに近寄ってきました。
 ぐいっと寄せられた顔がひどく近く感じられ、は少しだけ身を引きます。
「俺らに敬語使ってるけど、癖?」
「あの、いいえ。一応、礼節として頑張って使っています」
「じゃあ禁止。少なくとも俺にはやめてくれ。堅苦しくてたまんねえよ」
 出会ってすぐの人に礼を失するのはどうかと使っていた敬語でしたが、ユーリには不評だったようです。
「分かりました」
「分かってねえだろ」
「あ、えっと……わかった」
 それでよしと微笑むユーリの顔は、とても綺麗だとは思います。
 男の人に綺麗という表現は不満を抱かせてしまうかも知れないと、口には出しませんでしたが。
 満足したはずの彼ですが、一向に二人の距離が離れません。
 紫の瞳にじっと見つめられて、だんだんと居心地が悪くなってきます。
「ユーリ?」
「お前の目ってさ、凄く深い色してるんだな」
「そ、うかな」
「緑だけじゃなくて、奥に紫混じってねえか」
 どうなのでしょう。は自分の目をよく見ようと思ったことがないから分かりませんでした。
「父が紫で母が緑だから」
 ユーリは無言です。
 見つめられすぎて頬が熱くなってきましたが、視線を反らすと悪い気がして、できません。
「ただい…………ちょっと青年んんん!!!?」
 そこへ割り込んで来た声に、はほっと息を吐きます。
 やっとでユーリの顔が遠のきました。
 扉の方に目を向けると、わなわなしているレイヴンと、思うところがありそうな笑顔のジュディスの姿があります。
 レイヴンは両手に買い出し荷物を持っていましたが、それを床の上に落しました。
 は思わず買い出しリストの中に卵が入っていないかを思い返します。入っていたら今の衝撃でぐしゃぐしゃになっているだろうからです。
「なんだよおっさん、帰るなりうるせーな」
「煩いじゃないわよ! ちゃんに顔近付けてなにするつもりだったのよ!!」
「なにって」
 ユーリはをちらりと見、にやっと悪戯っ子のような笑みを浮かべます。
 不味い傾向です。が慌てて口を開こうとしますが、ユーリの方が先でした。
「そりゃあ、決まってるだろ。大人のあそ――」
「っ……ちゃんこっち来なさい! 青年の傍にいちゃいけませんっ」
「いやあの、お兄さん落ち付いて下さい。ユーリはそんな」
「青年の肩を持つなんて優しい子ね。でもちゃん、男は皆オオカミなのよ、気をつけなさい」
 それを聞いたジュディスは、
「あら、それじゃあおじ様も狼よね」
 あっさりと言います。
「おっさんはちゃんの保護者だからね。傷つけるようなことはせんよ」
 レイヴンの発言に、は少しだけ顔を歪めます。
 少女の表情にユーリもジュディスも気付きましたが、レイヴンだけは気付きませんでした。
「やれやれ。困ったおっさんだぜ」
「どういう意味よ、青年」
「いーや、別に」



2010・5・15
ユーリ夢…って程じゃない…ですが。気持ちそんな感じ。