大きくなったら 「わたし、お兄さんのお嫁さんになりたい」 満面の笑みで言い放つに、シュヴァーンは持っていた紅茶のカップを落としそうになった。 が一時的にオルトレインの一員になってから、半年程が経っていた。 彼女はすっかりザーフィアス城での生活に馴染み、シュヴァーンもが傍にあることに全く抵抗がなくなっている。 休憩が取れると、の様子を見に行きがてら一緒に茶を嗜むことも多い。 今日もいつもと変わらず、自分で淹れたお茶をと楽しむだけのはずだった。 なのに。 とんでも発言をした当人は、笑顔を崩さないままシュヴァーンを見つめている。 子供にありがちな、近場にいる親切な人への親愛発言と取れば問題ない。けれども彼は、予想外に動揺している己の心を察知して更に揺さぶられていた。 どう答えても、少女の無垢な瞳が歪められるのが分かっているから。 何故なら己の口から出るのは、誤魔化しという名の拒否でしかないからだ。 シュヴァーンは薄色の液体をひとくち飲むと、ゆっくりと受け皿にそれを置く。かちりと陶器が当たる音がした。 「いきなりどうしたんだ?」 「この前おともだちになった貴族の女の子がね、好きじゃない人とコンヤクさせられたんだって泣いてた」 はシュヴァーンの同じ柄の紅茶カップを両手で包み込み、それを飲む。緩慢な動きが、彼女の不満や不安を現しているようだった。 貴族間の政略結婚など珍しくもない。生まれた時から既に添う相手が決まっていることだってざらだ。 様々な本を読み、知識としては理解しているであろう。しかし実際にそういう場面に遭遇してしまうと話は別なのだろう。 「はザーフィアスの貴族ではないだろう? そんな心配はしなくていい」 「でもね、コンヤクするならお兄さんがいいなって。だってわたし、お兄さんが大好きだもの」 「……そう、か。ありがとう。だが、大きくなればきっと忘れてしまうよ」 考えた結果、誰もが言いそうな誤魔化しの言葉が口をついて出た。 は明らかに気分を害されたようで、眉根をぎゅっと寄せている。 「じゃあわたしも、よくあること言うね」 「うん?」 「大きくなってわたしが忘れてなくて、お兄さんがびっくりするぐらいキレイになってたら、お嫁さんにしてくれる?」 本当によくある台詞だ。 シュヴァーンは少しだけ苦みのある笑みを浮かべ、頷いた。 「分かった。期待して待っていよう」 「お父さんもお母さんもすごくキレイだから、わたしもがんばるね!」 「お……お父さんも綺麗なのか、格好いいとかではなく」 は少し考え、格好いいけど綺麗、と言い直す。子供かつ親であることの贔屓目はあるだろうが、どうやら相当の美形であるようだ。 ――しかし、少し気をつけていなければ。 は貴族ではないが、なまじっかオルトレインという名前を使っているために、余計なものに巻き込まれる可能性もある。 事実、彼女を引き取りたいなどという馬鹿げた輩もあった。勿論、丁重にお断りさせてもらった。 ――これでは本当に保護者だな。 このままずっと共に、兄妹か親子のように歩んでいけるとは思えない。不思議と彼女は自分のあるべき場所に帰還するのだと思っていたし、にとっては自分と居るより両親といる方がいいだろう。 その日を思うと心なしか疼くものがあるが、シュヴァーンはそこから眼を反らした。 「随分と絆されたものだ」 ぽつり、呟いた音を拾って、が首を傾げる。シュヴァーンはなんでもないと頭を振った。 いつの間にか、彼女が伝えてくる想いや言葉が、彼にとっては重要な位置を占めていた。 叶わないものと頭の隅で理解していても、成長をずっと見守っていきたいと思う。 いざ別れが目の前に現れたら、自分はどんな行動を起こすのだろう? 分からない。ただ、笑顔で見送れたらいい。 シュヴァーンは指先に絡む感触にはっとし、自分が無意識にの髪を撫でていることに気付いた。 彼女は嬉しそうに笑っている。頬が少しだけ赤く染まって見えた。 2010・2・1 |