はじめまして 膝に、柔らかなものが当たる感触。 閉じた瞼の裏で、それが上等の布地であることに、また、布地の中にあるであろう温もりに、少女は気づいた。 細く息を吐き出すと同時に、首元に当てられた無機質かつ冷たいものに、ゆうるりと双眸を開く。 ベッド脇からのものであろう灯りに照らされ、少女の緑の瞳に映ったそれは短剣だった。 柄を持つ手の先に目線を動かせば、鋭い彩を灯した、黒茶色の髪の男。 「……何者だ」 低い声は緊張というよりも疑問を孕んでいる。 己の境遇を全く無視したかのように少女は笑む。 「・マクドールです」 首に武器を当てられているとは思えないような少女の態度。 「お兄さんは、このお部屋のひとですか? おなまえは?」 剣を突き付けたままの男は、僅かに眉を寄せ、 「……シュヴァーン・オルトレイン」 己の名を紡いだ。 いつも通りの遅い就寝。 寝床に滑り込み、今まさに眠ろうとしていた折に突然現れた少女を、シュヴァーンはどう扱っていいのか分からなかった。 彼女に向けていた短剣は、既に鞘へとその身を収めている。 暗殺をしに来たようには全く見えない。 警戒を解き切ってはいないが、殺意どころか敵意すら持っていないらしい、武器も持たぬ少女が相手では、さすがに毒気が抜けてしまう。 と名乗ったその少女は、彼が提示した椅子に行儀よく座っている。 身長が足りず足が床についていないが、子供がそうするように二足を揺らし遊ぶような素振りはない。 シュヴァーンは向かいに立ったまま、少女を注視する。 漆黒の髪は、シュヴァーンと同じ位の長さ――襟首よりある程度。 瞳は緑。色味がはっきりしていて美しいとシュヴァーンは思う。 貴族の子だろうか、小奇麗な身なりをしている。 衣服――特に彼女が羽織っている紫のそれは、細かな絵柄が織り込まれていて値が張りそうだ。衣装から感じる独特な雰囲気は、彼女がこの国の者ではないことを思わせる。 幼い面差しから判断するに、年の頃は10より手前、といったところだろうか。 愛らしい、けれどもどうしてどうして、年齢にそぐわない度胸の持ち主であるようだ。 見も知らぬ男に剣を突き付けられれば、普通なら恐怖したり驚いたりするだろうに。 膝の上にちょこんと置かれた両手の甲に、不思議な紋様が浮かんでいた。 右には翠の、左には紅の。それがなにを象っているのか、シュヴァーンには判らない。 「あの、お兄さん。わたし、ちゃんとお返事しますから、なんでもきいて下さい」 こちらの戸惑いが伝わっていたらしい。 少女の真っ直ぐな眼を見て、シュヴァーンは諦めたように口を開いた。 「そうだな。、といったか。君はどこから来た」 シュヴァーンが見たのは、自分の寝床の上に鋭い光の線が走って、次の瞬間には少女が己の傍にいたというもの。 彼女の出現の直前、空間が裂けたようにも感じた。 一瞬、魔導器の業かと考えたが、そんな状態になるものがあるなど聞いたこともない。 「わたし、きょう誕生日だったんです。それで、お父さんとお母さんのお友達が、たくさんお祝いにきてくれて」 話の筋が見えないが、シュヴァーンは黙っての言葉に耳を傾ける。 彼女は彼女なりに、一生懸命説明を続けた。 「その中に、別のところに人を飛ばすのがとくいな人がいて」 「転送魔導器……ではないのか?」 「き、きね、ぶらすてぃあ?」 「ああ、すまない。話を続けてくれ」 はこくんと頷き、また話を始める。 「その人がわたしのそばでクシャミしたら、お兄さんの部屋に飛んじゃったんです」 おしまい、とばかりに口を閉ざす。 けれどもシュヴァーンには、未だ事の全体図が見えない。 「つまりその、君は不慮の事故か何かで私の部屋に来たと、そういうことだろうか」 「はい、そうです」 シュヴァーンは額に手をやり、深々とため息をつく。 事情は理解したようなしていないような微妙な状態だが、少女をこのまま放りだしておくわけにもいかない。 既に深夜帯ゆえ、警備以外のたいていの人物は床に入ってしまっているだろう。 「参ったな……上官の指示を仰ぐべきだろうが……」 「お兄さんは騎士?」 整えれられている騎士の制服を示し、が言う。 シュヴァーンが頷くと、「じゃあロックアックスの人かなあ」などと意味不明なことを呟いた。 服装といい雰囲気といい、不思議な子だ。 「――とりあえずは仕方がないか」 シュヴァーンはを椅子からおろして立たせる。 そうしてから、自分が眠るはずだったベッドをぽんぽんと叩いた。 「今日はここで寝なさい。明日になったら、君の身の振り方を考えよう」 彼女は少し戸惑った様子だったが、異議を口にするでもなく上着を畳んで机に置き、靴を脱いでベッドに上る。 交替のようにシュヴァーンが椅子腰を下ろしたのを見、彼女は首を傾げた。 「お兄ちゃんはねない?」 「ああ、俺はここで」 言えば、は困ったように柳眉を下げる。かと思えば手を伸ばし、シュヴァーンの服の裾をぐいぐい引き始めた。 「な、なんだ?」 「わたし大きくないから、一緒にねられるよ。半分こ」 「いや、しかしだな……君は幼いとはいえ女の子だろう」 見知らぬ男と褥を共にするのは嫌だろうに。 言外に含んだ配慮を汲み取ったのかは分からない。 ただはシュヴァーンの服を掴む手を離し、なにを思ったのか布団に入らず、ベッドの上で座って壁に寄りかかり目を閉じた。 「お兄さんが横にならないなら、わたしも座ってねむります。だいじょぶ、練習してるから」 ――どんな練習なんだ、それは。 本気でそのまま眠るつもりらしい幼子に、我知らず苦笑が浮かぶ。 やれやれとシュヴァーンは立ち上がると布団の中に入った。 「君――」 名を呼び、先ほどと同じように二度ほど布団を叩く。 彼女は眼を開いて無邪気な笑みを浮かべ、シュヴァーンの横に潜り込んだ。 子供の温かな体温が、冷たい褥を温めていく。 半身になって彼女を背にする。が同じように背を向ける気配がした。 さして大きくはない寝床。寝返りを打って、彼女を潰さないようにしなくては。 思いながら、シュヴァーンは既に寝息を立てている少女の図太さに改めて感心しつつ、己の意識を手放していった。 2010・1・15 シュヴァーンもレイヴンも大好きです。行き当たりばったりで書き始めました、いつも通り…。 |