午後1時を過ぎようかという頃、家の玄関を叩く者があった。
 ノックを何度かするものの、誰も出てこない。
 留守なのかと思いながらも、またノックしようとした時――扉が開いた。
「どなたかしら? あら……イイ男」
 の母は、来訪者に向かって頬を赤らめつつそう言った。



ワンコがうちにやって来た 10



 はその日、何とかレポートを仕上げようと必死になっていた。
 今回彼女にそんな顔をさせているのは、魔法薬学ではなく、闇の魔術に対する防衛術であった。
 先学期、リーマス・J・ルーピン教諭が懇切丁寧に教えてくれた教科だったが、彼はとある事情で辞職された。
 大好きな先生だったので、非常に惜しまれる。
 この課題は彼が出した物ではなく、魔法薬学担当のスネイプ教諭が、代理として出した物だった。
 ゆえに、魔法薬学のそれと同じように、凶悪極まりない程に面倒な事を強いられている。
 ……って言ってもレポートなんだけども。
 の横で人型の姿になっているシリウスは、優雅にコーヒーを飲みつつもレポートの中身をチェックしてくれていた。
 シリウスを見ていると、大分ここの生活に慣れてくれたなあという感じで、妙に嬉しい。
「どうした?」
 いつの間にか食い入るようにシリウスを見ていたは、はっとして慌てて手を振る。
「何でもないです。ええ、全く何でもないんです。馴染んでくれて嬉しいなーとか思ってません!」
「……。全て口に出ているが」
 は!
 焦る余り本音をぱかっと言ってしまった……。
 は俯き、ため息をこぼす。
「すいません……私が勝手にそう思ってるだけなんで」
「いいや、私もそう思うよ。馴染んでる。――ひどく心地いいんだ」
「そう? よかった」
 ふわりと微笑むシリウスに、も嬉しくなって笑む。
 ある種、恋人のような甘い空気が流れていたが、

「ちょっと、お客さんよ、凄いお母さん好みの…………!?」

 ノックもなくいきなり入って来た母親に、シリウスの姿を見られ、空気が固まる。
 かちこんと固まったまま、もシリウスも動けない。
 母親は緩々とした動きで扉を閉め、ゆっくりとまた開いた。
 そこにいたのは、とシリウス(犬)。
「やーだぁ、お母さんってば。がいつの間にか部屋に男の人を連れ込んだのかと……ワンコだけよねー、そうよねー」
「は、はは……そ、そうだよ。変な事言わないでよ……」
 冷や汗ダラダラの
 シリウス(犬)も微妙に引き攣り笑いを起こしていた。
「まあいいわ。とにかく、あんたにお客さん。もう母さん胸が高鳴っちゃう!」
 語尾にハートマークをつけんばかりの勢いで言う母に、は首を捻った。
 自分に客……誰だろうか。
 母は扉の脇にいるらしいその人に、「ごゆっくり」と非常にきゃいきゃいした声をかけると、自分は階下に下りて行った。
 もう扉は開いているのに、律儀にもトントンとノックの音を立て、その人は入ってくる。
 は目を見開き、思わず立ち上がった。
 彼は以前と変わらない笑顔を浮かべている。
「やあ。元気かい? シリウスも――犬の姿だけど無事のようだ」
「せ、先生!! うわあ、先生だ!! どうしたんですか!? 何で日本に――ああ、それよりどうぞ座ってください、入口で止まってる必要なんかないですよ!! 遠慮せず!!」
 大好きな先生に会えた嬉しさから、のテンションが上がり調子だ。
 それじゃあ失礼して、と後ろ手に扉を閉め、リーマスは進められるままに座布団に座る。
「先生、正座は辛いですよ? 楽にして下さい」
「そうかい? それじゃあ――」
 あぐらをかくリーマス。
 はお茶がない事に気づき、慌てて階下に下りるとキッチンから冷たいお茶とグラスを持って部屋に戻る。
 鍵を掛けてリーマスの正面に座り、勉強道具一式を床にどけてお茶を出した。
「はいどうぞ。作り置きのアイスティーなんで、濁っちゃってるのが申し訳ないですが」
「いや、ありがとう。ところでシリウス、いつまで犬の格好のつもりだい?」
 紅茶を飲んで言うリーマスに、はっとなってシリウスが人型に戻る。
「お前……いきなり過ぎないか?」
 唖然としたようなシリウスの言葉に、リーマスはニッコリ笑う。
「何がだい?」
「いきなりの家に来るなんて。手紙ぐらい――」
「まあ、彼女から手紙を貰ってすぐに飛んできたからね、いきなりなのは認めるよ。でも僕だっての顔を見たかったんだ。君はしょっちゅう一緒だそうだけどね、シリウス」
 口の端を上げて笑むリーマス。
 シリウスはぐっと詰まった。
 何か含む所がある時にする笑顔だと気付いて。
 リーマスはふぅと息を吐き、を見やる。
、その『先生』は止めてくれるとありがたい。何せ今の僕は教師ではないからね」
「でも、先生なんですもん。――じゃあ、ルーピンさん?」
「リーマスでいいよ」
 にこり、微笑まれてはほんのり顔を赤くした。
 ほんの少し、シリウスの眉が動く。
 リーマスは彼の様子に気付いていたが、無視した。
「先生、じゃなくてリーマス……もしかして今の笑顔をうちの母にもやりました?」
「? 普通にご挨拶したけれど……マズかったかい??」
「……いや別に」
 苦笑するの横で、シリウスが息を吐く。
 リーマスは紅茶のグラスをテーブルに置いた。
「さてと。実は僕が今日きたのは、ポート・キーを設置するためでもあるんだ。2人に会いたかったから引き受けたんだけどね」
「ええと……ポート・キー……ってえと、触ると特定の場所に飛んでいくアレですね」
 使用した事はないが、聞いた覚えはある。
 けれど、設置する?
 どこに?
 が首を捻っていると、リーマスはクスリと笑った。
「この家のどこか――まあの部屋の何かになるだろうけど、ポート・キーになる。出る場所はホグワーツ。の部屋だよ」
「ええ!?」
 驚く
 シリウスもまた驚いていた。
 驚くのも当然で、そんなの前例がない――はずだ。
「リーマス、ダンブルドアは知ってるのかよ」
「勿論。校長が指示したんだからね。魔法省も了解済みだし」
「……な、なんでそんな?」
が余りに遠い場所に住んでいるから、だそうだけど」
 まあ、確かに遠いし、学校へ行く交通費が浮いていい。
 ……何だか奇妙な感じがするが。
「先――じゃなくて! リーマスはいつまで日本に? あ、泊まる所は決まってるんですか?」
 リーマスは首を振る。
「泊まる場所はまだ決めていないんだ。日本には――少なくともポート・キーを設置するまではいるけれど」
「じゃあ、ウチに泊まりません? 部屋なら空いてますし」
 彼は目を丸くし、けれどすぐに微笑む。
「ご両親がいいと仰るなら、そうさせてもらおうかな。シリウスと積もる話もあるし」
「……」
 無言のシリウス。
 は、じゃあ早速と母親に許可を貰いに行った。


「おい、リーマス」
「なんだい?」
「……間違っても、に手を出すなよ」
「その事について、少しばかり君に話があるんだけどね――」



2009・8・30
サブタイ付けるなら、先生がうちにやって来た、とか。