たとえ今は犬の姿をしていても、確かにそれは人なのだ。 犬にしか見えなくても、決して犬ではない。 シリウス・ブラック、その人なのだ。 ワンコがうちにやって来た 6 宅でのシリウスの食事は、間違ってもドッグフードではない。 ほぼ、飼い主達と同じ食事が出てくる。 流石に納豆は食べさせたりはしないものの、きちんとした日本食。 いわずもがな、父と母はシリウスをワンコという安易な愛称で呼び、いたく気に入っていた。 「はいワンコ、ご飯ですよ〜」 ニコニコ笑いながら、シリウス用皿に、サンマ、しかも大根おろしに醤油つき、白米、それと、ちょっとした小皿に肉じゃがなんかも入れて、彼――シリウス(犬)の目の前に出す。 はいたたまれない様な、もうとにかく申し訳ない気持ちで、自分の足元近くで繰り広げられている、母親とシリウス(犬)の姿を見ていた。 自分の部屋でご飯を食べれば、彼だって人間の姿で食事が出来るとは思う。 けれど久しぶりに帰ってきた娘が、部屋で一人でご飯を食べるなどと言い出したら、両親共に大げさに嘆いてみせるだろう。 結局、今のはシリウスに申し訳なさを感じつつ、食事を進める他ない。 しかも母は必ず、シリウスにある儀式というか、躾をする。 これがまた、申し訳なさに拍車をかける。 「ワンコ、お手よ、お手!」 「………」 ――ああっ、ごめんなさい!!! ごくごく普通にしながらも、足元近くで行われている行動に頭の中で謝り倒す。 シリウスは一瞬ひきつりながらも右足を、母親の差し出す手の平に、ポテ、と乗せた。 お座りは既にしているので、その辺は問題ないらしい。 「はぁい、イイコねー。じゃあ、次はオカワリ」 「……………」 逆の手を、先ほどと同じように、ポテ、と乗せる。 母はシリウスの手を戻しながら、感動の余り拍手していた。 「ああ! なんていいワンコなんでしょう!! じゃあ次は」 「ちょっと母さん! シ……ワンコがご飯食べられなくて可哀そうでしょ!」 「もう少しよ。、躾は大事な事なのよ!」 ――躾なんぞしないでくれ! 確かに今は黒犬にしか見えないが、立派に人間なのだよその人は!! は一人で苦悶していたが、母は考えを改める気もないようだ。 そりゃそうだろう。 目の前にいるのは、自分がペットショップで買ってきた、ただの黒犬なのだから。 「ワンコ、これで最後よ。伏せっ!!」 「…………」 シリウスはかなり躊躇ったが、もう一度母に「伏せ!」と言われ、渋々と――伏せた。 はこの場から逃げ出したい気持ちになっていた。 一番逃げ出したいのは、シリウス当人だろうが。 「よくできました、じゃあ、食べていいわよ」 語尾にハートマークをつけんばかりの勢いで、母はシリウスの目の前にご飯をずずいと出した。 「……ワン」 その一声は、凄く力なく聞こえたのだが、両親は、「なんて頭のいい犬なんだ!」と感動していたようだった。 ――頭がいいのは、当たり前だっつーの。 シリウスが一番最後に食べ始めたのに、一番最初に食べ終わった。 犬だから量はそこそこだが、綺麗に食べ残しもなく食べきっている。 サンマの骨すら残らない。 は苦笑いしながら、自分もごちそう様をし、箸と茶碗を流し台に置いて水に浸けた。 「さあ、さっさとお風呂に入っちゃいなさい」 「うん。宿題もしないといけないしね」 風呂上りに水出しお茶でも持って上がろう。 が、の思考は、母の一言によって一時的に完全に麻痺する事となる。 「あぁ。お風呂入るなら、ワンコも一緒に入れてあげてね」 「…………え゛?」 母親の言葉に思わず固まる。 固まったのはだけではなかった。 シリウスも母を見たまま固まっている。 暫く後、ギギギと軋んだ音を立てるような動きで、シリウスとは互いに顔を見合わせた。 母は、二人……いや、一人と一匹の不穏な動きになど全く気づきもせず、ニコニコしながら食器を洗い始める。 やっとで思考が動き出したは、思わず叫ぶ。 「か、母さん!! だって…」 「ワンコ汚れてきたもの。ちゃーんと洗ってね。でも、お湯にくぐらちゃダメよ」 「や、でも……」 「よろしくね」 ――人の話を聞いてくれ、頼むから。 真面目に自分の話を聞いて欲しいと、今までになく願った。 なんやかんやと脱衣場に押し込められたシリウスと。 はタオルと、己の着替え一式を持ったまま、その場に立ち尽くす。 どうしていいものやら判らない。 何故よりによって自分なのか。 父親ではダメなのか。 考えてみた所で無駄なこと。 母親の口には決して勝てないのだ。 「……ま、しょうがない、よね」 決心すると、堂々と服を脱ぎ始めた。 シリウスが慌てて後ろを向いた。 ――ハ、ハリーの同級生のヌードを見るわけにはいかん! シリウスはごくりとのどを鳴らす。 邪な気持ちを抑え、必死に理性をつなぎ止めるという辺り、既になにか問題をきたしているが、当人はその事に気づかない。 犬なので詳しい表情は分からないだろうが、ともかく不味いことに違いない。 なにが不味いのかよくわからなかったが、シリウスの中で誰かが警鐘を鳴らしていた。 後ろで聞こえる衣擦れの音が、奇妙なほど妖艶に聞こえてしまう。 ――おかしいのはわたしだ、間違いなく。 「シリウス? 入るよーう」 「ワ……ワフッ……」 情けない声を発しながら、それでもタオルを体に巻いて先に風呂場へと入っていく彼女の後を、シリウスは追いかけた。 2002・12・27 2009・8・16(修正) |