の家には犬がいる。
 本名シリウス・ブラック。
 現在冤罪をかけられている犯罪者。
 犯罪者呼ばわりは不本意極まりない状況だが、彼は現状に、それなりの幸せを得始めていた。
 ――これが犬の姿でなければ、もっと幸せだろうに。


ワンコがうちにやって来た 5


「ねー、。お母さんもワンコと寝かせてよー」
「絶対だめ!!」
 断固拒否だ。
 母は冷たいだのケチだのと難癖をつけてくるが、まさかシリウスと母を一緒に寝かせるわけにはいかない。
 ――というか、私がいやだ。母親とハリーの名付け親が横並びで寝るなんて。
 はシリウスを、とってもとっても気に入っていた。


 先日の予告通り、翌日、友人の由美が家に遊びに来た。
 彼女は部屋の中でシリウスを見るなり、歩み寄って頭を撫でる。
 は、ごめんなさいと心の中で謝りながらも、苦笑いを浮かべているしかなかった。
 『その犬は人間なのよ!』と暴露するわけにもいかないので。
 由美は、久しぶりに見る友人の部屋の変化に、少なからず驚きを持ったようだった。
 マグルから見たら、不可思議なものが多々置いてあるのだから、無理からぬこと。
 彼女がシリウスの次に目に留めたのは、梟(フクロウ)だった。
「あのさ、コレって……」
「見ての通り梟。手紙運んでくれんの。私の大事な友達だよ」
 へー、と由美が顔を覗き込むと、梟は「ホゥ」と鳴いた。
 声の感じが眠たそうだ。
 夜行性なので仕方がない。
 由美は梟の籠を見ながら訊ねてくる。
「手紙かぁ……私がに出しても届く?」
「うん、ちょっと距離あるから大変だし、時間かかるかもしれないけど」
「今度出してみてもいい?」
 全然オッケーだよと微笑む。
 由美は嬉しそうに、やはりニコニコ笑った。


 シリウスはその二人の様子を見ながら、自分もハリーに手紙を出そうと考えていた。
 ともかく、近況だけは知らせておきたい。
 既にが知らせている、という事はないだろう。
 まだ、彼女が帰ってきて数日。
 梟を飛ばしたのは見ていない。

 ――近況。
 真実は情けない気がするので、の家に厄介になっている、とでもしておこうか。

「ねえ、これは?」
 机の上で幅を利かせている本と巻紙に驚く由美。
 由美が記憶する限り、は本の類は余り好きではなかった。
 それがこうも積み上げられているのだから、聞きたくもなるというものだろう。
 は余り見たくなさそうに目を細めると、
「……宿題の山」
 とだけ答えた。
 由美は目を見開く。
「これ、全部!?」
「うん、そう。といっても本は教材なんだけどね」
 机に乗っているのは、ホグワーツではどれも一般的な教科のもので、日本でいうところの五教科だとは伝える。
 日本のそれと違うのは、ハードカバーの品が混じっているところだ。
 革製のカバーがあったりもするのが、日本の学校の教科書との大きな違い。
 一年の時の本は、全て本棚行きになっていると示す
 背表紙を見た由美の表情が歪む。
 英語のタイトルだからだ。
「ちょっと、見せてもらってもいい?」
 興味津々の由美に、どうしようかと迷いながらも――床で大人しく丸まっているシリウスに目を合わせる。
 彼はのっそりと起き上がり、本棚の前まで歩くと、尻尾で『魔法論』の本を、ぺし、と叩いた。
 これならOKなんじゃないか? との意味らしい。
 は本棚から魔法論の本を取り出し、由美に渡してやった。
「ありがとう」
 言って、ページを開くなり――いきなり唸り始めた。
 不思議そうな顔をして、シリウスとが目を合わせる。
「読めない。英語」
「あ……」
 そりゃそうだ。
 ホグワーツはイギリスなのだから。
 基本語は日本語ではなく、英語である。
 三年も向こうへ行くと、大分揉まれて言葉の壁でつっかかる事は、殆どなくなっている。
 入学当初はかなり苦労したものだ。
 それはそれは泣ける位に。
 多少の英語の心得があったのが、わずかな救いになったけれど。
「なんとかならない?」
 訊ねられ、は軽く眉を寄せる。
 ――さて、どうしよう?
 由美は本に物凄く興味を示しているが、他の魔法本だって全部英語表記されている。
 となると。
「ちょっと待ってね」
 は杖を取り出すと、本を閉じてその表紙の角を、トントン、と軽く二度叩いた。
「なにし……あっ!!」
 ページを開くと、英語だった文体が、踊るようにして日本語へと変化した。
「うっわぁー! 凄い! 魔法なの?」
「魔法には違いないと思うけど……これはうちの学校の校長先生の特別仕様」
 実際にが魔法を使っているわけではない。
 入学当初、英語のあまりの難解さに、教科書を読むどころではなかったへの、校長の温情だ。
 本の角を叩けば、中の言語が変わる。
 1年目、は教科書を『和英辞典』として使うこともしていたのだった。
 おかげで2年目からは大分楽になったのだけれど。
「ところで、それが魔女の杖?」
「うん。人によって違うんだよ」
「へぇ……もっと長いかと思ってた」
 も最初は、RPGゲームに出てくるような、長い杖を想像していたのだが。
 当初の印象は、杖というより、指揮棒。
 でも自分の杖を手に持った時、これが自分の杖なのだと実感した。
 不思議な事だが。
 マグルにしてみると、魔法界はどこもかしこも不思議だけれど。

 ともかく、由美は本を読み出した。
 マグルに本を読ませるのが違反だったらどうしようかと思いつつ、は小さなテーブルを引っ張り出してきて、シリウスの横でレポートを始める。
 シリウスが覗き見てきた。
 途端、黒犬の顔が、実にイヤなものを見たという風に歪む。
 やっているのが、魔法薬学のレポートだからだろうか。
 否、嫌なのは魔法薬学というより、セブルス・スネイプだろうけども。
は何してるの?」
「魔法薬学のレポート。担当が贔屓好きな人でね、しっかりやっとかないと障りが」
「へぇ……やっぱり魔法使いにも色々いるんだね」
「そりゃあもう」
 有名人だって、悪の魔法使いだっておりますことよ。


 由美は魔法論に飽きたのか、自分で今度は一年生用、基本呪文集を取り出してきた。
 ――これは、どうなんでしょう。
 表記されている内容に少し不安になる。
 しかしマグルは魔法を使えない。
 読ませるにあたって、『絶対秘密! 少しでもその単語を出したりしたら、凄い目にあうからね!』と脅しをかけておき、本を開かせた。
 やっぱり英語なのだが。
、今度は私に杖で叩かせてよぉ」
「ダメ。由美は魔女じゃないし、これは私にしか反応しないようになってるの」
「えぇ? ……ま、危ない事はしないようにしないといけないものね」
 シリウスは、賢明な判断だと二人のやり取りを見て頷いた。
 マグルが杖を持った所で、使えるはずもないのだけども。
 先ほどと同じようにトントンと叩くと、英語が日本語に変化。
 由美は楽しそうに、基本呪文集を読んでいる。
 は必死にスネイプから出されたレポートをしていた。


「なんか、あんまり遊ばなかったね」
 苦笑いするに、由美は首を横に振る。
「ううん、滅茶苦茶楽しかったよ! また来ていい?」
「うん、宿題で死にそうな時以外ね」
 またね、と手を振り、友人は帰っていった。

「さて、レポートの続きは……ご飯食べてからにしようか、シリウスさん」
「ワォン」

 彼は一鳴きすると、と共にいい匂いのするリビングへと足を運んでいった。


2002・12・9
2009・8・16(修正)