苦労かけてごめんなさい。
 本当に本当に、ごめんなさい。
 は、心からそう思った。



ワンコがうちにやって来た 4



「ギャウウン!!」
 吹っ飛ばされたドーベルマンの『ブラック』は、体を土ぼこりにまみれさせながら、再度シリウス(犬)に向かって走って来た。
 だが、再度飛び掛ろうとするドーベルマンに、シリウスはギラギラした目を向ける。
 曰く、これ以上何かするのであれば、お前の喉を噛み切るぞ、的な目を。
 ドーベルマンは凄みに負け、この犬には敵わないと知ったのか、目を外さないように後じさりし、
「キュゥゥゥーン」
 情けない声を上げつつ、主人である由比子の後ろに隠れてしまった。
「ど、どうしたのよブラック!」
 シリウスと対峙させようと、前に引きずり出そうとしてみるものの、犬はキューキュー鳴くだけで、完全に腰が引けている。
 は呆気にとられながら、事の成り行きを見ていた。
 にじり寄るシリウスに、由比子の方も恐怖を感じてか、震える声で、なんとか言葉を発している。
「こ、こんなくだらない連中に構ってらんないわ! 行きましょう皆!」
 完全な捨て台詞を吐いたかと思うと、取り巻きを引き連れ、怯えきって動きも取れなくなっているドーベルマンの『ブラック』をまるで引きずるようにして、さっさと公園から退却していった。
 ――あれで名前がブラックとは。
 シリウスさんとは、まるで似ても似つかないなと、は一人で思っていた。
「あ!」
 に怪我がない事を確認すると、慌ててシリウスに駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
 あちこち見ると、左腕に傷を負っている。
 多分、例の犬の爪にやられたのだろう。
 深くもないが、浅くもない傷がついていた。
 黒い毛並みに、少々血が付着している。
「ご、ごめんなさいっ」
 シリウスが大丈夫だ、と言うように尻尾をぺしっと揺らす。
 だが、はそれでは治まらない。
 ――ハリーの仮父に傷を負わせてしまった! シリウスに迷惑をかけてしまった!
 それが頭の中一杯に広がって、収集がつかなくなっている。
 は立ち上がると、犬に敬語を使っていることに驚いているに――焦って大声になってしまってはいたが――ともかく話しかけた。
 というより、叫んだ。
、明日にでもウチに遊び来て! 私今日はもう帰るからっ、それじゃゴメンね!!」
「う、うん」
 大きな犬シリウスを背負って、彼も本人も驚くような勢いで、家への道を走り出す。
 その姿を見て、は、
「……あのワンコ、凄く大事なんだねぇ」
 と、呟いた。


「と、とりあえず手当てしないと…バイキン入っちゃう…」
『大丈夫だ』
 犬の姿のまま、傷口をぺロリと舐める。
 自室に戻ったは、鍵を閉める。
 杖を持ち出すものの――傷を魔法で治すなんて芸当できやしないだろうし、出来たとしても、魔法省から禁止勧告書が来て、目立つ結果になってしまう。
 そう考え、杖は元に戻した。
 薬を作ることも考えたが、まさかこんな所で大釜を使って、魔法薬学をやる訳にはいかない。
 大体、材料がない。
 買うにはダイアゴン横丁だが、ここは日本。
「……しょうがないですね、マグル式で行きましょう」
 凄い剣幕で言った
 人間に戻ったシリウスは、苦笑いを浮かべていた。
「あ」
 人に戻られるとは思っていなかったは、思わず声を上げる。
 びっくりしている彼女に、シリウスは口の端を少し上げて笑った。
「こっちの姿の方が、介抱しやすいだろう?」
「うん、そうですね」

 てきぱきと治療の準備を始めながら、は呟く。
「変な感じですね……魔法使いが普通に手当てって」
 普通、イコール、人間。
 はホグワーツ以外では『マグル』という言葉を、余り使わない。
 まるで自分が人間外のようで、嫌な感じがしてしまうから。
 さて、と息をつき、シリウスの腕に治療を施し始める。
 といっても大したものではなく、傷薬を塗って包帯を巻く程度の、ごくごく簡易的なもの。
「私が魔法を使うのは簡単だがなるべく避けたい事だし、君はまだ未成年だ。仕方ない」
「でもこっちの方が、私は人間味があっていいような」
 クスクス笑いながら、包帯を巻いていく彼女。
 その姿を見ながら、シリウスは思う。
 少女らしさを持っていて実に可愛らしい。
 彼は自分の顔が綻んでいるのを知らなかった。
 ――胸が温かい。
 なんだか凄く温かくて、涙が出そうになる。
「はい、出来ましたっと!」
「すまない」
 下手ですみませんなどと言われるが、左腕に巻かれた包帯は、きちんとした手当てになっている。
 腕を上げ下げするシリウスに、はしゅんとする。
「謝るのは、こちらのほうです……」
 少なからず落ち込んでいるのであろう彼女の頭を、くしゃっと撫でてやる。
「気にする事はない」
 シリウスは、笑顔で言った。

 ――うっ、わぁ。
 彼の笑顔の直撃を受けたの頬が、赤みを差す。
 ――凄く、なんていうか、大人のカッコよさというんだろうか、これは。
 以前見た手配書の中にあった彼とは、全然様子が違う。
 まだ少し細いけれど、全体的に調子が戻ってきたのか、体つきもしっかりしてきたし、もう少し食べれば、すっきりしたハンサムになるだろう。
 犬の姿の時は全然意識しなかったが――なんだか、ドキドキした。
「……あら? 、何鍵閉めてるの?」
 ドンドンとノックというより叩く音がして、母が入ってこようとしているのが分かる。
「あ、母さん……」
 シリウスさん――言う間に、彼は見事に犬の姿へと変化していた。
 さすがだ。
「……ご苦労かけます」
『いや』

 ワンコの苦労は、まだまだ続く。



2002・11・20
2009・8・15(修正)